江戸千太郎
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江戸 千太郎︵えど せんたろう、1884年5月17日[1] – 1938年4月7日[2]︶は、日本の外交官。
略歴[編集]
福井県三方郡三方町横渡、江戸勘四郎家の長男として出生。 1904年︵明治37年︶3月、旧制小浜中学校卒業、早稲田大学英文学科、東京帝国大学選科︵国史︶に学ぶ。 1918年︵大正7年︶、外交官補試験に合格、外務省入省。1919年︵大正8年︶領事館補。1925年︵大正14年︶より領事として青島、漢口︵中国︶、リバプール︵イギリス︶、バンクーバー︵カナダ︶等に勤務。1931年︵昭和6年︶より外務省文化事業部第二課長、第一課長兼文部書記官歴任。 1935年︵昭和10年︶、ハンブルク︵ドイツ︶総領事。1938年︵昭和13年︶4月、天津︵中国︶総領事に赴任することとなっていたが、ドイツ・ベルリンからブレーメンに向かう途中、交通事故により死去[3]。 浜中の同級生に三宅正三︵大阪市助役︶、遠藤常寿︵神戸地検検事正︶、杉生糺︵名古屋高裁長官︶、名和克郎らがいる。著書[編集]
- 受験者の覚え易き日本地理
- 受験者の覚え易き日本歴史
- 受験者の覚え易き西洋歴史