渡辺津

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天神橋(渡辺津の推定地)
石山本願寺推定地

沿西

[]






殿16退Osaka Metro[1][1]

補説[編集]

久太郎町四丁目渡辺」の街区表示板
  • 中之島を渡る四つ橋筋の橋に「渡辺橋」があるが、これは渡辺津の繁栄にちなみ江戸時代につけられた名前で、渡辺津のあった場所からは若干下流に当たる。
  • 上記、坐摩神社のある場所も「渡辺」というが、ここも豊臣秀吉によって渡辺の地名ごと現在地に移転させられたもので本来の渡辺津からは離れている。現在の住所は大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺だが、1988年昭和63年)の地名変更まではここを渡辺町といっていた。渡辺の名のルーツが消えるのに反対する運動が渡辺氏の末裔の間で起こり、結局丁目の後ろの街区の代わりに渡辺の名が残ることになった。

脚注[編集]

  1. ^ a b 中沢新一『大阪アースダイバー』講談社2012年、220-236頁

参考文献[編集]

  • 大阪府史 第三巻 中世編1 1979年 大阪府 P258 「渡辺の津」
  • 「第一章 中世渡辺津の形成過程-平安時代の難波-」大坂府の中世前期 河音能平 2002年 清文堂出版株式会社

関連項目[編集]