青山京子
あおやま きょうこ 青山 京子 | |
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『サンケイグラフ』1954年11月28日号 | |
本名 | 小林 みどり |
生年月日 | 1935年11月23日 |
没年月日 | 2020年1月12日(84歳没) |
出生地 | 日本 東京市世田谷区 |
死没地 | 日本 東京都 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ |
活動期間 | 1952年 - 1967年 |
配偶者 | 小林旭 |
主な作品 | |
映画 『潮騒』(1954年) 『生きものの記録』(1955年) |
青山 京子︵あおやま きょうこ、1935年11月23日 - 2020年1月12日︶[1] は、1950年代から1960年代にかけて活動していた日本の女優。本名・小林 みどり︵こばやし みどり︶[1]。東京府東京市世田谷区︵現東京都世田谷区︶出身。夫は俳優・歌手の小林旭[1]。
﹃キネマ旬報﹄第100号︵1954年︶より
香蘭女学校中等科卒業後、玉川聖学院高等部在学中の1952年に、東宝の丸山誠治監督作品﹃思春期﹄に登場する女子高校生役のオーディションを受け、2000人の中から合格し、本名の中西みどり名義でデビューした[2]。映画公開後に青山京子と改名[2]。同年に退学処分となったために、文化学院へ転校して卒業。
東宝の5期ニューフェイスとして演技の勉強を続け、1953年以降50本余の東宝作品に出演した。中でも1954年の﹃潮騒﹄は相手役の久保明とのコンビで、女優として大きく躍進する作品となった。1958年にフリーとなり、松竹の﹃江戸遊民伝﹄など時代劇女優で脚光を浴び、1960年だけで18本の映画に出演する。1967年、小林旭と結婚し引退した[1]。その後亡くなるまで芸能界に復帰することは全くなかった。
2020年1月12日、肺がんにより東京都内の病院で死去[1]。84歳没。
経歴[編集]
エピソード[編集]
●1956年︵昭和31年︶3月7日、イタリアのローマで同3月12日から18日まで開催された日本映画見本市に出席のため、高千穂ひづるらと共にスカンジナビア航空機で出発。同3月23日、帰国。日本出発時の飛行機のタラップ︵屋根なし︶での写真が現存する。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。 ●続いて1959年︵昭和34年︶8月2日、モスクワ国際映画祭に出席のため、旧ソビエト連邦︵現‥ロシア連邦︶の首都モスクワへ出発。同8月31日、約1ヶ月ぶりに日本に帰国した。この時もまだ海外渡航自由化の前で、貴重なモスクワ訪問となった。主な出演作品[編集]
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
●恋人︵1959年、NTV︶ ●友情︵1959年、NTV︶ ●姫君と浪人︵1959年、NTV︶ ●再婚︵1959年、NTV︶ ●あにいもうと︵1960年、CX︶ ●国士無双︵1961年、NHK︶ ●松本清張シリーズ・黒の組曲 第18話﹁万葉翡翠﹂︵1962年、NHK︶ ●銀と青銅の差︵1963年、NHK︶ ●秋津温泉︵1963年、CX︶ ●水戸黄門 (ブラザー劇場) ︵TBS︶ ●第9話﹁天下の餅つき﹂︵1964年︶ ●第41話﹁島育ち﹂︵1965年︶ ●喜びも悲しみも幾歳月︵1965年、TBS︶ ●竜馬がゆく︵1965年、MBS︶ ●くらやみ五段︵1965年 - 1966年、NET︶脚注[編集]
参考文献[編集]
- 東京国立近代美術館フィルムセンター編 『日本映画史研究(2) 東宝映画50年のあゆみ(2)』1983年。
外部リンク[編集]
- 青山京子 - 日本映画データベース
- 青山京子 - allcinema
- 青山京子 - KINENOTE
- 青山京子 - MOVIE WALKER PRESS
- Kyôko Aoyama - IMDb(英語)
- 青山京子 - テレビドラマデータベース