福地泡介
福地 泡介 | |
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本名 | 福地 豊 |
生誕 |
1937年6月1日 岐阜県関市 |
死没 |
1995年1月5日(57歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1962年 - 1994年 |
ジャンル | 4コマ漫画、ナンセンス漫画 |
代表作 |
『ブロー君』 『OH!!ミスター』 『ドーモ君』 |
福地 泡介︵ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 1995年1月5日[1][2]︶は、日本の漫画家、随筆家、アマチュア雀士、放送タレント。福地 泡介︵つくりの包の己の部分が巳︶の表記も用いた[3]。本名、福地 豊[1]。
略歴[編集]
岐阜県関市生まれ。生家は刃物製造会社を経営し、志津三郎兼氏の末裔とされる[3]。岐阜県立関高等学校在学中から新聞や雑誌へ漫画の投稿を行い、プロを志して荻原賢次に弟子入りを志願するが断られ、京都で予備校に通いながら浪人生活を送り、早稲田大学法学部に入学[3]。早稲田大学漫画研究会に入部。2年上級にしとうきねおと園山俊二が、1年上級に同い年の東海林さだおがいた︵2年生での入部で、福地と同期入部︶。1959年、福地・東海林ほか、他校の学生漫画家を加えた4人で﹁グループ'59﹂を結成し、一般誌に合作漫画の売り込みを行ったが、ほとんど採用されずにグループは数か月で解散に追い込まれた[4]。 在学中に商事会社に就職し、早大を中退[3]。サラリーマン生活をしながら漫画の持ち込み活動を続け、東京スポーツや雑誌﹃美しい十代﹄﹃週刊漫画サンデー﹄﹃週刊漫画TIMES﹄などに作品を描く。1962年にプロ漫画家として独立[1][2]。1966年4月、園山とともに﹁漫画集団﹂に入団︵同期入団に多田ヒロシ、水野良太郎ら︶[5]。 1966年より﹃漫画サンデー﹄に連載した﹃ドボン氏﹄[3]で注目され、人気を得るかたわら、趣味の麻雀の腕を磨き、1975年、雑誌﹃週刊大衆﹄主催の麻雀名人戦で古川凱章、5代目三遊亭圓楽らを相手に第6期名人になり[要出典]、さらに翌年、名人位を防衛し、初の2期連続名人となった。このことで雀士として著名になり、麻雀の攻略法に関連する書籍を複数上梓したほか、麻雀に関するテレビ番組の出演をきっかけに、テレビタレントとしても活動した[3]。 1995年1月、肺炎のため57歳で急逝。1985年から日本経済新聞で連載中だった﹃ドーモ君﹄はそのまま終了となった。日本経済新聞では﹃ドーモ君﹄終了以降、社会面に4コマ漫画を設けていない。作風[編集]
●一見投げやりなように描かれた人物造形、空白を多く残した構成、展開を放棄したストーリーによって、ニヒリズムを感じさせる﹁現実感のない、まったく乾いた世界[3]﹂を表現し、﹁キラリと光る現代の虚無[6]﹂と評された。 ●﹁庶民の生活を哀愁あふれる視点で描き、共感を得た﹂とも評される[2]。 ●﹃漫画サンデー﹄初代編集長の峯島正行は、経歴の近い園山・東海林・福地の作風を比較し、﹁思索型﹂の園山・﹁観察型﹂の東海林に対して、福地を﹁精神不在をよそおう︵略︶無意味な行動の面白さ﹂を﹁興味の赴くまま﹂に描く﹁行動型﹂と評し、3人の中で﹁一番ナンセンスの真髄に近い﹂とした[3]。人物・エピソード[編集]
●麻雀を通じて近藤啓太郎、吉行淳之介、五味康祐、五木寛之らの小説家や、ジャーナリストらと交流し、マルチタレントとしての足がかりとなる人脈を広げた[3]。 ●早い時期からコンピュータグラフィックスに着目し、パソコンのスキルを習得して作品を作っていた[3]。 ●早大漫研の同志であった東海林さだおとは生涯の親友であり、草野球仲間でもあった。 ●食事に無頓着で、自炊をしなかったという。好きな料理はラーメンで、その理由は﹁一杯で食事を済ませられるから﹂と素っ気ないものだったという。 ●映画ファンであり、劇場用映画2本の制作に携わった︵後述︶。作品[編集]
[7]漫画[編集]
