片平巧
表示
個人情報 | |
---|---|
国籍 | ![]() |
生誕 | 1965年6月14日 埼玉県 |
死去 | 2015年5月20日(49歳没) |
身長 | 166.6 cm (5 ft 6 in) |
体重 | 57.0 kg (126 lb) |
スポーツ | |
競技 | オートレース |
クラブ | 船橋オートレース場 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/de/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84.jpg/240px-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84.jpg)
選手データ[編集]
●プロフィール ●選手登録 1985年6月27日 ●身長 166.6cm ●体重 57.0kg ●血液型 A型 ●趣味 その他の趣味 ●同期レーサー 岡部聡︵山陽︶など ●戦歴 ●通算優勝回数:80回 ●グレードレース︵SG,GI,GII︶優勝回数:45回︵飯塚将光とともに史上第3位タイ︶ ●全国区レース優勝回数:20回︵高橋貢・永井大介に次ぐ史上第3位、SG15回・全国地区対抗戦5回︶ ●SG優勝回数:15回 ︵高橋貢に次ぐ史上第2位︶ ●GI優勝回数:16回 ●GII優勝回数:14回︵島田信廣とともに史上第3位タイ︶ ●年間最多優勝選手:2回 ●年間最多勝利選手:1回 ●受賞歴 ●最優秀選手賞:3回︵うち1回は島田信廣と同時受賞︶ ●日刊三賞・殊勲賞:2回 ●日本プロスポーツ大賞・功労賞:2回略歴[編集]
●1985年 ●6月27日、第19期生として船橋オートレース場に登録される。 ●1987年 ●5月28日、第9回さざんか杯争奪戦︵現・GIIさざんかカップ争奪戦、船橋オートレース場︶優勝。当時の競走車呼名は﹁スプリーセン﹂。競走タイムは3.40。 ●1988年 ●7月21日、第11回黒潮杯争奪戦︵船橋オートレース場︶優勝。当時の競走車呼名は﹁レネン﹂。競走タイムは3.408。 ●同年のオートレース表彰選手において、優秀選手賞を受賞。 ●1990年 ●11月6日、第22回日本選手権オートレース︵山陽オートレース場︶で、秋田敬吾︵5期、山陽オートレース場所属︶、進藤敏彦︵12期、山陽オートレース場所属︶、飯塚将光︵9期、船橋オートレース場所属︶に次ぎ史上4人目となる完全優勝を飾る。当時の競走車呼名は﹁クランツ﹂。競走タイムは3.351。 ●1991年 ●9月17日、第3回全国地区対抗戦オートレース︵山陽オートレース場︶A級優勝戦優勝。当時の競走車呼名は﹁クランツ﹂。 ●1993年 ●11月4日、第25回日本選手権オートレース︵川口オートレース場︶優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.384。 ●同年のオートレース表彰選手において、特別賞を受賞。 ●1994年 ●9月7日、第6回全国地区対抗戦オートレース︵川口オートレース場︶A級優勝戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。 ●11月7日、第26回日本選手権オートレース︵浜松オートレース場︶で、飯塚将光に次ぎ史上2人目となる連覇を達成。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.376。 ●同年のオートレース表彰選手において、最優秀選手賞・特別賞を受賞。 ●島田信廣︵11期、船橋オートレース場所属︶と共に年間最多優勝を達成。 ●1995年 ●同年の前期船橋A1となる。 ●1月31日、第9回スーパースター王座決定戦︵川口オートレース場︶優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.384。 ●5月24日、SG第14回オールスターオートレース優勝。当時の競走車呼名は﹁Jキブロワイト﹂。競走タイムは3.395。 ●同年のオートレース表彰選手において、2年連続で最優秀選手賞を受賞。 ●1996年 ●同年の前期船橋A1となる。 ●2月13日、SG第9回全日本選抜オートレース︵伊勢崎オートレース場︶を優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.333。