世界まるごとHOWマッチ
世界まるごとHOWマッチ | |
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ジャンル | クイズ番組 |
演出 |
林叡作 竹野篤 |
司会者 |
大橋巨泉 西村知江子 (アシスタント) |
出演者 |
石坂浩二 ビートたけし (以上、解答者) ほか、出演者を参照 |
声の出演 | 及川ヒロオ ほか |
ナレーター | 小倉智昭 |
オープニング | 作曲:前田憲男 |
製作 | |
プロデューサー | スタッフを参照 |
編集 |
クロースタジオ クロステレビ |
製作 | 毎日放送、イースト |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送開始から1984年9月まで (プライムタイム時代) | |
放送期間 | 1983年4月7日 - 1984年9月27日 |
放送時間 | 木曜日 22:00 - 22:54 |
放送分 | 54分 |
1984年10月から放送終了まで (ゴールデンタイム時代) | |
放送期間 | 1984年10月4日 - 1990年4月5日 |
放送時間 | 木曜日 20:00 - 20:54 |
放送分 | 54分 |
﹃世界まるごとHOWマッチ﹄︵せかいまるごとハウマッチ︶は、1983年4月7日から1990年4月5日まで、毎日放送︵MBS︶とイースト[注 1]の共同製作により、TBS系列ほかで放送されていたクイズ番組である[1]。
大橋巨泉が司会で、オープニングでは﹃大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ﹄とタイトルコールされた。
放送時間は開始当初毎週木曜22:00 - 22:54 (JST)だったが、1984年10月4日より、20:00 - 20:54 (JST)のゴールデンタイムに移動した。
概要[編集]
世界におけるさまざまな珍品、名品、豪華な品物、権利などの値段を、現地取材によるレポートとスタジオの司会者、解答者とのトークを交え、解答者が予想するクイズ番組[2][3][4]。解答者が解答フリップを出すときには﹁せーの、HOWマッチ!﹂という、司会者の掛け声があった。 同じく世界の話題を扱ったフジテレビ﹃なるほど!ザ・ワールド﹄は、リポーターが世界への取材を行ったのに対し、本番組はリポーターを置かず現地の人が登場、ナレーションや吹き替えで代用した。またスタジオでのトーク、司会の巨泉と解答者のビートたけし、石坂浩二の毒舌合戦が目玉の一つだった。 番組開始当初はプライムタイムの22:00からのスタートだったが、改編にともないゴールデンタイムの20:00に放送時間が移動した。番組開始時刻が20時になってからは、特別番組︵同じ曜日の﹃ザ・ベストテン﹄拡大版など︶の都合で臨時に2時間繰り下げとなる、従前の放送枠である22:00 - 22:54枠での放送となった回に合わせて、﹁今日は大人の時間だから﹂と意図的に女性の裸など性的な内容を取り上げるようにしていた。 番組最高視聴率は1984年5月31日に放送した回の33.8%[5]︵ビデオリサーチ調べ、関東地区、世帯・リアルタイム︶。視聴率は安定していたものの1990年4月5日、巨泉の﹁セミリタイア﹂により終了した。なお、最終回は、﹃さよならスペシャル﹄として、19時から2時間の拡大版で放送した[6]。出演者[編集]
司会[編集]
●大橋巨泉[7][8] ●当時TBSが放送する2つのクイズ番組の司会を担当していたのは、巨泉︵ほかに﹃クイズダービー﹄︶と関口宏︵﹃クイズ100人に聞きました﹄と﹃わくわく動物ランド﹄︶のみであった。 ●巨泉はタキシードに蝶ネクタイのいでたち[注 2]で、セットの奥から華々しく階段を下りて登場し、観客から﹁巨ちゃ〜ん﹂と呼ばれると﹁はい、巨ちゃんでございますよ﹂と返し笑いを取っていた。オープニングトークでは﹁世界のジョーク﹂と称し、毎回アメリカンジョークを披露した︵﹁ワニ﹂ネタが多かった。なお第1回放送では小話はなかった︶。中には﹁フランス語でタコは?﹂﹁アシハッポン﹂などというのもあり、その直後に﹁お、石坂さん、﹃ニアピンハッポン﹄ですね﹂と言っていた ●番組終了から数年後、巨泉は自分が出版した本やテレビ番組などで﹁50歳にセミリタイア宣言することを考えていた﹂と述べている。番組開始当時は49歳で、巨泉はスタッフに対し﹁やってもいいが1年しかやらないよ﹂と言っている。また企画段階では漢字・ひらがな・英語・カタカナが入り乱れ、﹁!!﹂までついた番組タイトル︵本放送時には﹁!!﹂はなくなっている︶、さらに﹁1枠・大学教授、2枠・若手女優……﹂といった﹃クイズダービー﹄に酷似した解答者案に難色を示して断ろうとしたが、当番組を自社の看板番組と位置づけて取り組んでいたイーストも不退転の覚悟で迫ったため、巨泉は﹁石坂浩二とビートたけしの二人を1枠2枠でキャスティングしてくれたらやってもいい﹂﹁世界の主要都市にイーストの事務所をつくれ﹂など無理難題を出して、イーストが“社運を賭けて”取り組む意志があるのかどうか試したという。結果的には毎日放送とイーストだけでは収拾がつかず、キー局のTBSや電通も説得に駆り出されるほどだったが、巨泉は石坂とたけしのキャスティングが実現できれば他の条件は度外視するつもりだったと明かしている。さらに、直前になって準備稿の内容が気に入らなかった巨泉が、突然﹁やらない﹂と言い出してしまい、東修社長を筆頭にイーストのスタッフが宿泊なしで巨泉が住むハワイを訪れたことがあり、その際ホノルル空港の入国審査で﹁宿泊もなくたった一日だけ何しに来たのか︵麻薬の運び屋か何かか︶﹂と疑われ、全員別室に連れ込まれたため、﹁マウイ島に住んでいる、有名なテレビスターの家に行く﹂と申告したところ、係員が勘違いして﹁アメリカにもシナトラなどワガママなスターはいるが、日本にもそんなのがいるのか﹂と許されて通してくれたということもあった。 ●ゴールデンタイム昇格の際、巨泉は﹁8時になると番組に制約ができる。どうしてもと言うのなら、ボク以外の司会者でやってくれ﹂と断固反対した。しかし、巨泉と心を許せる関係であった、キー局であるTBS制作局長の居作昌果︵クイズダービーのプロデューサー︶による説得の末、番組の内容に制約をつけないことと、﹁大橋巨泉ゴルフトーナメント﹂のスポンサーに毎日放送がつくことを条件にして、放送枠移動を受け入れたと後に語っている。 ●TBSで春と秋に放送されていた﹃クイズまるごと大集合﹄︵TBS制作︶では、関口宏︵本放送時にはゲスト解答者として1度登場している︶と、レギュラーのたけしも司会を務めたことがある。アシスタント[編集]
