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鋼索線︵こうさくせん︶は、京都府京都市左京区のケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅に至る京福電気鉄道のケーブルカー路線。通称は叡山ケーブル︵えいざんケーブル︶。
叡山電鉄叡山本線、叡山ロープウェイとともに京都市内から比叡山山頂へのルートを形成する。高低差は561 mあり、ケーブルカーとしては日本最大である[1]。
路線データ[編集]
●路線距離︵営業キロ︶‥1.3 km[2]
●軌間‥1,067 mm[2]
●駅数‥2駅︵起終点駅を含む︶
●高低差‥561 m[1]
●最大勾配‥530 ‰ ︵約27°55′︶[3]
●最小勾配‥215 ‰
●平均勾配‥413 ‰
運行形態[編集]
平日は20分 - 30分間隔の運行で所要時間は9分[4]。土曜日・休日および多客期には増便される[4]。
2006年12月より叡山ロープウェイとともに冬期︵例年12月初旬から春分の日の頃まで︶運休するようになった。ただし、1月1日から3日の正月三が日は延暦寺への初詣客のために特別運行する︵なお、2014年は保守工事を理由として正月の運行は行われなかった︶。ほぼ同期間は比叡山ドライブバスも運休するため、運休期間内に公共交通機関で比叡山を目指すには、大津側からのルートである通年営業の坂本ケーブルを利用することになる。
旅客用はケ型2両 (1, 2) が在籍する。同形は1987年に武庫川車両工業で製造された︵台車回りは流用︶[5]。また、貨車としてケト101がある。
ケ型諸元[編集]
●空車重量 10.6 t
●最大乗車人員 101人︵座席定員34人︶
●最大寸法 長さ12000 mm・幅2780 mm・高さ3630 mm
過去の車両[編集]
●1・2︵初代︶ - 開業時に用意された車両は車台製作がスイスのテオドルベル、車体は日本車輌製造が製造した。3・4の入線により予備車となり、後に改造されて1・2︵2代目︶となった。
●3・4 - 1・2︵初代︶と同じ車台製作がスイスのテオドルベル、車体は日本車輌製造が製造した。戦時中は荷物車に改造され機材撤去に使用されたが、その後は使用されなかった。
●1・2︵2代目︶- 1・2︵初代︶の台車などを使用して製作。1955年廃車。
●1・2︵3代目︶- 1955年日立製作所製
●1922年︵大正11年︶11月8日 鉄道免許状下付︵愛宕郡八瀬村字青良谷-同郡同村四明嶽間︶[6]
●1925年︵大正14年︶12月20日 京都電燈が叡山電気鉄道部の鋼索線として西塔橋︵現在のケーブル八瀬︶ - 四明ヶ嶽︵現在のケーブル比叡︶間を開業[7]。
●1942年︵昭和17年︶3月2日 京福電気鉄道へ分離譲渡[8]。
●1944年︵昭和19年︶ 休止[9]。
●1946年︵昭和21年︶ 運行再開[9]。
●1965年︵昭和40年︶8月1日 西塔橋駅をケーブル八瀬遊園駅に、四明ヶ嶽駅をケーブル比叡駅に改称[9]。
●2002年︵平成14年︶3月10日 ケーブル八瀬遊園駅をケーブル八瀬駅に改称[9]。
駅一覧[編集]
●両駅とも京都府京都市左京区内に所在。
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営業中 |
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廃止 |
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関連項目 |
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鉄道事業法︵旧地方鉄道法︶に拠る路線のみ。★印は施設内路線。*印は期間限定路線。
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