平賀源内
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平賀 源内︵ひらが げんない、享保13年︵1728年︶ - 安永8年12月18日︵1780年1月24日︶︶は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。
源内は通称で、元内とも書いた。諱は国くに倫とも[1]または国くに棟むね、字は子し彝い。数多くの号を使い分け、画号の鳩きゅ渓うけい、俳号の李りざ山んや、戯作者としては風ふう来らい山さん人じん[1]、浄瑠璃作者としては福ふく内うち鬼きが外い[1] の筆名を用い、殖産事業家としては天てん竺じく浪ろう人にん、生活に窮して細工物を作り売りした頃には貧ひん家かぜ銭にな内い[2] などといった別名も使っていた。
平賀源内の肖像、中丸精十郎︵1841-1896︶筆[3]
平賀源内作のエレキテル︵複製︶国立科学博物館の展示
讃岐国寒川郡志度浦[4]︵現在の香川県さぬき市志度︶の白石家の三男として生まれる。父は白石茂左衛門[4]︵良房︶、母は山下氏。兄弟が多数いる。白石家は讃岐高松藩の足軽身分の家で、源内自身は信濃国佐久郡の信濃源氏大井氏流平賀氏の末裔と称したが、﹃甲陽軍鑑﹄によれば戦国時代の天文5年︵1536年︶11月に平賀玄信の代に甲斐の武田信虎による侵攻を受け、佐久郡海ノ口城において滅ぼされた。後に平賀氏は奥州の白石に移り伊達氏に仕え白石姓に改め、さらに伊予宇和島藩に従い四国へ下り、讃岐で帰農した伝承がある。源内の代で姓を白石から平賀に復姓したと伝わる。
幼少の頃には掛け軸に細工をして﹁お神酒天神﹂を作成したとされ、その評判が元で13歳から藩医の元で本草学を学び、儒学を学ぶ。また、俳諧グループに属して俳諧なども行う。寛延元年︵1748年︶に父の死により後役として藩の蔵番となる[5]。宝暦2年︵1752年︶頃に1年間長崎へ遊学し、本草学とオランダ語、医学、油絵などを学ぶ。留学の後に藩の役目を辞し、妹に婿養子を迎えさせて家督を放棄する。
大坂、京都で学び、さらに宝暦6年︵1756年︶には江戸に下って本草学者田村元雄︵藍水︶に弟子入りして本草学を学び、漢学を習得するために林家にも入門して聖堂に寄宿する。2回目の長崎遊学では鉱山の採掘や精錬の技術を学ぶ。
宝暦11年︵1761年︶には伊豆で鉱床を発見し、産物のブローカーなども行う。物産博覧会をたびたび開催し、この頃には幕府老中の田沼意次にも知られるようになる。
宝暦9年︵1759年︶には高松藩の家臣として再登用されるが、宝暦11年︵1761年︶に江戸に戻るため再び辞職する[5]。このとき﹁仕官お構い﹂︵奉公構︶となり[6]、以後、幕臣への登用を含め他家への仕官が不可能となる。
宝暦12年︵1762年︶には物産会として第5回となる﹁東都薬品会﹂を江戸の湯島にて開催する。江戸においては知名度も上がり、杉田玄白や中川淳庵らと交友する。
宝暦13年︵1763年︶には﹃物ぶつ類るい品ひん隲し﹄を刊行[1]。オランダ博物学に関心をもち、洋書の入手に専念するが、源内は語学の知識がなく、オランダ通詞に読み分けさせて読解に務める。文芸活動も行い、談義本の類を執筆する。
明和年間には産業起業的な活動も行った。明和3年︵1766年︶から武蔵川越藩の秋元凉朝の依頼で奥秩父の川越藩秩父大滝︵現在の秩父市大滝︶の中津川で鉱山開発を行い、石綿などを発見した︵現在のニッチツ秩父鉱山︶。秩父における炭焼、荒川通船工事の指導なども行う。現在でも奥秩父の中津峡付近には、源内が設計し長く逗留した建物が﹁源内居﹂として残っている。
安永2年︵1773年︶には出羽秋田藩の佐竹義敦に招かれて鉱山開発の指導を行い、また秋田藩士小田野直武に蘭画の技法を伝える。
安永5年︵1776年︶には長崎で手に入れたエレキテル︵静電気発生機︶を修理して復元する。