●西村知江子︵フリーアナウンサー︶[7] ●小池可奈‥西村が産休の時のピンチヒッター ●餌取陽子‥西村のピンチヒッター解答者[編集]
※番組開始当初は解答者は6人だったが後に5人に変更、解答枠は画面右側︵上手︶から1枠とする ●石坂浩二[7]︵1枠︶‥番組冒頭で紹介されると立ち上がって一礼していた。出題VTRの補足をすることもよくある。巨泉が石坂を呼ぶあだ名﹁兵ちゃん︵へいちゃん︶﹂はこの番組から知られることとなった。 ●ビートたけし[7]︵2枠︶ ●たけし不在時の2枠代理 ●笑福亭鶴瓶 ●小沢昭一 ●山城新伍 ●小野ヤスシ ●そのまんま東 ●女性ゲスト︵3枠︶ ●外国人準レギュラー解答者︵4枠︶‥チャック・ウィルソン、ケント・ギルバートを主としたローテーション出演 ●チャック・ウィルソン︵クラーク・ハッチ健康管理センター︶ ●ケント・ギルバート︵カリフォルニア州弁護士︶ ●ダニエル・カール ●マーティ・キーナート ●ジョン・ギャスライト ●ユベール・ジョアニアン ●デビッド・ジョーンズ ●クロード・チアリ ●ケント・デリカット ●ジェフ・バーグランド ●イーデス・ハンソン ●男性ゲスト︵5枠︶たまに女性ゲストになる場合もあった。 ●最多ゲスト出演は稲川淳二。 ●学者・文化人も主にこの席に座った。 当初は沢田亜矢子もレギュラーで参加していた。 たけしがフライデー襲撃事件により番組出演を休止していた時期、たけしが番組復帰するまでの2枠は、タレントや文化人などのゲスト枠となっていた︵一番出演したのは鶴瓶︶。ただし、この番組は大量に録り溜めしており、フライデー事件の後も何か月もの間﹁この番組は○月○日に収録されたものです﹂というテロップつきでたけしが出演していた。 ケント・ギルバードやチャック・ウィルソンは、日本人解答者より安い金額で解答する傾向にあったため、巨泉はケント・ギルバートを﹁ネギルバート﹂︵﹁値切る﹂と掛けている。名付け親は一視聴者︶、チャック・ウィルソンを﹁ケチャック﹂︵﹁ケチ﹂と掛けている︶、﹁けち・やくお﹂︵一視聴者からのネーミングに由来︶と呼んでいた。ナレーター[編集]
開始当初は小倉智昭を含めて数名でナレーションを行っていたが、﹁小倉のナレーションが一番面白い﹂という制作側の意向で、小倉が一人で担当することになった。番組冒頭のタイトルコールも小倉が行っている他、後番組の﹃世界まるごと2001年﹄のナレーションも引き続き担当した。 この番組が小倉の出世作であり、﹁七色の声を持つナレーター﹂として有名になった[9]。特に、当時石坂浩二がナレーションを務めたNHKのドキュメンタリー番組﹃シルクロード﹄や、久米明がナレーションを務め、日本テレビ系で放送された﹃すばらしい世界旅行﹄などのパロディナレーションは定番であった。 また、番組の性質上、ナレーターとは別に現地の出題者の吹き替え用に多くの声優が起用されたが、その中でも特に人気を博したのが及川ヒロオ。あまりにも独特な吹き替えを連発したため、特番で及川の吹き替えばかりを集めた特集が組まれたこともある。一方で吹き替えられた映像を観た本人から﹁俺はあんな風に大げさに喋っていないぞ﹂と苦情が来たこともある。番組の構成[編集]
●オープニングテーマ ●小倉智昭による﹁大橋巨泉の、世界まるごとHOWマッチ﹂のタイトルコール。﹃クイズまるごと大集合﹄の際にも同様に﹁関口宏の・・・﹂﹁ビートたけしの・・・﹂と小倉によるタイトルコールがあった。 ●巨泉のオープニングトーク、解答者紹介 ●巨泉が中央のオブジェ奥から登場し、挨拶をした後にジョークを交えたトークが入る。その後、巨泉とのトークを交えながら解答者を順に紹介。 ●1問目出題 ●アシスタントが出題先を紹介して問題VTRへ︵セットにある世界地図の出題先の箇所のランプが点灯︶。 ●問題VTR︵小倉のナレーション、声優による吹き替え。最後に﹁さて、HOWマッチ?﹂の字幕が出る︶ ●おおよその為替レートの提示、続いてアシスタントは紙幣の現物をカメラに映す。 ●巨泉が問題を整理して改めて出題、シンキングタイム︵特に音楽などはない︶。 ●巨泉とアシスタントの﹁せーの、HOWマッチ﹂の掛け声に合わせてフリップを出す。巨泉が解答者の解答を読み上げ、アシスタントは日本円換算値を付け加える。 ●正解VTR︵吹き替えはなく、字幕通訳︶ ●巨泉が解答者に対してニアピンかロストボール等の判断を行う。 ●提供クレジット・コマーシャル ●2問目出題 ●コマーシャル ●今週のプレゼントクイズ ●2問目ないし3問目終了後サイレンが鳴りそれを巨泉が止める。その後コマーシャルを経て本題に入る。 ●出題は通常問題と同じくVTRで行う。通常とは異なる点は、VTRの最後に番組テーマ曲の1フレーズを流すほか、巨泉が解答者へ口頭で正解を予想させて視聴者へのヒントとする。 ●プレゼントされる賞品を紹介する。 ●コマーシャル ●3問目出題 ●コマーシャル ●最終問題 ●エンディング ●エンディングトーク、本日の成績、エンドロール ●プレゼントクイズ ●先々週のプレゼントクイズの正解および当選者を発表。 ●今週のプレゼントクイズのおさらい、応募方法の紹介。 ●コマーシャル ●次回予告・提供クレジット・エンドカード ●TBS系列では1986年10月からジングル音と共にエンドカード画面が回転し、次の番組を告知するクロスプログラムが全曜日に導入されたが、本番組では次の番組が生放送の﹁ザ・ベストテン﹂だった関係上エンドカードに変更はなく、ドラマ枠に移った末期まで維持された。テーマ音楽[編集]
