瑠璃光院
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瑠璃光院 | |
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![]() 書院2階からの眺め | |
所在地 | 京都市左京区上高野東山55 |
位置 | 北緯35度03分48.3秒 東経135度48分31.0秒 / 北緯35.063417度 東経135.808611度座標: 北緯35度03分48.3秒 東経135度48分31.0秒 / 北緯35.063417度 東経135.808611度 |
院号 | 瑠璃光院 |
宗旨 | 浄土真宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
正式名 | 光明寺京都本院瑠璃光院[1] |
公式サイト | 八瀬 瑠璃光院公式サイト |
瑠璃光院︵るりこういん︶は、京都市左京区上高野にある寺院。岐阜市に本坊を置く﹁浄土真宗無量寿山光明寺﹂の支院で、本尊は阿弥陀如来。
もともと別荘として造営されたもので、1万2000坪の敷地[2]に数寄屋造りの建物と日本庭園を有する。通常は非公開であるが、春と秋に公開している︵2023年時点︶[3]。書院2階の机の天板に庭のカエデが映り込む光景で知られている[3]。
建物と庭園[編集]
もともとこの土地は、明治から大正期の実業家︵京都電燈などの創業者︶で政治家としても活躍した田中源太郎︵1853年 - 1922年︶が所有していた[4][5]。田中が当地に構えた庵に三条実美︵明治政府の太政大臣︶が﹁喜鶴亭﹂という命名をおこなった[4][2]。 田中の死後、この土地は京都電燈重役の個人別荘となった[4]。現在みられる建物と庭園は、大正末期から昭和にかけて造営されたものである[4][5]。数寄屋造りの建物は中村外二が手掛け、自然を借景とした庭園は佐野藤右衛門一統によるものとされる[2]。 京都電燈は、現在の叡山電鉄叡山本線や叡山ケーブルを開設し、これらの鉄道・軌道事業は1942年設立の京福電気鉄道に引き継がれた。別荘も京福電気鉄道の所有となり[4]、高級料理旅館﹁喜鶴亭﹂として営業していた[4][6]。 料理旅館が廃業することとなり、光明寺が買収[4]。本堂を設置し、光明寺より寺宝を移して[5]、2005年に寺院に改められた[4]。﹁喜鶴亭﹂の名は茶室に受け継がれている[2][4]。-
山門
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書院1階からの眺め
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書院1階からの眺め
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書院1階からの眺め
アクセス[編集]
八瀬地区の入り口(南端)に近い高野川左岸、八瀬比叡山口駅から見て対岸に位置する。ウェブサイトでは「八瀬 瑠璃光院」などの表記が用いられているが、住所の上では上高野地区に属する。
脚注[編集]
出典[編集]
(一)^ “布教活動”. 無量寿山光明寺. 2018年4月13日閲覧。
(二)^ abcd“由緒”. 瑠璃光院. 2018年4月13日閲覧。
(三)^ abhttps://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=2691 より 2023年10月10日閲覧
(四)^ abcdefghi吉村晋弥 (2013年5月15日). “緑の瑠璃光院 見納めのお庭へ”. 京都旅屋. 2018年4月13日閲覧。
(五)^ abc“洛北の名勝地に京都本坊瑠璃光院”. 東京国際仏教塾 (2006年9月11日). 2018年4月13日閲覧。
(六)^ “八瀬の別荘”. 都のかほり 京都・奈良. TBS (2003年2月25日). 2018年4月13日閲覧。