安永8年︵1779年︶夏には橋本町の邸へ移る。大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため、11月21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。享年52。
獄死した遺体を引き取ったのは狂歌師の平秩東作ともされている。杉田玄白らの手により葬儀が行われたが、幕府の許可が下りず、墓碑もなく遺体もないままの葬儀となった。ただし晩年については諸説あり、上記の通り大工の秋田屋九五郎を殺したとも、後年に逃げ延びて書類としては死亡したままで、田沼意次ないしは故郷高松藩︵旧主である高松松平家︶の庇護下に置かれて天寿を全うしたとも伝えられるが、いずれも詳細は不明。大正13年︵1924年︶、従五位を追贈された[7]。
平賀源内墓、さぬき市志度の自性院。
戒名は智見霊雄。墓所は浅草橋場︵現東京都台東区橋場2-22-2︶にあった総泉寺に設けられ、総泉寺が板橋に移転した後も墓所はそのまま橋場の旧地に残されている。また、その背後には源内に仕えた従僕である福助の墓がある。友人として源内の葬儀を執り行った杉田玄白は、故人の過日を偲んで源内の墓の隣に彼を称える碑を建てた。この墓の敷地は1931年︵昭和6年︶に松平頼寿により築地塀が整備され、1943年︵昭和18年︶に国の史跡に指定された[8]。
平賀源内 碑銘︵杉田玄白 撰文︶
﹁嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常 ﹂
︵ああ非常の人、非常の事を好み、行ひこれ非常、何ぞ非常に死するや︶
︵大意︶ああ、何と変わった人よ、好みも行いも常識を超えていた。どうして死に様まで非常だったのか(非常の人云々は、前漢の司馬遷﹃史記﹄﹁列伝﹂司馬相如列伝からの引用。)
また故郷のさぬき市志度の自性院︵平賀氏菩提寺︶にも源内の義弟︵末妹の婿︶として平賀家を継承した平賀権太夫が、義兄である源内を一族や故郷の旧知の人々の手で弔うために建てたと伝えられる墓が存在する。
一般には橋場の墓が葬墓で志度の墓が参墓︵いわゆる両墓制︶といわれているが、上記経歴にて前述したように源内の最期や遺体の処され方については諸説ある︵上述した高松松平家庇護説に則った場合は葬墓と参墓の関係が逆転する︶。
﹃物類品隲﹄宝暦13年︵1763年︶刊国立科学博物館の展示
●﹃物類品隲﹄ - 全六巻。宝暦13年7月刊行。
●﹃番椒譜﹄ - 稿本。年代不明。
平賀源内生祠︵鞆町︶
●平賀源内記念館[12][13]、平賀源内先生遺品館 - 香川県さぬき市志度
発明品や著作物、杉田玄白と源内の書簡などが展示されている。また、平賀源内記念館が2009年3月22日にオープンし、平賀源内祭りの会場。場所はJR志度駅から徒歩5分。
●平賀源内墓 - 東京都台東区橋場二丁目 旧総泉寺墓地
1943年、国の史跡に指定
敷地内には、従僕であった福助の墓もある。
●平賀源内先生の墓 - 香川県さぬき市志度 微雲窟 自性院
同院は平賀家の菩提寺であり、墓は義弟である平賀権太夫の建立とされる。
毎年12月には、法要がとり行われる。
●平賀源内生祠 - 広島県福山市鞆の浦 広島県指定史跡
●源内賞
平賀源内の偉業をたたえて発明工夫を振興する基金を、エレキテル尾崎財団が1994年に寄贈。この基金を基に、香川県さぬき市︵旧志度町︶とエレキテル尾崎財団とが、四国内の科学研究者を授賞対象とする源内賞、奨励賞を設定し、毎年3月に表彰。
●江戸東京博物館︵2003年11月29日 - 2004年1月18日︶、東北歴史博物館︵2004年2月14日 - 3月21日︶、岡崎市美術博物館︵2004年4月3日 - 5月9日︶、福岡市博物館︵2004年5月27日 - 7月4日︶、香川県歴史博物館︵2004年7月17日 - 8月29日︶に﹁平賀源内展﹂が開催された。エレキテル等の復元品も展示された。
