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高砂や︵たかさごや︶は、落語の演目のひとつ。
かつては8代目春風亭柳枝や6代目春風亭柳橋などが演じ、10代目柳家小三治が十八番にしていた。
あらすじ[編集]
何の因果か、物知らずな八五郎がひょんな事から仲人を仰せつかる事になった。相手は伊勢屋という豪商。着ていく服もなく、困った八五郎、知り合いの隠居に羽織を借りに行った。
ついでに仲人の心得を教えてもらい、﹁ご祝儀に﹃高砂や﹄ぐらいはやらなくてはいけない﹂と言われる。
﹃謡﹄などに縁のない八五郎は頭を抱えるが、隠居に﹁ほんの頭だけうたえば、あとはご親類方がつけるから﹂と言われてしぶしぶ歌う事になる。節が似ていると言うので、豆腐屋の売り声を試し声とし、なんとか出だしだけはうたえるようになった。
さて本番。婚礼の披露宴なかばで﹁ここらでご祝儀をひとつ﹂。
頼まれた八五郎、いきなり﹁とーふー﹂と声の調子を試したあと、﹁高砂や この浦舟に 帆を上げて﹂をひとくさりやって、﹁あとはご親類方で﹂と逃げようとした。ところが﹁親類一同不調法で……仲人さんお先に﹂といわれ、思わず﹁高砂や この浦舟に帆を 下げて﹂と謡ってしまい、﹁下げちゃ、だめですよ﹂と突っ込まれる。
﹁高砂や この浦舟に 帆をまた上げて 高砂や この浦舟に……ウゥ……助け舟ェ!!﹂
典型的な﹃オウム﹄︵教えてもらったとおりにやろうとして失敗するパターン︶の噺で、似たようなパターンの噺に﹁松竹梅﹂がある。
オチとなる﹁高砂や﹂の謡いは、能の﹃高砂﹄に出てくる謡で、高砂の松と住吉の松とが相生の松であるとし、夫婦和合をうたっている。
その他[編集]
この後、
●﹁高砂や この浦舟に帆を 下げて〜﹂などとやっているうち、一同が巡礼歌の節で﹁高砂や﹂を謡いだしてしまう。仕舞には一同揃って﹁婚礼にご容赦︵=巡礼にご報謝︶﹂。
まで演じるのが本来のやり方だが、﹁巡礼にご報謝﹂︵石川五右衛門を主役とした歌舞伎﹃楼門五三桐﹄二幕目の幕切れで、巡礼姿の真柴久吉が発する決め台詞︶が分かりにくいことから、﹁助け舟﹂でサゲることが多い。