柴籬神社
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柴籬神社 | |
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社殿遠景 | |
所在地 | 大阪府松原市上田7丁目12番22号 |
位置 | 北緯34度34分19.39秒 東経135度33分33.4秒 / 北緯34.5720528度 東経135.559278度座標: 北緯34度34分19.39秒 東経135度33分33.4秒 / 北緯34.5720528度 東経135.559278度 |
主祭神 |
反正天皇 菅原道真 依羅宿禰 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 伝・5世紀後半 |
地図 |
柴籬神社︵しばがきじんじゃ︶は大阪府松原市上田7丁目にある神社で、旧社格は村社である[1]。
柴籬神社、布忍神社、我堂八幡宮、屯倉神社、阿保神社︵ここまで松原市︶、阿麻美許曽神社︵大阪府東住吉区︶の6社で﹁開運松原六社参り﹂を行っている[2]。
祭神
[編集]- 正殿
- 反正天皇 - 別名を瑞歯別命(ミズハワケノミコト)という。
- 相殿
- 菅原道真
- 依羅宿禰
歴史
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神社の所在する字反正山︵松原市上田︶は、18代天皇である反正天皇の都跡︵丹比柴籬宮︶とされており、神社は仁賢天皇の勅命により5世紀後半に創建されたと伝えられている[3][4]。なお、大和王朝の宮が初めて河内に初めておかれたとされている[5]。
元禄の古文書によると、永禄年間に観念寺の秀盛が開基したとされる。江戸時代には広庭神社と称し、広場山観念寺と呼ばれる神宮寺があったが[6]、慶長年間に火事でなくなり、寛永年間に観念寺の住持二世である覚夢が再興した[7]。
1872年︵明治5年︶に村社として列せられ、明治41年には新饌幣帛科供進社に指定された[3][8]。
現在の本殿は1977年︵昭和52年︶の再建であるが、幣殿・拝殿は寛永期のものである[9]。現在は反正天皇の﹁瑞歯別尊﹂と呼ばれた美しい歯並びの伝承により、歯の神様として信仰されている[4]。
なおこの地は上田町遺跡︵うえだちょういせき︶に含まれており[10]、古墳時代の竪穴建物跡、土器、埴輪が発見されている[5]。
ギャラリー
[編集]-
境内入口
-
はがみ社
-
大歳社
現地情報
[編集]- 所在地
- 交通アクセス
脚注
[編集]出典
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(一)^ 関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告︵二︶大阪府-大阪府 北河内郡・中河内郡・南河内郡-︵PDF︶2019年1月5日 閲覧
(二)^ 開運松原六社参り 松原市観光協会
(三)^ ab井上, 正雄﹃大阪府全志 巻之4﹄大阪府全志発行所、1922年、685頁。
(四)^ ab柴籬神社 | かつての都には意外なご利益があった!〜松原市 柴籬神社 アクセス 御朱印〜 - わくわく南河内2019年1月5日 閲覧
(五)^ ab西田, 孝司 著、松原市教育委員会 編﹃市制施行60周年記念 松原歴史ウォーク 2南東コース﹄松原市教育委員会、2015年10月、14-15頁。
(六)^ 松原市史編さん委員会 編﹃松原市史 第2巻 (本文編2)﹄松原市、2008年3月、128頁。 NCID BN05053961。
(七)^ 池下裕造、出水睦己﹃松原市の史蹟︵松原編︶﹄松原市教育委員会、松原市郷土史研究会、1972年、60頁。
(八)^ 池下裕造、出水睦己﹃松原市の史蹟︵松原編︶﹄松原市教育委員会、松原市郷土史研究会、1972年、59頁。
(九)^ 西田, 孝司﹃松原の神社‥ふるさと松原﹄松原市教育委員会、松原、1987年2月、11頁。 NCID BB12764229。
(十)^ 松原市教育委員会事務局教育総務部文化財課. “上田町遺跡”. 松原市. 2023年11月21日閲覧。