SG3冠達成。 ●3月6日、SG第10回スーパースター王座決定戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.361。 ●6月12日、SG第15回オールスターオートレース︵浜松オートレース場︶で、SG3連覇及び史上初のオールスター連覇を達成。当時の競走車呼名は﹁ファンターズマ﹂。競走タイムは3.353。 ●9月25日、GI第8回全国地区対抗戦オートレース︵飯塚オートレース場︶A級優勝戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.386。 ●同年のオートレース表彰選手において、島田信廣と共に最優秀選手賞をダブル受賞。 ●1997年 ●1月29日、SG第11回スーパースター王座決定戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.335。 ●7月2日、開場32周年記念GI平成チャンピオンカップ︵山陽オートレース場︶優勝。 ●7月16日、SG第1回東西チャンピオンカップ︵浜松オートレース場︶優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.387。 ●9月24日、GI第9回全国地区対抗戦オートレース︵山陽オートレース場︶A級優勝戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.363。 ●同年の前期・後期ともに船橋A1となる。 ●同年のオートレース表彰選手において、特別賞受賞。 ●この年、小林啓二︵8期、山陽オートレース場所属︶、高橋貢︵22期、伊勢崎オートレース場所属︶と共に年間最多優勝を飾る。 ●1998年 ●3月4日、SG第12回スーパースター王座決定戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.364。 ●10月14日、GIオート発祥48周年記念オート祭︵船橋オートレース場︶優勝。 ●12月17日、SG第2回オートレースグランプリ(川口オートレース場)優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト1﹂。競走タイムは3.366。史上初のSG6冠グランドスラムを達成。 ●1999年 ●3月25日、GI開設47周年記念グランプリレース︵川口オートレース場︶優勝。 ●9月1日、GI第11回全国地区対抗戦オートレース︵船橋オートレース場︶A級優勝戦優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト5﹂。競走タイムは3.365。全国地区対抗戦最多、通算5度目の優勝。 ●2000年 ●6月14日、開場35周年記念GI第6回平成チャンピオンカップ︵山陽オートレース場︶優勝。 ●7月13日、GI第23回黒潮杯争奪戦︵船橋オートレース場︶優勝。 ●7月20日、GI第24回キューポラ杯争奪戦︵川口オートレース場︶。 ●12月13日、SG第4回オートレースグランプリ︵飯塚オートレース場︶優勝。当時の競走車呼名は﹁キブロワイト7﹂。競走タイムは3.300。 ●2001年 ●1月31日、SG第15回スーパースター王座決定戦優勝︵通算5回目︶。競走車﹁キブロワイト7﹂、競走タイムは3.325。 ●2月14日、SG第14回全日本選抜オートレース(山陽オートレース場)優勝。競走車呼名は﹁キブロワイト7﹂、競走タイムは3.318。2度目のSG3連覇と共に、当時史上最多のSG15冠を達成。[4] ●8月29日、GIダイヤモンドレース︵飯塚オートレース場︶優勝。 ●2006年 ●6月19日、プラスミックカップ争奪戦(船橋オートレース場)で三年半ぶりの優勝を飾る。 ●2007年 ●6月19日、第29回サマーランド杯争奪戦︵伊勢崎オートレース場︶で完全優勝を達成。 ●10月3日、スポーツニッポン新聞社杯GII第3回オート名匠戦︵川口オートレース場︶で、六年ぶりの記念レース優勝を飾る。競走車呼名は﹁キブロワイト﹂。競走タイムは3.603。 ●2009年 ●4月11日、開場44周年記念スポニチ杯GI第15回平成チャンピオンカップ︵山陽オートレース場︶第10Rで勝利し、史上18人目となる通算1000勝を達成。 ●2010年 ●10月4日、GII第6回オーバルチャンピオンカップ︵飯塚オートレース場︶で、三年ぶりの記念レース優勝を飾る。 ●2015年 ●5月20日、死去[2][5]。49歳没。死因は明らかにされていないが、前年の秋頃より病を患っていたという[6]。また、直前の5月10日まで船橋のGI・黒潮杯︵2日目まで。3日目以降は欠場︶に出場していた[7][8]。グレードレース戦歴[編集]