来歴[編集]
墓所[編集]
人物と業績[編集]
●天才、または異才の人と称される。鎖国を行っていた当時の日本で、蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。また源内焼などの焼き物を作成したりするなど、多彩な分野で活躍した。 ●男色家であったため、生涯にわたって妻帯せず、歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。わけても、二代目瀬川菊之丞︵瀬川路考︶との仲は有名である。晩年の殺傷事件も男色に関するものが起因していたともされる。 ●﹃解体新書﹄を翻訳した杉田玄白をはじめ、当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。玄白の回想録である﹃蘭学事始﹄は、源内との対話に一章を割いている。源内の墓碑を記したのも玄白で、﹁嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常﹂︵ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや︹貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。︺︶とある。 ●発明家としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、火浣布[1] の開発がある。一説には竹とんぼの発明者ともいわれ、これを史上初のプロペラとする人もいる︵実際には竹とんぼはそれ以前から存在する。該項目参照︶。気球や電気の研究なども実用化寸前までこぎ着けていたといわれる。ただし、結局これらは実用的研究には一切結びついておらず、後世の評価を二分する一因となっている。 ●エレキテルの修復にあっては、その原理について源内自身はよく知らなかったにもかかわらず、修復に成功したという[9]。 ●1765年に温度計﹁日本創製寒熱昇降器﹂を製作[10]。現存しないが源内の参照したオランダの書物及びその原典のフランスの書物の記述からアルコール温度計だったとみられる[10]。この温度計には、極寒、寒、冷、平、暖、暑、極暑の文字列のほか数字列も記されており華氏を採用していた[10]。 ●土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説がある[1]。この通説は土用の丑の日の由来としても平賀源内の業績としても最も知られたもののひとつだが、両者を結び付ける明確な根拠となる一次資料や著作は存在しない。また明和6年︵1769年︶にはCMソングとされる歯磨き粉﹃漱石膏﹄の作詞作曲を手がけ、安永4年︵1775年︶には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けており、これらをもって日本におけるコピーライターのはしりとも評される。 ●浄瑠璃作者としては福内鬼外の筆名で執筆[1]。時代物を多く手がけ、作品の多くは五段形式や多段形式で、世話物の要素が加わっていると評価される。狂歌で知られる大田南畝の狂詩狂文集﹃寝惚先生文集﹄に序文を寄せている。風来山人の筆名で[1]、強精薬の材料にする淫水調達のため若侍100人と御殿女中100人がいっせいに交わる話﹃長枕褥合戦﹄︵ながまくら しとねかっせん︶のような奇抜な好色本も書いている[11]。衆道関連の著作として、水虎山人名義により 1764年︵明和元年︶に﹃菊の園﹄、安永4年︵1775年︶に陰間茶屋案内書の﹃男色細見﹄を著わした。 ●鈴木春信と共に絵暦交換会を催し、浮世絵の隆盛に一役買った他、博覧会の開催を提案、江戸湯島で日本初の博覧会﹁東都薬品会﹂が開催された。 ●文章の﹁起承転結﹂を説明する際によく使われる﹁京都三条糸屋の娘 姉は十八妹は十五 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す ﹂の作者との説がある。作品[編集]