オープニングテーマやBGM関係︵出題VTR以外︶を手がけたのは前田憲男。テーマ音楽のメロディーはNHK﹃クイズ面白ゼミナール﹄、TBS﹃ギミア・ぶれいく﹄、テレビ朝日﹃ザ・テレビ演芸﹄︵いずれも前田が作曲︶によく似ている。巨泉との交友関係が深く、一度ゲスト解答者として出演もしている。オープニングテーマはCD﹁ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編﹂に収録されている︵小倉のタイトルコールつき︶。 このオープニングテーマのファンファーレは、ホールインワン賞獲得時︵ただし最初期の音楽は、ニアピン賞の音楽を、リズミカルにしたものだった︶、ニアピン賞10本獲得時、ロストボールが10本溜まった場合︵最後の一節のみ︶にも流れていた。出題形式・ルール・賞品[編集]
各回問題は4問、近似値クイズで構成されている。 全員の解答が出そろったところで、巨泉が﹁それでは○○さん、おいくらでしょうか?﹂と振って正解VTRを再生。VTRで現地の出題者が正解金額のフリップ︵表面は番組ロゴと巨泉の似顔絵→その後裏返して金額発表︶を出す。その後あらためて、キャッシュレジスターの金額表示に倣ったロール字幕で正解金額を改めて表示する。換算レート[編集]
出題時には参考として、現地通貨と日本円のおおよその換算レートが紹介されていたが、経済・政治などの情勢の変化に応じた通貨単位やレートが、番組放送期間中に変化した。とりわけ放送当時の1980年代、中南米諸国の経済危機によるハイパーインフレへの対応から頻繁に通貨が切り上げられ︵ボリビアの通貨の換算レートが10,000ボリビアペソ=0.1円ということがあった︶、時にはいくつかの現地通貨の呼び名が頻繁に変わった︵ブラジルのクルゼイロ→クルザードなど︶[注 3]。先進国においても、1985年のプラザ合意による急速な円高ドル安が進行したことなども、そうした視聴者の印象を高めたと考えられる。ちなみに、番組開始の時点での米ドルは1ドル約240円[注 4]だった。なお、日本円との交換レートが不明な場合、インターバンクを参考とした事例もある︵最終回スペシャルにおけるアルバニア・レク︶。 解答を日本円ではなく現地通貨で当てる方式のためか、珍解答がしばしば出た。中でもアメリカの豪邸の値段を当てる問題︵1987年11月5日放送︶で、ゲストの井森美幸が﹁7千兆︵ドル︶﹂︵当時のレートで約98京円[注 5]︶という余りに巨大過ぎる金額の解答に、たけしは﹁︵井森は︶飛ばしましょう﹂と呆れ返り、アシスタントの西村も本来なら金額を円に換算して発表するところを﹁分かんないですね。天文学的数字です﹂と苦笑しつつコメント。それでも井森は﹁訳も有るんです﹂と理由を説明したが、石坂は大笑いが止まらず、巨泉も吃驚仰天しながら井森に﹁あなたの書いた値段というのは、アメリカ全体の国家予算よりまだ高いんだよ﹂と返していた︵後日井森が﹃クイズダービー﹄︵1987年12月19日放送︶にゲスト出演した際、巨泉から﹁恐怖の7千兆ドル、井森美幸ちゃんに来て頂きました!﹂と紹介されている︶。ほか同じく井森の﹁500億マルク﹂︵当時のレートで約4兆円︶等のような巨額の値段を書いた場合、西村が円換算の発表を﹁計算出来ません…﹂と拒絶することも多々あった。 また、ハンガリーからの唐辛子に関する問題︵1987年1月8日放送︶で、ゲストの草笛光子は﹁700万︵フォリント︶﹂と解答した際、西村は﹁11億2000万円です﹂と発言後にスタジオは思わず爆笑、巨泉も司会席から立ち上がって駆けだしてしまう程だった。草笛はこの日のエンディングで、あまりのバツの悪さにその場から抜け出そうとした為、巨泉から﹁30年来の友達じゃないの。そんな逃げないでよ﹂と宥められたが、﹁もう生きてるのイヤ!恥ずかしくって…﹂とこぼしていた。 1988年11月3日放送分の3問目、セネガルからのゴルフのようなものに関する問題で、ゲスト解答者だった松崎しげるが﹁25CFAフラン﹂と表示した際、西村は﹁12円50銭です﹂と発言した。直後に松崎は﹁250CFAフラン︵約125円︶﹂と書き直すが、正解は﹁500万CFAフラン︵約250万円︶﹂で、ご多分にも漏れず結果はロストボールだった。 特別番組として放送された﹃クイズまるごと大集合﹄では、まれに日本国内の問題が出題されたが、律儀にも換算レートが﹁1円=1円﹂と表示されていた。得点[編集]
近似値クイズのため、解答の金額がズバリ正解出来なくても得点が加算される。得点はゴルフに見立てた﹁賞﹂とトロフィーが与えられ、得点は﹁1本﹂﹁2本﹂と数える。 ●ニアピン賞 巨泉が﹁正解に近い﹂と判断した場合に与えられ、字幕スーパーは﹁ニアピン賞﹂と表示され、観客からの拍手がある。解答者席にはホールインワン賞のトロフィーより一回り小さい﹁ゴールデントロフィー﹂が並べられる。 ●仮︵かり︶ ニアピン賞ほどではないが、巨泉がそこそこ正解に近いと判断した答えには﹁仮﹂が与えられ、同じ回の最終問題までに再び﹁仮﹂を出すと、﹁併せ技で1本﹂としてニアピン賞が与えられる。 ●ロストボール 解答が正解の金額よりも2桁以上離れていた場合の減点は、﹁ロストボール﹂としてニアピン賞1本が没収される︵テレビ画面には﹁ロストボール・︵名前︶﹂の字幕スーパーが出る︶。スタジオセットにはロストボールを飾る棚があり、そこにはその解答者の名前を﹁○○様﹂とリボンをつけて記す。 ●デビル 番組開始当初、ニアピン賞0本のときにロストボールの対象になっても、没収するトロフィーが無い為0本のままだった。ところが、たけしが取られるトロフィーがないのをいい事に適当な答えを乱発したことから、番組中期の1987年頃からレギュラー解答者にはマイナスポイントが適用されるようになった。月にデビルが乗った﹁デビル人形﹂が置かれるようになり、﹁デビル・︵名前︶﹂の字幕スーパーが表示される。