鹿児島工業短期大学
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鹿児島工業短期大学 | |
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鹿児島工業短期大学付近の航空写真。下の道路沿いにある建物が校舎である[1] | |
大学設置 | 1966年 |
廃止 | 1973年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人原田学園 |
本部所在地 | 鹿児島県鹿児島市谷山塩屋町1030番地 |
学部 | 電子工学科 |
鹿児島工業短期大学︵かごしまこうぎょうたんきだいがく、英語: Kagoshima Junior College of Technology、公用語表記: 鹿児島工業短期大学︶は、鹿児島県鹿児島市谷山塩屋町1030番地に本部を置いていた日本の私立大学である。1966年に設置され、1973年に廃止された。大学の略称は鹿工大︵かこうだい︶、鹿工短︵かこうたん︶。
概要[編集]
大学全体[編集]
●鹿児島県鹿児島市に所在した日本の私立短期大学で[2]、設置主体は学校法人原田学園。 ●1学科で入学定員100名体制[3]で1966年に開学[4][注 1]。 ●1971年度の入学生を最後に[注釈 1]、1973年に短期大学としての使命を終える[注 2]。教育および研究[編集]
●鹿児島工業短期大学には電子工学科が設置されており、﹁数学﹂・﹁物理﹂・﹁電気﹂などの基礎科目のほか、﹁電子﹂・﹁電磁気﹂・﹁通信機器﹂等の諸科目があった[7]。学風および特色[編集]
●鹿児島工業短期大学は電子工業界の中堅幹部を養成することをねらいに設置された。また、南九州地方の短期大学では、唯一の電子工学科が設置されていた。教員には鹿児島大学や鹿児島県立短期大学との兼任者が多いものとなっていた。入学試験について[編集]
●当時、数学・理科︵物理・﹁電気一般﹂から1科目選択することになっていた︶・英語といった学科試験と面接試験により入学者を選抜していた。沿革[編集]
前史 ●1955年 南九州無線電信電話専門学校が創設される。 ●1959年 ●10月20日 学校法人原田学園が設立する[8]。 ●1960年 鹿児島電波工業高等学校が設置される。 ●1963年 鹿児島電子工業高等学校が設置される。 短期大学への改組以降
●1966年
●3月18日 左記を以て文部省[注 3]より短期大学の設置が認可される[注 4]
●4月1日 鹿児島工業短期大学が以下の学科体制にて開学する[注 5]。
●電子工学科[注 7]
●1971年
●4月1日 本年度をもって学生募集を終了[注釈 1][注 9]
●1973年
●8月10日をもって正式に廃止[注 10][注 11]。
開学から閉校まで学長であった迫水久常
基礎データ[編集]
所在地[編集]
●鹿児島県鹿児島市谷山塩屋町1030[17]。なお跡地は同じ原田学園のこまつばら幼稚園としらゆき保育園になっている。当時の交通アクセス[編集]
●鹿児島市電谷山電停から徒歩で通学することになっていた。国鉄指宿枕崎線谷山駅からでも徒歩利用が可能だったが、こちらの方が遠いものとなっていた。象徴[編集]
●鹿児島工業短期大学のカレッジマークには、当短大の略称である﹁鹿工大﹂の文字が記されている。教育および研究[編集]
組織[編集]
学科[編集]
●電子工学科 入学定員100名[注 12]専攻科[編集]
●なし別科[編集]
●なし取得資格について[編集]
●中学校教諭二級免許状︵技術︶の課程が設けられていた大学関係者と組織[編集]
大学関係者一覧[編集]
大学関係者[編集]
●迫水久常‥開学から閉学まで学長に歴任。対外関係[編集]
系列校[編集]
●鹿児島情報高等学校︵1973年の閉校時は鹿児島電子工業高等学校︶ ●鹿児島医療技術専門学校注釈[編集]
注釈グループ[編集]
(一)^ ab昭和47年度より学生募集停止[5]。補足[編集]
(一)^ 南九州無線電信電話専門学校を発展改組してを設置した谷山市史 第6編 教育文化 (PDF) p.776 - 谷山市︵鹿児島市︶ 2012年9月12日閲覧。
(二)^ 右記資料には、学生の募集難が原因とされている[6]。
(三)^ 現在の文部科学省。
(四)^ 出典[9][10][11]。
(五)^ 右記資料には、1965年開学となっている[12]。
(六)^ うち女1。
(七)^ 在学者数は61[注 6][13]/定員100
(八)^ abうち女2。
(九)^ 学生総数は40[注 8][14]。
(十)^ 右記の資料には、1974年度には電子工学科を廃止して、女子に適した学科を新設予定という旨の記事があった。また、﹁将来は四年制大学への昇格﹂といった旨の記事も記されていた[15]。
(11)^ 募集停止年の学生数19[注 8][16]/定員50。
(12)^ 最終募集となった1971年における体制[18]。
出典[編集]
(一)^ 閉校の翌年︵1974年︶に撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成、写真上方の校舎はラ・サール中学校・高等学校である。
(二)^ 日本教育年鑑 1967年版より。
(三)^ 短期大学教育 (20)より。
(四)^ 機械工学年鑑 昭和41年より。
(五)^ 短期大学教育 (30)より。
(六)^ 鹿児島市史4より。
(七)^ 全国短大・高専職員録 昭和41年版より。
(八)^ 学校法人名簿 昭和42年度より。
(九)^ 短期大学一覧 昭和41年度 (短期大学資料)より。
(十)^ 文部省年報 第93年(昭和40年度)-110コマ目-より。
(11)^ 文部省年報 第93年(昭和40年度)-89コマ目-より。
(12)^ 谷山市誌より。
(13)^ 全国学校総覧 昭和42年版より。
(14)^ 全国学校総覧 昭和47年版より。
(15)^ 晶文社'1973.
(16)^ 全国学校総覧 昭和48年版より。
(17)^ 1972年3月現在では、同市上福元町4118︵現在の鹿児島情報高等学校の所在地︶となっている。
(18)^ 短期大学教育 (29)より。
参考文献[編集]
- 晶文社/編『全国短期大学受験案内 昭和49年度』晶文社 。