鶴澤道八
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鶴澤 道八︵つるさわ どうはち︶は、文楽義太夫節三味線方の名跡。初代・二代を数える。定紋は九枚笹。
九枚笹
初代鶴澤道八
二代目鶴澤道八
本名‥坪井澤一。岡山県矢掛町出身。四代目鶴澤清六門弟、後に初代鶴澤道八門弟。父は三代目鶴澤清糸。義兄に四代目鶴澤清六。養子に初代鶴澤清治、孫には、六代目竹本織太夫、鶴澤清馗。曾孫には、二代目豊竹咲甫太夫、鶴澤清斗。門弟には、二代目鶴澤清友、鶴澤清介、鶴澤八介。孫弟子に、二代目鶴澤藤蔵︵五代目鶴澤清二郎︶、鶴澤清志郎、鶴澤清馗︵初代鶴澤清治門弟︶、四代目鶴澤友之助︵二代目鶴澤清友門弟︶、鶴澤清丈'、鶴澤清公、鶴澤清允、鶴澤清方、鶴澤清斗︵鶴澤清介門弟︶がいる。
このように、血縁である養子鶴澤清治一門、孫の鶴澤清馗、名跡を継承した四代目鶴澤友之助を除き、直弟子から孫弟子に至るまで門弟の名前の二文字目には全て四画の漢字が当てられている︵清﹁友﹂・清﹁介﹂・八﹁介﹂・清﹁丈'﹂・清﹁公﹂・清﹁允﹂・清﹁方﹂・清﹁斗﹂全て四文字︶。これは、清六の﹁六﹂の字が四画であることに由来し、自身は二代目鶴澤道八を襲名したものの、六代目鶴澤徳太郎を襲名したことで鶴澤清六家の当主となったからである。
昭和3年︵1928年︶四代目鶴澤清六に入門。初代鶴澤清友を名乗る。昭和5年︵1930年︶から2年余り初代鶴澤道八の内弟子となる。昭和31年︵1956年︶1月道頓堀文楽座杮落公演﹃絵本太功記﹄﹁尼ヶ崎の段 前﹂で豊竹松太夫︵三代目竹本春子太夫︶を弾き、六代目鶴澤徳太郎を襲名。昭和45年︵1970年︶4月道頓堀朝日座、5月東京国立劇場﹃義経千本桜﹄﹁道行初音旅﹂で二代目鶴澤道八を襲名。この﹁道行初音旅﹂は、太夫‥四代目竹本越路太夫、四代目竹本津太夫、九代目竹本文字太夫︵七代目竹本住太夫︶、豊竹十九太夫、竹本緑太夫。三味線‥シンに二代目鶴澤道八、六代目鶴澤寛治、十代目竹澤弥七、八代目竹澤團六︵七代目鶴澤寛治︶、四代目竹澤團二郎︵竹澤團七︶、鶴澤清治と、その当時の文楽座が誇るフルメンバーであった。
高木浩志は著書﹃文楽入門﹄で六代目鶴澤徳太郎︵二代目鶴澤道八︶について﹁清治を本当に可愛く思っているようで、リサイタルでもまめまめしく世話をしてやりながら、若い人の時代ですワ、私はもう一軒宿屋でも建てて隠居したい、などといっていましたが、とんでもない、この人あたりの統率力、今日性、具体的な教授法が、ものをいう時期が目前なのです。襲名したのも、新弟子をとったのも、まあやる気十分といったところでしょう。﹂と記している。[11]