松下芳男
松下 芳男︵まつした よしお、1892年︿明治25年﹀5月4日 - 1983年︿昭和58年﹀4月9日︶は、日本陸軍の軍人︵陸軍中尉︶・軍事評論家・軍事史家。﹁明治軍制史論﹂で法学博士︵東京大学[1]︶。新潟県新発田町︵新発田市︶出身。
人物[編集]
祖父は越後長岡藩藩士[2]、父は陸軍少佐松下亀蔵である。松下はその長男として生まれる。松下の長男は東京大学教授[3]。小学校時代の友人の兄に大杉栄がおり、大杉の死の直前まで交友があった。新発田中学、仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、大正2年︵1913年︶に陸軍士官学校を卒業︵25期︶。士官学校の同期には武藤章・富永恭次・田中新一らがいる。 同年、陸軍歩兵少尉となり、弘前の歩兵第52連隊に配属される。大正6年︵1917年︶、陸軍歩兵中尉。大正9年︵1920年︶6月、大杉栄の紹介で知り合った友愛会幹部に送った私信がもとで、﹁東京日日新聞﹂に﹁社会主義に共鳴﹂した将校として報じられ、7月に田中義一陸軍大臣の指示で停職処分となる。 同年9月、日本大学に入学︵1924年、法文学部卒業︶。大正10年︵1921年︶より同13年︵1924年︶まで、星島二郎・片山哲らが経営していた﹁中央法律新報﹂の編集長となる。この頃、軍縮問題に関心を持ち、軍備縮小同志会を訪ねる。そして、河野恒吉の紹介で水野廣徳と知り合い、その平和主義思想に多大な影響を受けた。師と仰いだ水野との親交は、昭和20年︵1945年︶に水野が亡くなるまで続いた。その一方で尾佐竹猛の誘いで明治文化研究会などに参加、近代日本軍事史の研究に着手することになる。 戦時中は、日本大学講師・教育総監部嘱託を務める。戦後は軍事史研究に専念し、従来表ざたになっていなかった事柄を明らかにしている[4]。昭和28年︵1953年︶から同45年︵1970年︶まで工学院大学教授を務めた。著書[編集]
●﹃剣執る身にペン執りて﹄︵忠誠堂、1921年︶ ●﹃資本主義と戦争﹄︵文化学会出版部、1925年。復刻‥日本図書センター、2002年︶ ●﹃無産階級と国際戦﹄︵科学思想普及会、1925年︶ ●﹃国防と軍備﹄︵日本労働総同盟、1926年︶ ●﹃非常時に躍る軍部の人物展望﹄︵大道書院、1934年︶ ●﹃陸海の将星展望﹄︵香川書店、1936年︶ ●﹃我等の国防と軍備﹄︵田中誠光堂、1941年︶ ●﹃徴兵令制定史﹄︵内外書房、1943年。増補版‥五月書房、1981年︶ ●﹃明治大正反戦運動史﹄︵草美社、1949年︶ ●﹃水野広徳﹄︵四州社、1950年。現代語訳・前坂俊之編‥雄山閣、1993年︶ ●﹃反戦運動史﹄︵元々社︿民族教養新書﹀、1954年︶ ●﹃明治軍制史論﹄︵有斐閣、1956年。改訂‥国書刊行会、1978年︶ ●﹃乃木希典﹄︵吉川弘文館︿人物叢書﹀、1960年︶ ●﹃明治の軍隊﹄︵至文堂︿日本歴史新書﹀、1963年︶ ●﹃日本軍事史叢話﹄︵土屋書店、1963年︶ ●﹃日本軍事史実話﹄︵土屋書店、1966年︶ ●﹃山紫に水清き﹄︵仙幼会、1973年︶ ●﹃日本陸海軍騒動史﹄︵土屋書店、1974年︶ ●﹃日本軍閥の興亡﹄︵芙蓉書房、1975年。新装版‥﹃日本軍閥興亡史﹄上・下、芙蓉書房出版、2001年︶ ●﹃日本軍事史説話﹄︵土屋書店、1975年︶ ●﹃これは無礼・失礼﹄︵土屋書店、1976年︶ ●﹃暴動鎮圧史﹄︵柏書房、1977年︶ ●﹃日本軍事史雑話﹄︵土屋書店、1977年︶ ●︵田中新一他︶﹃田中作戦部長の証言﹄︵芙蓉書房、1978年︶ ●﹃日本軍事史閑話﹄︵土屋書店、1979年︶脚注[編集]
- ^ “明治軍制史論 松下芳男”. 国立国会図書館. 2014年6月7日閲覧。
- ^ 松下芳男『日本軍事史説話』288頁
- ^ 松下芳男『日本軍事史雑話』195頁
- ^ 海軍史研究会編『日本海軍の本』(自由国民社)30頁