玉屋町 (名古屋市)
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玉屋町 | |
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国 |
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都道府県 |
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市 |
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区 | 西区(現中区域) |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
ナンバープレート | 名古屋 |
玉屋町︵たまやちょう︶は、愛知県名古屋市中区︵当時は西区︶にあった地名。現在の丸の内の一部に相当する[1]。
歴史[編集]
地名の由来[編集]
清洲越しにより清洲の下本町︵しもほんまち︶が移転して成立したため、その名称で存在していたが、貞享4年に宝珠︵宝の玉︶に由来する玉屋町と改めたという[2][3]。沿革[編集]
●慶長16年 - 清洲越しにより、名古屋城下町において下本町として成立[2]。 ●貞享4年 - 町名が玉屋町となる[2]。 ●明治4年 - 鉄砲町の一部を編入する[1]。 ●1878年︵明治11年︶12月20日 - 名古屋区玉屋町となる[1]。 ●1889年︵明治22年︶10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市玉屋町となる[1]。 ●1908年︵明治41年︶4月1日 - 西区成立に伴い、同区玉屋町となる[1]。 ●1911年︵明治44年︶ - この年末、宅地一坪あたりの地価が市内で最高となる︵73円50銭︶[4]。市内平均は3円84銭4厘、最低は熱田前新田の4銭[4]。 ●1912年︵大正元年︶8月 - 豊国火災保険株式会社の名古屋出張所が置かれる[5]。 ●1928年︵昭和3年︶5月8日 - 4丁目に株式会社昭和銀行の名古屋支店が開設される[6]。 ●1929年︵昭和4年︶6月1日 - 西区御幸本町通に編入され、消滅[1]。人物[編集]
●小出庄兵衛[3] ●水口屋伝兵衛[3] ●小見山宗法[3] ●永楽屋東四郎[3] ●沼波瓊音[7]寺院[編集]
●聞安寺[2] ●覚正寺[2] ●理想寺[2]脚注[編集]
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 780.
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 814.
- ^ a b c d e 有限会社平凡社地方資料センター 1981, p. 154.
- ^ a b 名古屋市会事務局 1961, p. 396.
- ^ 名古屋市会事務所 1963, p. 182.
- ^ 名古屋市会事務局 1964, p. 152.
- ^ 日外アソシエーツ 2020, p. 1302.