連載 ●としごろ天使︵美しい十代 1960年9月号 - 1961年3月号︶ ●ちい子とのら坊︵美しい十代 1961年4月号 - 1962年6月号︶ ●ドボン氏︵漫画サンデー 1966年︶ ●週刊ホースケ[2] ●ドタコン︵漫画サンデー︶[3] ●ドタコン︵集英社キャットコミックス 1970年︶ ●ドタコン1︵立風漫画文庫 1976年︶ ●ドタコン2︵立風漫画文庫 1976年︶ ●ホースケ君[1][2] ●ホースケ君︵立風漫画文庫 1977年︶ ●コンチキ社員[1][3] ●パリ野郎[3] ●あつかましい奴ら[1] ●あつかましい奴ら 蛙のツラに小便だヨーン︵ベストセラーズ 1970年︶ ●ブロー君︵中日新聞・東京新聞、北海道新聞、西日本新聞等︶ ●ブロー君︵奇想天外文庫 1976年︶ ●OH!!ミスター︵読売新聞朝刊 1979年︶ ●マージャン鞍馬天狗︵リイドコミック︶ ●マージャン鞍馬天狗︵立風書房 1981年︶ ●マンガショートショート︵月刊ギャグダ︶ ●ドーモ君︵日本経済新聞 1985年 -1995年︶[1][2] ●ドーモ君 イッキイッキ一憂の巻︵日本経済新聞社 1988年︶ ●ドーモ君 日々これ口実の巻︵日本経済新聞社 1988年︶ ●﹃ドーモ君﹄の見た平成ニッポン ﹃日本経済新聞﹄の4コマ漫画で読む平成の動き︵日下公人編 PHP研究所 1996年︶ 作品集・単行本 ●﹃現代漫画﹄第2期9﹁福地泡介集﹂︵鶴見俊輔・佐藤忠男・北杜夫編 筑摩書房 1970年︶ - ﹃ドタコン﹄﹃ドボン氏﹄﹃コンチキ社員﹄﹃パリ野郎﹄など連載作品の抄録のほか、短編数本を収録。 ●福地泡介傑作集 ドタコン︵立風書房 1973年︶ ●福地泡介傑作集2ドタコン恋やつれ︵立風書房 1974年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 ザ・ビタミンC︵千曲秀版社 1984年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 電話のマナー教室︵千曲秀版社 1986年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 おしりの健康学︵千曲秀版社 1986年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 新ごはん食のすすめ︵千曲秀版社 1986年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 みそでヘルシー︵千曲秀版社 1987年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 みかんでヘルシー︵千曲秀版社 1987年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 魚食でヘルシー︵千曲秀版社 1988年︶ ●ホースケ君のなるほど漫画 ヨーグルトでヘルシー︵チクマ秀版社 1994年︶エッセイ[編集]
麻雀関連 ●麻雀見る!読む!笑う!強くなる︵日本文芸社 1972年︶ ●ホースケ麻雀交遊録 メッタメッタに楽しい仲間たち︵KKロングセラーズ 1974年︶ ●あいつのマージャン 名人ホースケと雀狂47士︵徳間書店 1976年︶ ●あいつのマージャン︵徳間文庫 1981年︶ ●名人ホースケのジャン友雀敵︵徳間書店 1977年︶ ●名人ホースケのジャン友雀敵︵徳間文庫 1984年︶ ●名人ホースケの麻雀専科︵立風書房 1977年︶ ●名人ホースケの麻雀専科︵立風漫画文庫 1979年︶ ●われかくて名人となれり 二期連続名人が公開する必殺の全牌譜︵双葉社 1977年︶ ●われかくて名人となれり︵双葉ポケット文庫 1984年︶ ●ホースケ名人道場 麻雀実力テスト︵グリーンアロー出版社 1979年︶ ●名人・泡介の勝ち組マージャン︵サンケイ出版 1980年︶ ●名人泡介の勝ち組マージャン︵徳間文庫 1983年︶ ●泡介のマージャン365日︵廣済堂出版 1981年︶ ●泡介のマージャン365日︵徳間文庫 1984年︶ ●ホースケ名人道場 麻雀実戦テクニック︵グリーンアロー出版社 1982年︶ ●ホースケ麻雀セミナー 激闘!!