この﹁デビル人形﹂がある状態でニアピン賞を出した場合は、トロフィーが与えられず﹁デビル人形﹂がひとつ減る。減ったデビルはロストボールの棚に飾られる。本来ロストボールとして供出すべきニアピンを借りていたと考えられるためで、初めてこの場面になったとき、石坂が強く主張した。また﹁デビル人形﹂が10個になった場合は、﹁黄金のデビル人形﹂に置き換えられるルールだったが、達成者が最終回までに現れず、人形が作られることもなかった。第1号のデビル獲得者は、張本人のたけし。のちに石坂、チャック、ケント・ギルバートもこの制度が適用された。ゲスト解答者については、たけし謹慎中の1987年7月9日放送分で、代理出演の小野ヤスシがニアピン賞0本から2問連続で2桁以上差の不正解を出した際、巨泉は﹁ゲストでも2問連続ならデビルを出したい﹂と発言したものの、小野がその回で4回目の出演だったことから、石坂が5回以上出演者にのみ適用するという提案をした。通常回ではゲストへの導入はなかったが、1990年1月4日放送の新春特番では、通常回のルールと異なり1特番だけの本数勝負、巨泉の判断で近い答え1回でニアピン2本を出すなどの特別ルールの下、この回が番組初出演だった森口博子がフランス・コニャックのレストランの牛の目玉のフライ一皿の値段﹂という問題で、正解の280フラン︵約5,600円︶に対し100万フラン︵約2千万円︶と解答したため、正解発表前の時点でデビル1本、正解発表後にさらにもう1本デビルが出されている。 ●ホールインワン賞 ピタリ正解の場合は﹁ホールインワン賞﹂として﹁ホールインワン賞・世界一周旅行﹂の字幕スーパーが表示され、大きな﹁ゴールデントロフィー﹂が授与される。また、正解発表時の演出が異なり、正解発表のジングルとドラムロールの段階でスタジオの映像・観客の歓声に切り替わり、正解者にピンスポットがあたる。巨泉が解答者席へ向かい祝福する。 ホールインワン賞・ニアピン賞のトロフィー贈呈および没収とデビル人形の置き飾りおよび返却はコンパニオンが担当する。最終問題は、正解発表後に出演者が舞台中央に集まる演出があるため、巨泉や解答者自らがトロフィーを没収することもある[注 6]。また、同じく最終問題でロストボールを出した石坂浩二が、自らトロフィーをロストボール専用の棚に置きに行ったことがあった。 最終回に近づくにつれ、ニアピンを賭け出すという﹁プッシュ︵方式︶﹂も行われ、たけしがこの方式を頻繁に使っていた。 普通のクイズ番組と違いトップ賞は決めず、得点は次回出演時に持ち越される[注 7]。また、近似値クイズの形式はフジテレビ﹃ズバリ!当てましょう﹄と似ている︵正解のズバリ賞は正解の金額を当てた場合に家電製品一式のセット、近い解答を出した人にはポイントを与え、最多得点者に家電製品から1品を選んで贈呈した︶。賞品[編集]
ピタリ正解のホールインワン賞とニアピン賞10本獲得者は賞品として世界一周旅行を獲得。 ニアピン賞は3本獲得で東南アジア旅行︵香港やシンガポール︶、5本獲得でハワイ旅行やグアム島旅行、7本獲得でアメリカ西海岸旅行などの海外旅行と引き換えられる。番組後期は10本獲得での世界一周旅行がほとんどだったが、レギュラー解答者以外でニアピン10本獲得により世界一周旅行を獲得したのは神津カンナと、ゲスト最多出場の稲川淳二の2名のみである。 世界一周旅行は、成田空港を出発してから自由な経路が選べ、再び成田に帰ってくるまで有効[注 8]。ただし、獲得してから1年間という有効期限があり、それまでに旅立たないと権利を失った[注 9]。獲得第1号は沢田亜矢子︵1983年5月5日放送。フランスの小型飛行機の価格42,000フラン。サブタイトルは﹁ついに出た!ホールインワン第一号!﹂︶で、レギュラー陣ではたけしだった︵1983年5月26日放送回。アメリカ・ニューヨークの駐車移動料金30ドル︶。視聴者プレゼント[編集]
通常問題とは別に視聴者プレゼントクイズが1問あった。2問目ないし3問目終了後必ずサイレンが鳴って﹁今週のプレゼントクイズ﹂と字幕スーパーが回転しながら表示され、いったんCMを挟んでからこのコーナーに入る。このときはフリップを使わず、巨泉が解答者に1人ずつ問いかける形で答えを聞き出し、巨泉から正解に近い解答者の答えを応募の目安にしていたが、時にはホールインワン賞に相当する答えを出したこともしばしばあった。稀に巨泉が、1987年7月9日放送分で出題された﹁ハワイの酔っ払い運転の罰金﹂の際の﹁︵解答者3人が予想した︶500ドルはいりません。︵別の解答者︶マリアンの50ドルじゃ安過ぎます。﹂﹁50ドルという半端付けてください﹂といったものや、1989年11月2日放送分で出題された﹁ハンガリーのチェーンブリッジ1時間分の照明料金﹂の際の﹁何千何百と書いてください﹂というような、視聴者に細かなアドバイスをしていたこともあった︵翌々週の正解発表における答えは前者が150ドル︵約21,000円︶、後者が4,700フォリント︵約9,400円︶だった︶。 視聴者プレゼントにも解答者の解答状況が影響する。番組グッズとして、10桁を計算できる電卓や世界時計︵番組タイトルとMBSのロゴ入り︶、あるいはプレゼントクイズのお題になった商品そのもの、ないしは番組スタッフが現地から持ち帰った土産品がプレゼントされる。ホールインワンが発生した場合、またはニアピン・ロストボール︵ロストボール棚のデビルも含む︶が10個となった場合[注 10]には、プレゼントクイズ正解者から1組2名のカップルにハワイ旅行︵末期は、プレゼントクイズの出題地の海外旅行︶が贈呈される。また、デビル人形が10個たまった場合、ためてしまった解答者が自費で視聴者に世界一周旅行をプレゼントするルールもあった。 なお、世界時計のプレゼントがあった場合は、巨泉が﹁ご好評いただいております︵または単に"ご好評の"︶、世界時計を…﹂と言うお約束事があった。プレゼントを世界時計のみにした理由としては、例として1988年11月3日放送分の﹁アメリカのゴルフクラブ 1本のお値段は?