梁田郡
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郡域[編集]
1878年︵明治11年︶に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。 ●足利市︵荒金町、藤本町、新宿町、里矢場町、南大町を除く渡良瀬川以南︶歴史[編集]
近代以降の沿革[編集]
●﹁旧高旧領取調帳﹂に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は真岡代官所が管轄。●は村内に寺社領が存在。︵29村︶知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 旗本領 | 18村 | 野田村、茂木村、高松村、久保田村、梁田村[1]、塩島村、南猿田村、羽刈村、島田村、堀込村、南友之郷、北友之郷、中里村、和泉村、八木宿村[2]、上渋垂村、●八幡村、借宿村 |
藩領 | 美濃高富藩 | 4村 | 荒萩村、小生川村、県村、百頭村 |
幕府領・藩領 | 旗本領・下野足利藩・高富藩 | 2村 | 小曽根村、田中村 |
旗本領・足利藩 | 1村 | 加子村 | |
旗本領・下総古河藩 | 3村 | 下渋垂村、神明村、朝倉村 | |
旗本領・土佐高知新田藩 | 1村 | 日向村 |
●明治初年 - 領地替えにより田中村を除く全域が上野館林藩領となる。また、田中村の旗本領が足利藩領となる。
●1871年︵明治4年︶
●7月14日︵1871年8月29日︶ - 廃藩置県により藩領が館林県、足利県、高富県の管轄となる。
●10月28日︵1871年12月10日︶ - 第1次府県統合により群馬県︵第1次︶が発足。館林県の管轄地域を管轄。
●11月14日︵1871年12月25日︶ - 第1次府県統合により全域が栃木県の管轄となる。
●1874年︵明治7年︶︵1町20村︶
●日向村・荒萩村が合併して瑞穂野村となる。
●県村・百頭村が合併して高富村となる。
●南友之郷・北友之郷・中里村・和泉村・八木宿村が合併して福居町となる。
●茂木村が野田村に、加子村が久保田村にそれぞれ編入。
●1875年︵明治8年︶ - 塩島村・小生川村・南猿田村・神明村が合併して福富村となる。︵1町17村︶
●1878年︵明治11年︶11月8日 - 郡区町村編制法の栃木県での施行により、行政区画としての梁田郡が発足。足利郡足利町に﹁足利梁田郡役所﹂が設置され、足利郡とともに管轄。
11.梁田村 12.久野村 13.御厨村 14.筑波村 15.山 辺村 ︵紫‥足利市。1 - 9は足利郡︶
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。全域が現足利市。︵5村︶
●梁田村 ← 梁田村、福富村、下渋垂村
●久野村 ← 久保田村、野田村、瑞穂野村
●御厨村 ← 福居町、島田村、上渋垂村、高富村の一部︵旧百頭村︶
●筑波村 ← 羽刈村、小曽根村、高松村、高富村の一部︵旧県村︶
●山辺村 ← 堀込村、借宿村、田中村、朝倉村、八幡村
●1896年︵明治29年︶4月1日 - 足利郡・梁田郡の区域をもって、改めて足利郡を設置。同日梁田郡廃止。
行政[編集]
詳細は「足利郡#行政」を参照
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 9 栃木県、角川書店、1984年11月1日。ISBN 4040010906。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目[編集]
先代 ----- |
行政区の変遷 1878年- 1896年 梁田郡 |
次代 足利郡 |