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高瀬 文淵︵たかせ ぶんえん、元治元年1月26日︵1864年3月4日︶- 昭和15年︵1940年︶1月26日︶は、明治時代の小説家。本名は黒川安治。主に1890年代に活動した。
安房国朝夷郡︵現・千葉県南房総市︵旧安房郡白浜町︶︶に生まれる。千葉師範学校を卒業して教職に就くが、後に上京して文学界に入り、雑誌﹃教訓﹄や﹃少年文庫﹄の編集に携わりながら、小説や評論を発表した。
しかし、1908年︵明治41年︶に自殺した川上眉山の通夜に参列したころから、ほかの文学者との交わりを絶つようになり、大正年間にはいくつかの時代小説を書くにとどまった。
田山花袋は﹃東京の三十年﹄の中で、高瀬の思い出を記している︵岩波文庫版p49-51︶。それによると、二葉亭四迷、森鴎外、樋口一葉を推し、尾崎紅葉は高く評価はしなかったという。
参考文献[編集]