東作誌

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21689西西 [ 1]稿41691西101697

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脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 天和2年(1682年)から元禄11年(1698年)までは、幕命により久米南条郡・久米北条郡が久米郡に、勝南郡・勝北郡が勝田郡に統合されていたため、双方五郡ずつである。加えて、分割された苫田郡が苫北郡・苫南郡・苫西郡・苫東郡と呼ばれたのはこの時期だけで、再び、苫北郡が東北条郡、苫東郡が東南条郡、苫南郡が西北条郡、苫西郡が西西条郡に戻されたため、正木の作成した東作誌では東南条郡・東北条郡・勝南郡・勝北郡・吉野郡・英田郡となって、両者で齟齬を生じている。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 矢吹金一郎(校)『新訂作陽誌』 作陽古書刊行會 1913年9月10日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]