板倉勝憲
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板倉 勝憲︵いたくら かつのり、明治4年9月24日︵1871年11月6日︶ - 昭和3年︵1928年︶7月29日︶は、日本の華族で貴族院議員、子爵。板倉勝達の長男。子に板倉勝朝、野﨑丹斐太郎妻︵長女︶。
経歴[編集]
1898年︵明治31年︶、東京帝国大学法科大学を卒業後日本郵船に入り、ロンドン支店勤務、本社詰などを務める。その後、鈴木商店顧問として台湾詰となり、さらに台湾総督府の専売局、土木局などの嘱託として勤務した。 1913年︵大正2年︶11月10日、父の死去に伴い子爵を襲爵[1]。 1917年︵大正6年︶7月7日、貴族院議員補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[2]、研究会に所属し1928年7月29日の死去まで在任[3]。 また大正年間には福島競馬倶楽部の顧問も務め[4]、臨時法制審議会臨時委員などを務めた。栄典[編集]
著述[編集]
- 『既成政党撲滅論』町田弘刊、昭和2年。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『日本人名大辞典』(講談社刊)
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
日本の爵位 | ||
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先代 板倉勝達 |
子爵 (福島)板倉家第2代 1913年 - 1928年 |
次代 板倉勝朝 |