﹂のように巨泉が﹁皆様に古いクラブを差し上げても仕方がございませんので…﹂や、1989年3月2日放送分の﹁ベトナムの髪の毛 1束のお値段は?﹂のように同じく巨泉が﹁髪の束を差し上げるわけにもいきませんので…﹂のセリフなどが挙げられる。 プレゼントクイズの宛先は、大阪の毎日放送本社ではなく、東京芝郵便局私書箱宛[注 11]。 正解発表はその問題を出した2週間後に発表されるのが慣例。最終回のプレゼントクイズについては、後番組﹃世界まるごと2001年﹄の第2回目に正解と当選者発表があった。この慣例は﹃2001年﹄でも同様に続いた。これは遅れネット局の南海放送︵愛媛県︶などでもプレゼントに応募できるように配慮したためで、そのため画面上でも、放送日は記さず﹁ー先々週のプレゼントクイズー﹂とのみ表記、ナレーションも同様に﹁先々週のプレゼントクイズの正解です﹂とされていた。HOWマッチスペシャル大橋巨泉のクイズまるごと20世紀~その時カメラは回っていた~[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
1987年から数回期首・期末改編︵年末年始を含む︶の特別番組︵タイトルも﹁春/秋/新春のHOWマッチスペシャル﹂と冠がつけられていた︶として放送されていたもので、通常の﹃HOWマッチ﹄同様巨泉が司会を、西村がアシスタントを、レギュラー解答者の石坂とたけしの二人が各チームのキャプテンを務めていた。
番組は、それぞれ5人ずつのチーム対抗戦形式で進行。番組タイトルロゴは20世紀フォックスのロゴを模したもので、﹁FOX﹂のロゴを﹁KYO﹂に置き換えたものだった。テーマ音楽はベニー・グッドマンのレッツダンスが用いられた。
なお、1987年1月に放送の第1回では、たけしがフライデー襲撃事件のために謹慎中であったため、東西出身地別での対抗戦形式を取っていたが、同年秋の第2回放送時には﹁本来はたけしチーム対石坂チームで開催するものだったが、ある出演者の事情︵たけしの謹慎︶のためにやむを得ず東西対抗にした﹂と巨泉は述懐している。
同特番は20世紀の映像を特集し、コーナーごとにテーマを定めてクイズを出題する。巨泉は問題によって各解答者一人ずつや挙手しての先着順、チーム内で相談して解答フリップへ記載するなど、解答するルールをそれぞれ決めていた。
最終結果は合計得点でチーム賞と個人賞を決定。
またこの特番内では、巨泉が出題した問題や正解答・設定したルール等に対して、チームキャプテンのたけしが巨泉にいちいち文句をつけて、不平不満を憤慨しながら述べ続けたあと、石坂らが苦笑いしつつなだめる場面が毎回お決まりだった。
●主なコーナー
●オープニングクイズ - 各解答者紹介︵名前・生年・出身地︶の後、昔の映像を見せ、映っている人物は一体誰かを当てる問題。
●戦争 - 戦争にまつわる映像から、人物や場所、何をしているかを当てる問題。
●スポーツ - スポーツに関する映像から、人物や場所、何をしているかを当てる問題。野球、ゴルフ、ボクシングなどが中心。
●映画 - 映画の題材となった映像や、カメラテスト映像などから、人物や作品名を当てる問題。
●事件、出来事 - 過去の記録映像から、人物や場所、何をしているかを当てる問題。
●珍発明 - 一見、用途不明な発明品を映像で見せ、何かを当てる問題。
●珍飛行機 - 番組の終盤で各解答者に対して、昔の映像から人物が乗る飛行機を見せ、それが飛べるか否かを﹁◯・×﹂方式で当てる問題。巨泉はどんな状態であれ、人間が5秒以上宙に浮いていれば﹁◯﹂、5秒未満なら﹁×﹂とみなしていた。
●特別クイズ︵または逆転クイズ︶ - 主に最終問題で登場。劣勢のチームのみが正解した場合に逆転できるように巨泉が得点を調整していた。
チーム賞には﹁20th CENTURY KYO﹂という番組タイトルがデザインされた大優勝旗が贈られる。また、この番組ではチャリティーが付いていて、優勝チームが獲得した得点×1000円を毎日新聞社社会事業団に優勝チームの名義で寄付する。︵実際に寄付をするのはMBS側であり、ここではあくまでも優勝チームの名義を借りているだけである。︶なおチーム戦での最高得点は、たけしチームが1989年春の第5回で獲得した505点であり、この時は毎日新聞社社会事業団に50万5000円が寄付された。そして最も得点を獲得した解答者には﹁MVP・最優秀殊勲選手賞﹂として、通常の﹃HOWマッチ﹄でホールインワン賞を達成した時に贈られる世界一周旅行や出題された都市︵MVP者が選択︶への往復航空券等が贈られる。さらに獲得得点第2位の解答者には﹁敢闘賞﹂として、テレビやビデオカメラ等が贈呈される。
ちなみに個人成績の発表は基本的にMVP・敢闘賞を受賞した解答者のみであるが、1989年春の第5回ではMVP・敢闘賞だけでなくそれ以外の解答者の成績も発表した。この時は、たけしチームの山城新伍がダントツの170点でMVP賞を獲得、次いで敢闘賞をたけしチームの森光子と石坂チームの大島渚が共に85点となり獲得したが、最下位は石坂チームの稲川淳二で25点という惨憺たる有様。稲川は最下位決定の瞬間、スタジオ中の観客に笑いものにされた。
放送回数 | 放送日 | 東軍チーム | 西軍チーム |
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第1回 | 1987年1月 | 石坂浩二、中井貴恵、田中康夫、田中小実昌 | 土井たか子、中尾ミエ、島田紳助、横山やすし |
放送回数 | 放送日 | 石坂チーム | たけしチーム |
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第2回 | 1987年10月1日 | 石坂浩二、武田鉄矢、里中満智子、山田邦子、大島渚 | ビートたけし、山城新伍、森光子、中井貴恵、田中康夫 |
第3回 | 1988年3月31日 | 石坂浩二、井上順、中村玉緒、兵藤ゆき、大島渚 | ビートたけし、山城新伍、森光子、岸本加世子、景山民夫 |
