田中隆三 (編集者)
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田中 隆三︵たなか りゅうぞう、1900年 - 1991年2月22日︶は日本の編集者。﹃鉄道ピクトリアル﹄を発行する電気車研究会の初代社長であり、元鉄道省職員である。
経歴[編集]
1900年︵明治33年︶、三重県伊勢市にて生まれる、山田中学に進んだ[1]。1915年︵大正4年︶、第一回全国中等学校優勝野球大会︵今の夏の甲子園︶に選手として出場。1917年︵大正6年︶、鉄道職員であった父の跡を継ぐ形で鉄道院西部鉄道管理局に入る。 1925年︵大正14年︶から1928年︵昭和3年︶まで、鉄道省給費生として山梨高等工業学校︵現在の山梨大学︶で電気工学を学んだ。卒業後は東京鉄道局運転部を経て水上機関区長、池袋電車区長、尾久検車区長など運転部門の要職を歴任。1949年︵昭和24年︶に鉄道省を退職。 在職中から電気機関車関係の現場実務者向けの著作をものにし、退職直前の1948年︵昭和23年︶に電気車研究会を創立︵1950年︵昭和25年︶に株式会社に改組。初代社長に就任︶、鉄道職員向けの月刊誌﹃電気車の科学﹄を創刊。1951年︵昭和26年︶6月には戦後初の鉄道趣味月刊誌﹃鉄道ピクトリアル﹄を創刊し、自ら編集主幹として編集にあたる。 1983年︵昭和58年︶5月に社長職を﹃鉄道ピクトリアル﹄元編集長の田中勝︵同姓だが血縁は一切無し︶に引き継ぎ、会長に就任。没後、田中隆三の子息で元日本テレビプロデューサーの田中知己が社長に就任する[2]。 生枠の野球好き、晩年は数少ない夏の甲子園第一回大会出場の存命者としての、球界とマスコミのインタビューもあった。参考文献[編集]
- 岩成政和「趣味的見地から見た日本の電気機関車歴史と興味」 番外:本誌創業者田中隆三について
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2015年1月号 No.899 p24