男はつらいよ 望郷篇

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男はつらいよ 望郷篇
監督 山田洋次
脚本 山田洋次
宮崎晃
原作 山田洋次
製作 小角恒雄
出演者 渥美清
倍賞千恵子
長山藍子
前田吟
杉山とく子
井川比佐志
笠智衆
音楽 山本直純
撮影 高羽哲夫
編集 石井巌
配給 松竹
公開 日本の旗 1970年8月26日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 1億8000万円[1]
前作 新・男はつらいよ
次作 男はつらいよ 純情篇
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  • 東京都葛飾区柴又
  • 北海道札幌市中央区(病院)、小樽市花園(築港機関区等)、同市朝里(登と再会)、余市郡仁木町(銀山駅)、岩内郡共和町(小沢駅、末次旅館)
  • 神奈川県藤沢市(浦安として撮影)
  • 千葉県浦安市(堀江フラワー通り、説江山正福寺)
  • 千葉県浦安市堀江・清瀧神社(寅が源公と出会う)

記録[編集]

  • 観客動員:72万7000人[1]
  • 配給収入:1億8000万円[1]
  • キネマ旬報ベスト・テン 昭和45年 日本映画部門 第8位

受賞[編集]

参考文献[編集]

  • 佐藤利明『みんなの寅さん』(アルファベータブックス、2019)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 日経ビジネス』1996年9月2日号、131頁。
  2. ^ 『おかしな男渥美清』p.245 。「第三作で寅がむかし鳴らしたテキ屋の親分(花沢) に会う―その状況を自分ならどう撮るか、それが第五作『望郷篇』の前半であり、山田流の解答であった。解答を出すと同時に、フーテンの寅という男の物語を完結させよう。狙い通り、『望郷篇』の後半は明らかに〈完結〉に向っている」。
  3. ^ 浦安でテキヤのまねごとをしているところを寅次郎に見つかり、汗水流して油まみれで働くよう寅次郎に薫陶されて、三七十屋で働くようになった
  4. ^ 公式ウェブサイトの表記。但しDVDの字幕など「政吉」と表記している物も多い。
  5. ^ 三七十屋の人たちは寅次郎の節子への気持ちに気付いていたと思われるが、何らかの考えを差し挟む余地のある作りになっている。寅次郎が節子の結婚を知った直後に、富子は「ごめんよ、失恋しちゃったよね」と言い(DVD字幕では台詞は出ていないので注意)、「そのうち私がいい人見つけてやるからね」と言っている。そもそも木村がどのような存在なのか、富子は寅次郎に言いにくそうでもあったし、本来節子の結婚が寅次郎の三七十屋での仕事に支障を来すものではないはずなのに、寅次郎が自分の結婚後もずっといてくれるか、節子は念押しして確認している。その一方で、寅次郎が柴又を去った後、節子がさくらを訪ね、「どうして寅さん、急にうちを辞めちゃったのかしら。何かわけがあるんじゃないかしら」と真顔で言っている。

補足[編集]

  • 寅次郎は、世間体を気にして、三七十屋の物置で寝泊まりしている。
  • 寅次郎が、節子と木村剛の婚約を聞かされるシーンで、寅次郎は節子を「さっちゃんも教えてくれなかったし」と呼び間違えている。
  • ラストで、旅先から寅次郎が節子に宛てた、誤字だらけのはがきを、さくらが手にする。「拝啓(啓の口が田になっている)その後お元気ですか。私こと思い起こせは(ば) 葉(は)ずかしき事の数々/今はただひたすら反正(はんせい)の日日をすごしています/浦安にておかけした後命(ごめい)わくの数々 くれぐれ/も おゆるし下さい。なお柴又におります/私の妹 愚かな女なれど 身よりたよりなき/不行(ふこう)の身の上ゆえ なにかとお力になっていただきたく/ひれふしてお願い申し上げます/末筆ながら節子さまの幸せを心からお祈りしています 車寅次郎」

外部リンク[編集]