第4回 | 1988年10月6日 | 石坂浩二、横山やすし、檀ふみ、山田邦子、前田武彦 | ビートたけし、山城新伍、森光子、浅野ゆう子、景山民夫 |
第5回 | 1989年3月30日 | 石坂浩二、和田アキ子、大島渚、里中満智子、稲川淳二 | ビートたけし、森光子、山城新伍、高橋洋子、景山民夫 |
第6回 | 1989年10月12日 | 石坂浩二、武田鉄矢、野際陽子、浅野ゆう子、大島渚 | ビートたけし、山城新伍、うつみ宮土理、飯干景子、景山民夫 |
- 太字は優勝チーム
本放送終了後の関連事項[編集]
後継番組[編集]
後継番組として、前述の﹃クイズまるごと20世紀﹄をレギュラー化した﹃世界まるごと2001年﹄が1990年4月12日から1991年3月28日まで1年間放送された。
司会は山口美江で、巨泉はスーパーバイザーとして番組に携わる。また、顧問︵御意見番的なジジィという意味を込めて“今週の彦左衛門”と紹介されていた︶として数回出演したほか、石坂とたけしは引き続きレギュラー出演した。
特別企画[編集]
●番組終了から半年後の1990年10月、﹃帰って来た・世界まるごとHOWマッチ﹄を放送。この際、石坂が﹁旧東ドイツの新型トラバント﹂の値段を当てる問題で12,000ドイツマルク︵当時108万円︶と解答し、ホールインワン賞を獲得した。もともと当番組の最終回エンディングにて、巨泉が﹁イーストの連中がまた世界中から面白い問題を集めてくるだろうから、半年に1回ぐらいはスペシャルでやろうかと思っている﹂と語っていた[注 12]ものの、実際にはこの1回で終わっている。 ●1990年放送の﹃ギミア・ぶれいく﹄では、1度だけの特別企画として日本国内取材の出題VTR構成で日本円で答える﹁日本まるごとHOWマッチ﹂として制作された。司会は巨泉、解答者はすべて外国人だった︵話のやり取りもすべて英語だった︶。出題VTRのナレーションは英語版は小林克也が、日本語版は小倉智昭がそれぞれ務めた。 ●1994年放送の﹃テレビの王様﹄では﹁テレビまるごとHOWマッチ﹂として本家のパロディ版ではあるが1度限り︵当初は数回行うことになっていたが、結局は1回だけに終わった︶の復活となった。ナレーションは当時と同じく小倉が担当。司会役は松村邦洋、アシスタント役は三宅裕司だった。 ●2009年3月まで同じ時間帯で放送されていた﹃うたばん﹄︵TBS制作︶にてパロディが行われたことがある。司会は、ものまねタレントのコージー冨田が巨泉に扮して登場。アシスタントはTBSアナウンサーの山内あゆが担当した。 ●2010年3月からTBSと一部系列局で放送されている﹃有吉AKB共和国﹄では本家のパロディ版である﹁世界まるごとHOWロング﹂と題したコーナーが存在し、その長さの数を答えるというものがある。BGMは完全にオリジナルだが、タイトルロゴは本家と同じである。 ●2015年3月22日[注 13]の22:00 - 22:54[注 14]に毎日放送制作・TBS系全国ネットにより当番組の復活版の位置づけで﹃日本まるごとHOWマッチ﹄︵にほん - ︶を放送[注 15]。司会とナレーターは小倉、アシスタントは八木亜希子が務め、天野篤、室井佑月、久本雅美、ウエンツ瑛士、劇団ひとり、船越英一郎が解答者として出演する。番組タイトルロゴは﹁世界﹂の部分を﹁日本﹂に差し替えた物︵ロゴのバックに日本地図︶を使用し、オープニングテーマやクイズのルールの一部などのフォーマットは﹁世界 - ﹂と同じ物を踏襲した[10]。また、最初の問題のみ解答の通貨単位がポンドだったため、解答者はフリップの隅に日本円に換算した金額を表記した。ホールインワン賞はH.I.S.の﹁イタリア大型客船で行く日本一周クルーズの旅﹂が用意され︵獲得者無し︶、ニアピン賞を多く獲得した解答者には問題で登場した金箔張りの炊飯器が贈られた[注 16]。他系列局でのパロディ[編集]
2012年9月29日放送のテレビ大阪︵テレビ東京系列︶﹃たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜﹄で﹁世界悪︵ワル︶ごとHOWマッチ﹂と題した企画があり、パネリスト出演者全員が解答者としてクイズに臨んだ。BGMは完全にオリジナルだが、タイトルロゴは本家とほぼ同じである。パロディ企画ではあるものの、クイズの進行部分はほぼ本家に近い形で再現されている。ちなみにホールインワン賞では賞金10万円、ニアピン賞では番組特製のQUOカードがプレゼントされた。スタッフ[編集]
●構成‥D・N・P、奥山侊伸、原すすむ、野田英夫、高橋秀樹、松谷光絵、佐藤仁 ほか ●声の出演‥及川ヒロオ、松村彦次郎、久保晶、宇南山宏、野村信次、喜多道枝、内山森彦、多田幸男、堀勝之祐、加藤治、加藤正之、鈴木みえ、西村淳二、細井重之、西尾徳、春江ふかみ、此島愛子、青木和代、安西正弘、藤本譲、加賀谷純一、中西有理子、亀山助清、山田礼子、石田純子、須永慶、長谷有洋、庄司永建、横田砂選、大久保正信、池田武志、北村弘一、千葉繁、中村武己、塚本信夫、井上和彦、島津冴子、緒方賢一、小野健一、伊藤正博、前沢迪雄、津田英三、前田昌明、谷津勲、上田敏也、伊藤惣一、島田果枝 ほか ●音楽‥前田憲男 ●アシスタントガール‥レイチェル・ヒュゲット、戸沢ひとみ、武田美奈、高見リエ ほか ●技術‥水越行夫 ●カメラ‥池田治道 → 足立篤己 ●音声‥国沢藤一、菅原正巳、高橋昇 ●照明‥田淵博、加藤久雄、目時威邦、原田正 ●音響効果‥寺田卓夫 ●美術制作‥稲木大 → 丸山覚︵アックス︶ ●美術デザイン‥金子俊彦︵アックス︶ ●メイクヘアー‥ユミビュアクス ●タイムキーパー‥林満利子、伊藤裕子 ●制作補‥後藤良隆 ●プロデューサー‥相澤英也 → 信濃正兄 → 山田尚︵MBS︶、久松定隆︵電通︶、道祖尾典章 → 富永正人 → 奥村正︵イースト[注 1]︶ ●制作担当‥丸谷嘉彦︵MBS︶ ●演出補‥武部真子、立川英弘 ●演出‥林叡作、竹野篤/三浦真司 ●取材ディレクター‥兵動豊、中山緑郎、波多野健、山本芳宣、宗片浩寿、武部真子、小林俊博、井澤達也、田中峰雄、木村仁、川瀬敏郎、立川英弘、安藤正俊、黒河博之 ほか ●イーストNY支局‥永山謙二 ●イーストLA支局‥壁谷政彦、西滝順二、井澤達也、越真一、山本芳宣、小林俊博、洪龍吉、田邊勝弘、デビッド・ウッダード ●イーストParis支局‥西森信三、川瀬敏郎、柴田久仁夫 ●企画協力‥大橋巨泉事務所︵現・オーケープロダクション︶ ●制作協力‥東通、クロースタジオ、CORE、ソーワビデオ、クロステレビ、Y.C.B.、インテック ●製作‥イースト、毎日放送ネット局[編集]