必勝打法︵グリーンアロー出版社 1983年︶ ●ホースケ麻雀大会︵角川文庫 1984年︶ ●ホースケの麻雀ルール集 どんなルールでもすぐ打てる勝ち麻雀入門︵永岡書店 1985年︶ ●ホースケのツモる話︵徳間文庫 1986年︶ ●マンガン全席 ホースケのマージャン参考書︵有楽出版社 1986年︶ ●ホースケのマージャン教室︵徳間文庫 1989年︶ その他 ●ああ人生哀歌 四畳半で楽しむ本︵ベストブック社 1975年︶ ●あいつのカゲグチ︵立風書房 1975年︶ ●あいつのカゲグチ︵立風漫画文庫 1981年︶ ●新あいつのカゲグチ プラスおれのグチ︵立風書房 1976年︶ ●ホースケ後悔日誌︵立風書房 1978年︶ ●ホースケ後悔日誌︵徳間文庫 1982年︶ ●脱帽賞 ホースケの字でかいたマンガ︵河出書房新社 1980年︶ ●ホースケの読むなら乗るな乗るなら読むな 電車の中で吹き出して困っちゃう本︵三天書房 1981年︶ ●ホースケの読ってらっしゃい見てらっしゃい︵三天書房 1982年︶ ●ホースケの読んでいいとも︵住宅新報社 1983年︶ ●旅立てホースケ!オランダ・ベルギーの巻︵早稲田編集企画室 1983年︶ ●泡介ワイワイ談︵双葉社 1983年︶ ●泡介ワイワイ談︵双葉文庫 1985年︶ ●ホースケまめ知識︵少年画報社 1983年︶ ●ホースケマメ知識︵徳間文庫 1986年︶ ●ホースケのここまで書いたら笑われる︵徳間文庫 1985年︶ ●ホースケヒットエンド乱︵角川文庫 1986年︶ ●泡介のマメ電球︵双葉文庫 1986年︶ ●ホースケのまだ酔いの口 話題ウマヘタ︵実業之日本社 1986年︶ ●噂をすればカゲヒナタ︵双葉文庫 1988年︶ ●身から出たサビのきいた話︵PHP文庫 1988年︶ ●ホースケ君の﹁パソコンが面白い﹂ ︵千曲秀版社 1989年︶ ●ホースケのヒッチ俳句︵石寒太共著 PHP研究所 1989年︶ ●男と女の内心書︵PHP文庫 1989年︶ ●情談もほどほど︵PHP文庫 1989年︶ ●ホースケ君のパソコン同好会︵実業之日本社 1991年︶ ●ホースケ粋字引き︵ミリオン書房 1991年︶ ●ホースケ君の見た日本の会社︵PHP研究所 1991年︶ ●ホースケのお笑いパソコン高座︵木村菱治共著 PHP研究所 1994年︶漫画・エッセイ集成[編集]
●ホースケがいた 福地泡介<マンガ+エッセイ>傑作選︵東海林さだお編 日本経済新聞社 1997年︶映画[編集]
出演作品は下記﹁出演作品﹂節で後述。 ●日本の悪霊︵ATG 1970年︶ - 製作 ●正午なり︵ATG 1978年︶ - 脚本出演[編集]
[7]テレビ番組[編集]
- クイズダービー(TBS) - 6回ゲスト解答者として出演。1981年4月25日放送分ではスケジュールの都合により出演できなくなったはらたいらの代役で3枠として出演した事があるが、その時は0勝8敗だった。合計22勝36敗(3割7分9厘)の成績だった。
- 世界まるごとHOWマッチ(毎日放送)
- 正解のないクイズ(フジテレビ)
- FNS1億2000万人のクイズ王決定戦(フジテレビ)
- 欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ)
- ザ・ハングマン4 第12話「タイガーキャブの本拠が襲われる!」(1984年、朝日放送) - タクシーの乗車客役で友情出演
- タケちゃんの思わず笑ってしまいました(フジテレビ) - 1984年9月11日に放送されたPart4にて、「すしマージャン実践教室」に出演
テレビCM[編集]
映画出演[編集]
参考文献[編集]
- 長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑』(データハウス、1994年 ISBN 4887181965)
- 寺光忠夫『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』(毎日新聞社、1990年 ISBN 4620307211)