203高地

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座標: 北緯38度49分43.10秒 東経121度11分36.30秒 / 北緯38.8286389度 東経121.1934167度 / 38.8286389; 121.1934167

203高地
海軍軍令部『明治三十七八年海戦史』(1909年)より
標高 203 m
所在地 中華人民共和国の旗 中国 遼寧省大連市
プロジェクト 山
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203: Высо́кая Гора́[1][2]

[2]203[1]

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203使
2034km
203

19851988[2]1954使[1]19967203[1]

2009203[2]

203[1]

日露戦争[編集]

日露戦争において要所となった旅順において、日本陸軍第3軍を編成し旅順要塞および旅順艦隊を攻撃した。

経緯[編集]


西203





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203高地にまつわる文化[編集]

二百三高地髷[編集]

日露戦争後に日本で流行した、前髪を張り出し、頭頂部に束ねた髪を高くまとめるような女性の髪型を「二百三高地髷(にひゃくさんこうちまげ)」という。当時普及し始めていた洋装に合う髪型として生み出された。

漢詩「爾霊山」[編集]

乃木希典が203高地での戦いについて書いた「爾霊山」がよく知られている[1]

爾霊山険豈難攀
男子功名期克艱
鉄血覆山山形改
万人斉仰爾霊山

映画『二百三高地』[編集]

1980年、日露戦争の旅順攻囲戦における203高地での日露両軍の攻防戦を描いた『二百三高地(にひゃくさんこうち)』という東映製作の日本映画が公開された。1981年にはテレビドラマ化もされている。

爾霊山高地の石塊・棗萩松碑[編集]

湘南遊歩道路(現・国道134号)開通時(1935年1月1日)、神奈川県鎌倉郡片瀬町(現・藤沢市片瀬海岸一丁目)の現在の江ノ電駐車場の所に建てられた乃木の銅像の傍らに横須賀鎮守府が寄贈したもの。戦後、銅像が取り壊されたときに江の島島内の児玉神社境内に移設された。

脚注[編集]



(一)^ abcdefgh.  . 2024110

(二)^ abcd 222016145-157 

(三)^ abcdefghijkl 7122020299-341 

(四)^   - archive.today201285

(五)^  6

(六)^ 2034travel.jp

(七)^ (Chinavi2015)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]