※系列は放送当時のもの。放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 制作局 | |
関東広域圏 | 東京放送 | 同時ネット | 現:TBSテレビ | |
北海道 | 北海道放送 | |||
青森県 | 青森テレビ | |||
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | ||
宮城県 | 東北放送 | |||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | [注 17][注 18] |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット →同時ネット →遅れネット |
1989年9月まで[注 19] |
テレビユー山形 | TBS系列 | 同時ネット | 1989年10月開局から | |
福島県 | テレビユー福島 | 開局後の1983年12月8日から[注 20][注 21] | ||
山梨県 | テレビ山梨 | |||
新潟県 | 新潟放送 | |||
長野県 | 信越放送 | |||
静岡県 | 静岡放送 | |||
富山県 | 北日本放送[注 22] | 日本テレビ系列 | 遅れネット | [注 23][注 18] |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | 同時ネット | |
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット | [注 24] |
中京広域圏 | 中部日本放送 | TBS系列 | 同時ネット | 現:CBCテレビ |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 | |||
岡山県・香川県 | 山陽放送 | 現:RSK山陽放送 | ||
広島県 | 中国放送 | |||
山口県 | テレビ山口 | 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 | ||
愛媛県 | 南海放送[注 25] | 日本テレビ系列 | 遅れネット | [注 26][注 18] |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 同時ネット | |
福岡県 | RKB毎日放送 | |||
長崎県 | 長崎放送 | |||
熊本県 | 熊本放送 | |||
大分県 | 大分放送 | |||
宮崎県 | 宮崎放送 | |||
鹿児島県 | 南日本放送 | |||
沖縄県 | 琉球放送 | 同時ネット →遅れネット →同時ネット |
[注 27] |
関連書籍[編集]
- 「保存版世界まるごとHOWマッチ 7年間の思い出を込めて」イースト海外取材班編(ワニの本・KKベストセラーズ)
関連項目[編集]
- クイズ番組
- ズバリ!当てましょう - フジテレビ系列で放送されていた値段当てがメインのクイズ番組。
- 世界バリバリ★バリュー - 本番組と同じ毎日放送・イースト製作で放送されていた値段当てがメインのクイズ番組。
- C-C-B - 1986年1月2日放送の音楽バラエティ特別番組『C-C-Bのファーストドリーム』内で、時代劇風パロディ『世界総じてさて何両』に出演。
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ ab2010年9月、イースト・エンタテインメントに社名変更。
(二)^ 稀に、巨泉が私服姿で登場していたことがあった。
(三)^ 極稀なケースとして、ハイパーインフレが加速し過ぎると、現地通貨を使用せずに米ドルで換算させることもあった
(四)^ 因みに、1983年4月7日の東京外国為替市場の円相場終値は、1ドル=237円65銭である。
(五)^ 同日の番組内で使用された換算レート1ドル=140円による計算。この日の東京外国為替市場の円相場終値1ドル=135円95銭で換算すると95京1,650兆円。ちなみに、1987年のアメリカ合衆国の歳出は約1兆40億ドルのため、単純比較で国家予算6730年分に相当する︵参照‥HISTORICAL TABLE BUDGET OF THE UNITED STATES GOVERNMENT (PDF) ︶。なおこの問題で、石坂、たけしは共に2,800万ドル︵番組内レートで39億2,000万円・先述の東京外為市場終値で38億660万円︶、ケント・ギルバートが1,200万ドル︵番組内レートで16億8,000万円・東京外為市場終値で16億3,140万円︶と解答しており、井森の解答金額は他解答者よりも2億5,000万倍以上高い。
(六)^ ホールインワン賞が出たときにデビル返却があったときは、巨泉自ら取ってアシスタントに渡すこともあった。
(七)^ 復刻版の﹁世界バリバリ☆バリュー﹂は、当日分の結果でトップ賞を決めた。
(八)^ 旅行対象はニアピン賞の旅行も含め基本的に一人である。
(九)^ 神津はこのルールによって世界一周旅行の権利を失った。
(十)^ ロストボール10本達成時に字幕スーパーに﹁ロストボール・ついに10本達成!﹂が出る。
