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清水喜助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  婿

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17833 - 185968658 

1804)2118389西婿18492

1851418585200185965

主な作品[編集]

二代 清水喜助清矩[編集]

二代 清水 喜助清矩
生誕 藤沢 清七
1815年11月
越中国礪波郡井波
死没 1881年8月9日
墓地 谷中霊園
国籍 日本の旗 日本
職業 大工、事業家
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18151211 - 18811489

20km西22西婿43[1]

18611862西18662使1870314618596

18633殿1881142調8967[1]

主な作品[編集]

 建造物名 所在地 現況 備考
/三圍稲荷内社殿 1863年(文久3年) 13東京都墨田区 現存 模造したものが清水建設本社に蔵されている。
/築地ホテル館 1868年(慶応4年) 13東京都中央区 現存せず
/第一国立銀行 1872年(明治5年) 13東京都千代田区 現存せず 海運橋三井組、1898年取り壊し。辰野金吾が移築保存を主張したとされる。
/駿河町三井組 1874年(明治7年) 13東京都中央区 現存せず 1897年取り壊し。
/深川渋沢栄一邸和館 1878年(明治11年) 東京都江東区 現存 渋沢栄一が初めて建てた邸宅。深川で伝染病が流行したため、三田綱町に移築され、戦後は国に寄贈され蔵相公邸などとして使用された[2]。老朽化で解体の危機となるが、1991年に渋沢家の書生だった杉本行雄に払い下げられ、青森県古牧温泉渋澤公園内に移築される。喜助が手がけた現存する唯一の建物であるため、清水建設が買い取ることになり、東京都江東区潮見の新たな研究開発拠点内に移築し、2024年に一般公開を予定する[3]

脚注[編集]

関連項目[編集]

  • 小栗忠順-築地ホテル館の発案・主導者、三野村利左衛門の旧主。