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紀元前558年︵きげんぜん558ねん︶は、西暦︵ローマ暦︶による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元196年として知られていた。紀年法として西暦︵キリスト紀元︶がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前558年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法[編集]
●干支 : 癸卯
●日本
●皇紀103年
●綏靖天皇24年
●中国
●周 - 霊王14年
●魯 - 襄公15年
●斉 - 霊公24年
●晋 - 悼公15年
●秦 - 景公19年
●楚 - 康王2年
●宋 - 平公18年
●衛 - 殤公元年
●陳 - 哀公11年
●蔡 - 景侯34年
●曹 - 成公20年
●鄭 - 簡公8年
●燕 - 武公16年
●呉 - 諸樊3年
●朝鮮
●檀紀1776年
●ユダヤ暦 : 3203年 - 3204年
できごと[編集]
●宋の向戌が使節として魯を訪れ、劉で盟を結んだ。
●周の劉夏が斉に王后を迎えた。
●楚の子庚︵公子午︶が令尹となり、公子罷戎が右尹となり、蔿子馮が大司馬となり、公子橐師が右司馬となり、公子成が左司馬となり、屈到が莫敖となった。
●鄭の尉氏・司氏の乱の後、宋に逃れていた堵女父・尉翩・司斉が鄭に引き渡され、処断された。
●斉の霊公が魯の北辺を侵し、成を包囲した。魯の襄公は成を救援し、遇に達した。季孫宿と叔孫豹が軍を率いて成の外郭を築いた。
●邾が魯の南辺を侵した。
●鄭の公孫夏が晋に赴いた。
●悼公 - 晋の君主