(11)^ 他の毎日放送制作・TBS系列全国ネットの番組にも、宛先がこれに該当するものがあったが、同じ毎日放送制作・TBS系列全国ネットで放送されていた﹃世界ウルルン滞在記﹄についてはスタジオ観覧は東京、プレゼントは大阪宛だった。
(12)^ ただし巨泉はこの時﹁私が生きていたら…﹂と付け加えており、実際にはリップサービスだったとも思われる。
(13)^ 巨泉の81歳の誕生日である。
(14)^ 偶然にも、レギュラー版解答者であった石坂が出演していた﹃世界ウルルン滞在記﹄と同じ時間帯である。
(15)^ タイトルコールは﹁小倉智昭の日本まるごとHOWマッチ﹂
(16)^ レギュラー版解答者であったたけしは裏番組の﹃ビートたけしのスポーツ大将2015〜ナインティナインも参戦SP〜﹄︵テレビ朝日、以下﹃スポーツ大将﹄と表記︶に出演、司会を務めた巨泉は﹃スポーツ大将﹄レギュラー放送当時の秘蔵VTRを紹介するコーナーで登場していたため出演しなかった。ちなみに﹃スポーツ大将﹄も当番組よりほぼ1ヶ月前の1990年2月27日に終了しており、﹁25年振りの復活﹂とされていた。
(17)^ 土曜日17時からスポンサー︵地元スポンサー︶も差し替えられた上で放送されていた。そのため、オープニングの提供クレジット及びエンディングは差し替えられ、次週の解答者︵予告︶も放送されなかった。
(18)^ abc﹃24時間テレビ﹄放送日には放送時間変更があった。
(19)^ 放送時間は日曜日14時→同時→木曜日22時、﹃木曜座﹄以前からこの枠を放送していた。また、本番組の放映権がテレビユー山形へ移行後は﹃木曜劇場﹄のネットを開始したものの、本番組と異なり7日遅れでかつローカルスポンサーに差し替えての放送だった︵1993年3月まで︶。ちなみに、山形テレビは、1993年4月にテレビ朝日系列にネットチェンジした。
(20)^ 厳密には、サービス放送期間中の1983年12月1日から。
(21)^ 1983年3月までTBS系とフジテレビ系番組を交互ネットしていた福島テレビは、同年4月にFNNに加盟した関係でフジテレビ系フルネット化に向けての番組編成の都合上から非ネット。ちなみに、﹃木曜座﹄までは同時ネット。
(22)^ 2015年3月22日放送の﹃日本まるごとHOWマッチ﹄はチューリップテレビで放送。
(23)^ 1984年4月1日より日曜日10時から10時54分まで放送[11]。秋田放送とは異なり、提供クレジットのみ地元スポンサーと差し替え︵エンディング部分はそのまま︶。日本テレビ系のスポーツ情報番組﹃スポーツジョッキー 中畑クンと徳光クン﹄︵中畑清、徳光和夫司会︶ネットのため、最終回直前の1990年3月25日で打ち切り[12]。
(24)^ 1984年4月4日のネット開始から1985年3月27日までは水曜22時から[13]、1985年4月1日から1990年4月2日最終回までは月曜日22時から[14]放送。こちらも提供クレジットはローカル差し替え。
(25)^ 2015年3月22日放送の﹃日本まるごとHOWマッチ﹄はあいテレビで放送。
(26)^ 土曜日22時から放送。秋田放送、北日本放送同様、スポンサーの差し替えが行われていた。遅れ放送のため、視聴者プレゼントの締め切りを翌週月曜日の消印有効にするといった、南海放送独自の計らいもあった。
(27)^ 1984年10月から1986年9月の2年間は土曜日17時から時差ネット。TBS系列単独加盟ながら日本テレビの﹃木曜スペシャル﹄を同時ネットしていたため。なおスポンサーは差し替えずにそのままネットしていた。
出典[編集]
(一)^ 毎日放送40年史編纂室﹃毎日放送の40年 資料編﹄毎日放送、1991年、p.270
(二)^ ﹁︿折り込み﹀週間番組表と番組ガイド﹂﹃財界ふくしま﹄第12巻第11号、行政問題研究所、1983年11月10日、91頁、NDLJP:2832618/48。
(三)^ ﹁FTV﹂﹃婦人生活﹄第40巻第6号、婦人生活社、1986年6月1日、93頁、NDLJP:2324862/93。
(四)^ ﹃ヒット商品﹁88﹂ 1989年版﹄講談社、1988年10月20日、153 - 161頁。NDLJP:11984310/79。
(五)^ http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/06quiz.htm
(六)^ 毎日放送40年史編纂室﹃毎日放送の40年 資料編﹄毎日放送、1991年、p.272
(七)^ abcd﹃企業と広告﹄第9巻第6号、チャネル、1983年8月1日、21頁、NDLJP:2853005/13。
(八)^ ﹃企業と広告﹄第10巻第11号、チャネル、1984年11月1日、11頁、NDLJP:2853020/8。
(九)^ “フジ﹁とくダネ!﹂キャスター小倉智昭氏 膀胱がん手術、休養へ”. スポニチアネックス. (2016年5月13日) 2016年5月16日閲覧。
(十)^ 日本まるごとHOWマッチ︻伝説のクイズ番組、25年ぶり一夜限りの復活!︼ 毎日放送、2015年3月17日閲覧
(11)^ ﹃北日本新聞﹄1984年4月1日付朝刊、テレビ欄。
(12)^ ﹃北日本新聞﹄1990年3月25日付朝刊テレビ欄。
(13)^ ﹃北國新聞﹄1984年4月4日付、1985年3月27日付各朝刊テレビ欄。
(14)^ ﹃北國新聞﹄1985年4月1日付、1990年4月2日付各朝刊テレビ欄。
毎日放送制作・TBS系列 木曜22:00 - 22:54枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
世界まるごとHOWマッチ |
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毎日放送をはじめとするTBS系列 木曜20:00 - 20:54枠 | ||
ビートたけしの学問ノススメ |
世界まるごとHOWマッチ |
関連項目 |
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