本草学及び工芸[編集]
戯作[編集]
●﹃根南志具佐﹄︵ねなしぐさ︶ - 宝暦13年10月刊行。談義本。 ●﹃根無草後編﹄ - 明和6年︵1769年︶正月刊行。 ●﹃風流志道軒伝﹄ - 宝暦13年11月刊行。滑稽本。講釈師の深井志道軒を主人公としたもの。 ●﹃風来六部集﹄﹃風来六部集後編﹄ - 狂文集。﹁放屁論﹂﹁痿陰隠逸伝﹂︵なえまら いんいつでん︶等を収める。義太夫浄瑠璃[編集]
●﹃神霊矢口渡﹄ - 明和7年正月、江戸外記座初演。 ●﹃源氏大草紙﹄ - 明和7年8月、江戸肥前座初演。 ●﹃弓勢智勇湊﹄ - 明和8年正月、江戸肥前座初演。吉田仲治補助。 ●﹃嫩榕葉相生源氏﹄ - 安永2年︵1773年︶4月、江戸肥前座初演。 ●﹃前太平記古跡鑑﹄ - 安永3年正月、江戸結城座初演。 ●﹃忠臣伊呂波実記﹄ - 安永4年7月、江戸肥前座初演。 ●﹃荒御霊新田新徳﹄ - 安永8年2月、江戸結城座初演。森羅万象、浪花の二一天作を補助とす。 ●﹃霊験宮戸川﹄ - 安永9年3月、江戸肥前座初演。源内没後の上演。 ●﹃実生源氏金王桜﹄ - 未完作。寛政11年︵1799年︶正月、江戸肥前座で上演。絵画[編集]
●﹁黒奴を伴う赤服蘭人図﹂ ●﹁西洋婦人図﹂︵神戸市立博物館︶史料・研究[編集]
史料 ●﹃源内実記﹄ ●平賀源内先生顕彰会編﹃平賀源内全集﹄上・下︵名著刊行会、1970年︶ ●﹃風来山人集﹄︵﹃日本古典文学大系﹄55 岩波書店、1961年︶ 研究 ●﹃讃岐偉人平賀源内翁﹄ ●森銑三﹃平賀源内研究﹄ ●城福勇﹃平賀源内﹄︵吉川弘文館︿人物叢書﹀、1971年︶ ●城福勇﹃平賀源内の研究﹄︵創元社、1976年︶ ●松井年行﹃物類品騭の研究﹄美巧社、2019年。ISBN 978-4-86387-117-5 ●芳賀徹﹃平賀源内﹄ちくま学芸文庫 ハ-59-1、2023年。ISBN 978-4-48051-201-7関連施設・行事等[編集]
平賀源内をモデルとした創作[編集]
小説[編集]
●桜田常久﹃平賀源内﹄︵芥川賞受賞作。源内が杉田玄白の尽力でひそかに獄から脱出できたあとの後日談という構想である。︶ ●村上元三﹃平賀源内﹄ ●吉川英治﹃鳴門秘帖﹄︵源内が登場する︶ ●那須正幹﹃ズッコケ時間漂流記﹄ ●久生十蘭﹃平賀源内捕物帳﹄ ●山本昌代﹃源内先生船出祝﹄ ●南條範夫﹃無頼武士道﹄ ●広瀬正﹃異聞風来山人﹄ ●赤松光夫﹃江戸の大山師 天才発明家・平賀源内﹄(著者らしい官能時代小説である) ●清水義範﹃源内万華鏡﹄ ●大沼弘幸・わたなべぢゅんいち﹃大江戸乱学事始﹄ ●筒井康隆﹃空飛ぶ表具屋﹄︵世界初の有人飛行を行ったとされる浮田幸吉を後援する役割で、興味本位で軽挙妄動する現代のマスコミ文化人を重ね合わせて描かれている。︶ ●井沢元彦﹃銀魔伝 源内死闘の巻﹄ ●夢枕獏﹃大江戸恐龍伝﹄テレビ[編集]
●﹃天下御免﹄︵1971年、NHK、源内役‥山口崇︶ 現代を江戸時代に置き換え、平賀源内を案内役として話を進め、風刺的な要素を含んでいた。杉田玄白役は坂本九。 ●﹃キカイダー01﹄第36話﹁四次元の怪 恐怖のタイム旅行﹂︵1973年、NET、石ノ森章太郎原作、源内役‥野々浩介︶ 悪の組織シャドウが平賀源内の誘拐を画策してタイムトンネルで江戸時代に移り、01とビジンダーがこれを追って食い止める話がある。舞台は源内がエレキテルを復元した1776年頃である。 ●﹃鳴門秘帖﹄︵1977年、NHK、源内役‥山口崇︶ 吉川英治の原作のテレビドラマ化。劇中、ローソクを熱源に、和紙とコンニャクで作ったミニチュアの気球を源内が飛ばしているシーンがある。 ●﹃桃太郎侍﹄︵1981年、日本テレビ 源内役‥犬塚弘︶ 第226話﹁エレキを食った鬼二匹﹂にゲストとして登場した。 ●﹃影の軍団II﹄︵1981年、関西テレビ 源内役‥山村聰︶ 徳川家重の時代の末期、1760年頃が舞台。源内は主人公の伊賀忍者グループに科学面で協力する役どころだった。また、上記の﹃キカイダー01﹄と﹃影の軍団II﹄の両方で志穂美悦子が出演しており、作品で源内と関わっている。 ●必殺シリーズ︵朝日放送︶では時代的に合わないが、現代的な気球やグライダーを出す場合に安易に平賀源内を登場させる傾向がある。 ●﹃仕事人アヘン戦争へ行く﹄︵1983年︶では源内が獄中にいた︵アヘン戦争当時、日本で投獄されていた蘭学者では高野長英がいる。なお劇中で平賀は113歳という設定であった︶。 ●﹃必殺仕切人﹄︵1984年︶第5話﹁もしも鳥人間大会で優勝したら﹂で源内が江戸時代の飛行コンテストで審査員をしている。 中条きよし扮する三味線屋の勇次は両方に登場しており、設定上は﹃アヘン戦争﹄が先で﹃仕切人﹄の方が後の話である。 ●﹃翔んでる!平賀源内﹄︵1989年、TBS、源内役‥西田敏行︶ 同作の源内は、豊富な知識を駆使して江戸で起こった事件の謎を解決する探偵のような役回りの主人公である。 ●﹃びいどろで候〜長崎屋夢日記﹄︵1990年、NHK、源内役‥山口崇︶ 上述の﹃天下御免﹄の後日談。 ●﹃殿さま風来坊隠れ旅﹄︵1994年、テレビ朝日、源内役‥火野正平︶ ●﹃大江戸捜査網2015〜隠密同心、悪を斬る!﹄︵2015年、テレビ東京、源内役‥小林稔侍︶ 上述した生存説に基づいた解釈で描かれ、松平定信によって失脚没落崩壊した田沼家の﹁隠された姫﹂である早苗のお目付け役として登場する。 ●﹃風雲児たち〜蘭学革命篇〜﹄︵2018年、NHK総合、源内役‥山本耕史︶ 後述の漫画作品﹃風雲児たち﹄︵みなもと太郎︶を原作に置くテレビドラマ作品。脚本は三谷幸喜。 ●﹃大江戸スチームパンク﹄︵2020年、テレビ大阪、源内役‥六角精児︶ ●﹃大奥﹄︵2023年、NHK総合、源内役‥鈴木杏︶ 後述の漫画作品﹃大奥﹄︵よしながふみ︶を原作に置くテレビドラマ作品。男女が逆転した世界を描いており、源内は男装の女性という設定。脚本は森下佳子。 ●﹃銀魂﹄︵2006年~、テレビ東京系列︶ 後述の漫画作品﹃銀魂﹄︵空知英秋︶を原作としたアニメ作品。﹁江戸一番の発明家﹂を自称するカラクリ技師平賀源外として登場。 他にドラマ愛の詩シリーズおよびTVアニメ版の﹃ズッコケ三人組﹄における﹃ズッコケ時間漂流記﹄︵源内役‥藤岡弘︵ドラマ版︶、松山鷹志︵アニメ版︶︶や、アニメ﹃落語天女おゆい﹄︵源内役‥てらそままさき︶、同じくアニメ版﹃あんみつ姫﹄などの映像化作品がある。﹃それいけ!アンパンマン﹄ではからくりぐんないという発明家のキャラクターが登場する。漫画[編集]
●石ノ森章太郎﹃平賀源内 解国新書﹄ 源内が田沼意次の一代記の著者として描かれている。 ●上村一夫﹃春の嵐﹄ ●みなもと太郎﹃風雲児たち﹄田沼時代編 蘭学者たちのオピニオン・リーダーの一人として描かれており、自らに対して時代があまりにもついてこないことに苦悩する天才として描かれる。 ●水木しげる﹃東西奇ッ怪紳士録﹄ ステレオタイプ的歴史観に基づいた形で奇人として取り上げられている。 ●碧也ぴんく﹃鬼外カルテシリーズ﹄ 虚空を彷徨い、現代を生きる鬼外というキャラクターとして描かれている。﹁シリーズ其ノ14︵最終章︶﹂では鬼外︵平賀源内︶を主人公とした物語が展開する。 ●星野之宣﹃鎖の国﹄ 科学者と戯作者の兄弟という形で源内二人説を描いている。 ●よしながふみ﹃大奥﹄ 第八巻から登場。男装の女性として描かれている。 ●長谷垣なるみ﹃利根川りりかの実験室﹄︵原作‥青柳碧人︶ ﹁NOTE 8. 命短し、夢見よ乙女﹂で登場。 ●仲間りょう﹃磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜﹄ ●黒沢明世/横内謙介﹃奇想天外☆歌舞音曲劇 げんない﹄ ●冬目景﹃黒鉄 KUROGANE﹄ 主人公の迅鉄をサイボーグにしたのが源内をモデルとした源吉という蘭学者。 ●空知英秋﹃銀魂﹄ ﹁江戸一番の発明家﹂を自称するカラクリ技師平賀源外として登場。ゲーム[編集]
