松浦為王
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松浦為王 (まつうらいおう) | |
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誕生 |
松浦磐 1882年1月8日 神奈川県横浜市 |
死没 | 1941年12月15日(59歳没) |
職業 | 俳人 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 横浜商業学校卒業 |
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松浦 為王︵まつうら いおう、1882年︵明治15年︶1月8日 - 1941年︵昭和16年︶12月15日︶は、日本の俳人。本名は磐。
人物[編集]
神奈川県横浜市生まれ[1][2][3]。横浜商業学校を卒業後、横浜正金銀行に勤務[1]。 ﹁ホトゝギス﹂創刊のころより、高浜虚子、内藤鳴雪に師事[1][3]。横浜に、ホトトギス派の句会・連友会を組織した[1][3]。 1928年︵昭和3年︶5月、俳句雑誌﹁俳人﹂を創刊主宰[1][3][4]。“深刻なる句、平明なる句、気迫の籠りたる句”を標榜、首唱し[1][3]、杉本禾人、浜井武之助らが参加した[5]。1936年︵昭和11年︶、通巻100号をもって終刊[4]。 編著に﹃太祇百句評釈﹄、﹃鳴雪俳句集﹄がある[1][3]。 画家で正岡子規門下の俳人でもあった下村為山に絵画を学び、長唄も嗜んだ[1][3]。代表句[編集]
- 鉾ひきや角まで飾る牛の声
- 茶屋の灯を牡蠣船かけて飾るかな
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 安住敦ほか編『現代俳句大辞典』明治書院,1980
- 尾形仂ほか編『俳文学大辞典』角川書店,1995 ISBN 404022700X
- 稲畑汀子ほか編『現代俳句大事典』三省堂,2008 ISBN 9784385154237