下館シネマ1
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下館シネマ1 Shimodate Cinema 1 | |
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下館シネマ1の映画館跡(2020年5月) | |
情報 | |
旧名称 | 下館第一劇場 |
開館 | 1956年12月17日 |
閉館 | 2005年12月 |
収容人員 | 300[1]人 |
用途 | 映画上映 |
運営 | モリコーポレーション株式会社 |
所在地 |
〒308-0031 茨城県下館市田中町丙192-2 (現在の筑西市田中町丙192-2) |
位置 | 北緯36度18分21.2秒 東経139度58分48.1秒 / 北緯36.305889度 東経139.980028度座標: 北緯36度18分21.2秒 東経139度58分48.1秒 / 北緯36.305889度 東経139.980028度 |
最寄駅 | JR・真岡鐵道・関東鉄道下館駅 |
下館シネマ1︵しもだてシネマワン︶は、かつて茨城県下館市田中町丙192-2︵現在の筑西市田中町丙192-2︶にあった映画館。旧称は下館第一劇場︵しもだてだいいちげきじょう︶。
旧下館市街地にあり﹁映画の街﹂の象徴になっていた[2]。映画館閉館後も、各種ドラマや映画のロケ地として運用されたが、2023年︵令和5年︶に建物は解体予定とされた[2]。
歴史[編集]
下館第一劇場が茨城県から興行許可を受けたのは1956年︵昭和31年︶12月17日のことである[3]。こけら落としには若尾文子が招かれた[2]。1960年︵昭和35年︶時点ではすでに下館第一劇場として営業している[4]。 1977年︵昭和52年︶7月30日には下館映画劇場・下館ミラノ座も営業許可を受けた[3]。1980年︵昭和55年︶時点では下館第一劇場という名称だったが[5]、1985年︵昭和60年︶に創業者の孫夫妻が経営を引き継ぎ以後は﹁下館シネマ1﹂という名称になった[2][6]。改称後の同年12月7日に﹃バック・トゥ・ザ・フューチャー﹄[2]が公開され大ヒットすると、﹃トップガン﹄﹃スタンド・バイ・ミー﹄﹃ジュラシック・パーク﹄﹃タイタニック﹄等といった洋画の話題作が多数上映され[2][7][1]、特に﹃タイタニック﹄は映画館前の歩道に長い行列が出来る程の大ヒットとなった[1]。 2000年︵平成12年︶時点で下館市には下館シネマ1のほかに下館シネマズシアター︵下館映画劇場・下館ミラノ座・下館オスカーの3館︶計4館が存在していた[8]。下館シネマズシアターは下館シネマ1から道路を挟んで北西のはす向かいにあった。 しかし茨城県内や栃木県内に相次いでオープンしたシネマコンプレックスとの競合で徐々に衰退した結果、2005年12月に閉館[2]。閉館後も映画﹃ザ・マジックアワー﹄など映画やドラマのロケ地として運用されたが、新型コロナウイルス感染症の影響で撮影使用頻度が低下したことや、老朽化が進んだことから2023年︵令和5年︶に建物は解体の予定であるとされた。[2][7][1]。ロケ地[編集]
- 2007年(平成19年) - 映画『ユメ十夜』(オムニバス映画)
- 2007年(平成19年) - 映画『魍魎の匣』(原田眞人監督)
- 2008年(平成20年) - 映画『ザ・マジックアワー』(三谷幸喜監督)[2]
- 2008年(平成20年) - 読売新聞テレビCM
- 2019年(令和元年) - ドラマ『トレース〜科捜研の男〜』(フジテレビ系列)
脚注[編集]
(一)^ abcd伊藤譲治 (2023年3月5日). “﹁映画の街﹂象徴する﹁下館シネマ1﹂取り壊しへ…一番の思い出は﹁タイタニック﹂、行列に﹁驚いた﹂”. 読売新聞 (読売新聞東京本社) 2023年12月30日閲覧。
(二)^ abcdefghi“茨城・筑西の下館シネマ1、解体を決断 閉館から18年﹁映画の街﹂象徴、終幕”. 茨城新聞 (茨城新聞社). (2023年2月17日) 2023年12月30日閲覧。
(三)^ ab興行場法に基づく許可施設一覧︵令和元年8月末日現在︶ 茨城県
(四)^ ﹃映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960﹄日本図書センター、1999年
(五)^ 日本映画製作者連盟配給部会﹃映画館名簿 1980年﹄時事映画通信社、1979年
(六)^ 日本映画製作者連盟配給部会﹃映画年鑑 1990年版別冊 映画館名簿﹄時事映画通信社、1989年
(七)^ ab出来田敬司 (2023年3月14日). “さよなら﹁下館シネマ1﹂筑西の旧映画館、老朽化で解体へ オーナー夫婦が67年間を回顧”. 東京新聞 (中日新聞社) 2023年12月30日閲覧。
(八)^ 日本映画製作者連盟配給部会﹃映画年鑑2000別冊 映画館名簿﹄時事映画通信社、1999年