●カプコン﹃えどたん﹄ ●彩京﹃戦国エース﹄ - 彼をモチーフにした﹁平乃源内﹂というキャラクターが登場する。 ●ビクター インタラクティブ ソフトウエア﹃大江戸ルネッサンス﹄ - 彼の発明により江戸を発展させる幕府運営ゲーム。 ●元気﹃任侠伝 渡世人一代記﹄ - 源内を護衛する任務があり、あるキャラクターを仲間にするための重要なフラグとなる。 ●セガ﹃英傑大戦﹄ - エレキテルからの発想で、雷によるダメージを与える武将として紫軍に追加された。演劇[編集]
●井上ひさし作﹃表裏源内蛙合戦﹄ 1970年に熊倉一雄演出、山田康雄主演でテアトル・エコー新装杮落しとして初演された。膨大な資料を駆使し言葉遊びを極めた音楽劇で、センセーショナルな評判を集め、戯曲がすぐに新潮社から出版されるという異例の展開となった。1992年にも安原義人主演で恵比寿に移転した同劇場の杮落としとして再演されている。2008年には作者が戯曲に改訂を施し、蜷川幸雄演出、上川隆也主演でBunkamuraシアターコクーン他で上演された。 ●作・作詞・演出/横内謙介、作曲/深沢桂子、振付/ラッキィ池田・彩木エリ 坊っちゃん劇場第8作﹃奇想天外☆歌舞音曲劇﹁げんない﹂﹄-主演:神敏将、宮川浩(共に坊っちゃん劇場版)、三重野葵(わらび座、全国公演版)。2013年4月13日から2014年3月16日まで、坊っちゃん劇場にて上演。 ●ミュージカル﹃げんないー直武を育てた男﹄︵わらび座︶ドラマCD[編集]
●﹃源内妖変図譜﹄︵源内役‥関智一︶脚注[編集]
(一)^ abcdefgh小田 2001, p. 191
(二)^ 逢沢明﹃結果が出る発想法 アイデアはいかにして生まれるのか﹄PHP研究所、2008年、29頁。ISBN 9784569697710。
(三)^ “文庫08 A0256 平賀源内肖像 / 中丸精 写”. 古典籍総合データベース. 早稲田大学図書館. 2021年11月1日閲覧。 “著者/作者 中丸 精十郎, 1841-1896”
(四)^ ab小田 2001, p. 188
(五)^ ab小田 2001, p. 190
(六)^ さぬき市文化財保護協会志度支部 - 平賀源内記念館と平賀源内旧邸 2013年2月9日閲覧
(七)^ 田尻, 佐 編﹁平賀源内﹂﹃贈位諸賢伝﹄ 2巻、国友社、東京、1927年7月30日、365頁。doi:10.11501/1915586。 NCID BN09957819。NDLJP:1915586。
(八)^ ﹃平賀源内墓﹄ - コトバンク
(九)^ 二宮隆雄﹃戦いの哲学勝利の条件﹄PHP研究所、2008年、294頁。ISBN 9784569669915。
(十)^ abc高田誠二. “温度概念と温度計の歴史”. 日本熱測定学会. 2019年11月22日閲覧。
(11)^ ﹁世界大百科事典内の︽長枕褥合戦︾の言及﹂﹃世界大百科事典﹄平凡社、コトバンク。2023年4月5日閲覧。
(12)^ 平賀源内記念館
(13)^ ﹃平賀源内記念館﹄ - コトバンク
参考文献[編集]
- 中村幸彦校注 『風来山人集』〈『日本古典文学大系』55〉 岩波書店、1961年
- 平賀源内先生顕彰会編 『平賀源内全集』(全二巻) 名著刊行会、1970年
- 小田晋『歴史の心理学 日本神話から現代まで』日本教文社、2001年。ISBN 4-531-06357-0。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 平賀源内記念館
- 平賀源内記念館 | 平賀源内の世界 - 平賀源内年譜ほか
- 『平賀源内』 - コトバンク