ハドリアヌス(英語表記)Publius Aelius Hadrianus

デジタル大辞泉 「ハドリアヌス」の意味・読み・例文・類語

ハドリアヌス(Publius Aelius Hadrianus)

 
76138117138  

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精選版 日本国語大辞典 「ハドリアヌス」の意味・読み・例文・類語

ハドリアヌス

 

(一)( Publius Aelius Hadrianus = ) 
 

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改訂新版 世界大百科事典 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス
Publius Aelius Hadrianus
生没年:76-138


117-1383︿姿︿

 Hadrianopolis2Antinoos殿

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス
Hadrianus, Publius Aelius

 
[]76.1.24. 
[]138.7.10. 
 ( 117138)  ( ) 殿 (132)  ()   

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス
はどりあぬす
Publius Aelius Hadrianus
(76―138)

ローマ皇帝(在位117~138)。五賢帝の三番目の皇帝。トラヤヌス帝(在位98~117)と同じくスペインのイタリカ出身で、トラヤヌス帝の遠縁にあたる。85年に父を亡くし、トラヤヌスの後見を受ける。その後軍事、政治の要職を歴任し、第一次、第二次ダキア戦争にも従軍。トラヤヌスのパルティア遠征の際にはシリア総督であり、トラヤヌスが117年にキリキアで病死したとき、死に際に養子とされ、帝位を継いだ。対外政策はトラヤヌスと対照的に平和的、防衛的であり、パルティアと和し、属州の防衛や統治の強化のために121~134年にかけて帝国各地を巡察した。その際、ブリタニアに、いわゆる「ハドリアヌスの長城」を築いた。ユダヤ人の反乱(132~135)だけが治世の平穏を破る事件であった。ハドリアヌスは行政機構の改革に多くの成果を残し、都市の建設や建築造営にも多大な関心を示した。136年ルキウス・アエリウスを養子として後継者に指名したが、138年に彼が病死したためアントニヌス・ピウスを新たに指名し、同年7月10日に死亡した。

[市川雅俊]


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百科事典マイペディア 「ハドリアヌス」の意味・わかりやすい解説

ハドリアヌス

 
117138︿
 

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハドリアヌス」の解説

ハドリアヌス
Publius Aelius Hadrianus


76138(117138)

3()殿

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハドリアヌス」の解説

ハドリアヌス
Publius Aelius Hadrianus

76〜138
古代ローマ皇帝(在位117〜138)
五賢帝のひとり。トラヤヌス帝の甥。その治世は,帝国の最盛期にあたる。トラヤヌスの外征政策を放棄し,帝国の東境をユーフラテス川までと定め,ブリタニアの北境にも長城(ハドリアヌスの壁)を設けて防備を固めた。イェルサレムを完全に破壊し,そのためユダヤ人は離散した。

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