●SG戦歴 ●SG優勝回数:15回︵永井大介と並び、高橋貢に次ぐ史上第2位タイ︶ ●SG生涯グランドスラム︵現行の5冠に加え、廃止された東西チャンピオンカップも含む6冠。ほかに6冠制覇は高橋貢のみ[9]︶ ●SG単独最重ハンデ︵スーパーハンデ︶優勝︵舗装路︶:1回︵史上唯一︶ ●SG最重ハンデ大外優勝:5回︵高橋貢とともに史上最多タイ : 単独最重ハンデ含む︶ ●同一SG4連覇:1回︵島田信廣に次ぐ史上2人目、スーパースター王座決定戦:1995年第9回~1998年第12回︶ ●SG3連覇:2回︵島田信廣・永井大介とともに史上最多タイ、島田信廣に次ぐ史上2人目︶ ●SG完全優勝:1回︵史上4人目:第22回日本選手権︶ ● 全日本選抜オートレース '96, '01 2回 ● スーパースター王座決定戦 '95, '96, '97, '98, '01 5回 ● オートレースグランプリ '98, '00 2回 ● 東西チャンピオンカップ '97 1回 ● オールスター・オートレース '95, '96 2回 ● 日本選手権オートレース '90, '93, '94 3回 ●GI戦歴 ●GI優勝回数:16回 ● ダイヤモンドレース︵飯塚︶ '94, '01 2回 ● 平成チャンピオンカップ︵山陽︶ '97, '00 2回 ● 黒潮杯争奪戦︵船橋︶ '88, '90, '99, '00 4回 ● 開設記念グランプリレース︵川口︶ '99 1回 ● 全国地区対抗戦︵A級︶ '91, '94, '96, '97, '99 5回 ● オート発祥記念船橋オート祭︵船橋︶ '98 1回 ● グランドチャンピオン決定戦︵川口︶ '94 1回 ●GII戦歴 ●GII優勝回数:14回︵島田信廣とともに史上第3位タイ︶ ● オーバルチャンピオンカップ︵飯塚︶ '10 1回 ● オート名匠戦︵川口︶ '07 1回 ● 日刊スポーツ・キューポラ杯争奪戦︵川口︶ '00 1回 ● はやて賞争奪戦︵伊勢崎︶ '94, '96, '97 3回 ● 日刊スポーツ・さざんか杯︵船橋︶ '87, '95 2回 ● ウインターカップ︵船橋︶ '94, '95 2回 ● スポニチ杯争奪選抜地区対抗戦︵山陽︶ '94 1回 ● 春のスピード王決定戦︵浜松︶ '93 1回 ● サンケイスポーツ・まがたま杯争奪戦︵川口︶ '92 1回 ● 中日スポーツ杯争奪サマーチャンピオン決定戦︵浜松︶ '88 1回関連項目[編集]
●オートレース選手一覧脚注[編集]
(一)^ ab“オートレーサー片平巧さん急死、49歳SG歴代2位15勝のカリスマ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年5月21日) 2015年6月6日閲覧。
(二)^ ab天才オートレーサー片平巧さん死去 日刊スポーツ 2015年5月20日閲覧
(三)^ “︻オートレース︼﹁高速イン走法﹂でSG15勝の片平巧選手が死去49歳”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2015年5月20日) 2015年6月6日閲覧。
(四)^ 2010年に高橋貢がSG16回優勝を達成し、記録は更新されている。
(五)^ オートレーサー片平巧さん死去 SG15勝、49歳 スポーツニッポン 2015年5月20日閲覧
(六)^ “片平巧さんの急死から一夜 多くのファンが悼む”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2015年5月21日) 2015年6月6日閲覧。
(七)^ ︻オート︼SGV15の片平巧選手が急死 - デイリースポーツ・2015年5月23日
(八)^ 片平選手死去“セアの申し子”SG通算15V - 西日本新聞・2015年5月21日
(九)^ その他、東西チャンピオンカップを除く5冠は、2010年に永井大介、2011年に浦田信輔、2016年に中村雅人、2021年に青山周平がそれぞれ達成。
外部リンク[編集]
- 片平巧プロフィール・戦歴 - AutoRace.JP