精忠神社
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精忠神社[1] | |
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所在地 | 栃木県下都賀郡壬生町本丸1-8-33 |
主祭神 | 鳥居元忠[1] |
創建 | 正徳2年(1712年)[1] |
精忠神社︵せいちゅうじんじゃ︶は、栃木県下都賀郡壬生町の神社[1]。
干瓢神社とも呼ばれている[1]。
歴史[編集]
1712年︵正徳2年︶に創建され、1799年︵寛政11年︶6月22日に精忠神社の社号を光格天皇の神祇官から賜った[1]。 祭神の鳥居元忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦となる伏見城の戦いで討ち死にした。徳川家康は元忠の忠義に報いるため、一時は山形藩24万石にまで加増した。後に子孫が不祥事を起こしても、元忠の勲功を考慮し、特例として減封で許されている。鳥居忠英の代になって壬生藩に落ち着くことになり、元忠を祀る神社を創建した。[要出典] 境内には、元忠が自害した血染めの畳を埋めた﹁畳塚﹂がある[2]。江戸時代は江戸城伏見櫓にあったが、江戸開城の後、明治政府により壬生藩に払い下げられることになった。[要出典] 他にも﹁干瓢発祥二百五十周年記念碑﹂がある。現在、栃木県の特産物となっている干瓢は、忠英が旧領の水口藩からユウガオの種子を取り寄せて普及させたのがきっかけである[2]。交通アクセス[編集]
- 壬生駅より徒歩15分。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年