デジタル大辞泉
「ブレーク」の意味・読み・例文・類語
ブレーク(break)
1 ボ ク シ ン グ で 、 ク リ ン チ の 体 勢 と な っ た と き 、 レ フ ェ リ ー が 選 手 に 離 れ る よ う に 命 じ る 語 。
2 テ ニ ス で 、 レ シ ー ブ 側 が 相 手 の サ ー ビ ス ゲ ー ム に 勝 つ こ と 。
3 停 止 。 休 憩 。 ﹁ テ ィ ー ブ レ ー ク ﹂
4 急 に 人 気 が 出 る こ と 。 大 当 た り 。 ヒ ッ ト 。 ﹁ 女 子 高 生 に ブ レ ー ク す る ﹂
ブ レ ー ク ︵ W i l l i a m B l a k e ︶
﹇ 1 7 5 7 ~ 1 8 2 7 ﹈ 英 国 の 詩 人 ・ 画 家 ・ 版 画 家 。 ロ マ ン 主 義 の 先 駆 者 で 、 深 い 精 神 性 を も つ 幻 視 と 幻 想 の 世 界 を 象 徴 的 に 表 現 し た 。 詩 画 集 ﹁ 無 垢 の 歌 ﹂ ﹁ 経 験 の 歌 ﹂ な ど 。
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ブレーク
(一) 〘 名 詞 〙 ( [ 英 語 ] b r e a k )
(二) ① ボ ク シ ン グ や レ ス リ ン グ で 、 一 方 が 相 手 の 攻 撃 を 避 け よ う と し て 、 両 者 が 組 み 合 う 体 勢 に な っ た と き 、 レ フ リ ー が 離 れ て 戦 う よ う に 命 令 す る こ と 。 ま た 、 そ の 時 の 言 葉 。
(三) ② ラ グ ビ ー で 、 ス ク ラ ム を 解 く こ と 。
(四) ③ テ ニ ス で 、 相 手 の サ ー ビ ス ゲ ー ム を 打 ち 破 る こ と 。
(五) ④ 休 憩 。 停 止 。 ﹁ コ ー ヒ ー ブ レ ー ク ﹂
(六) ⑤ 売 上 げ や 人 気 が 飛 躍 的 に 伸 び る こ と 。 ﹁ 最 近 ブ レ ー ク し た 歌 手 ﹂
ブレーク
( William Blake ウィリアム ━ ) イギリス の詩人、画家。のちに「預言書」と称される自作の神話的叙事詩集などに、独特な装飾性と幻想性に満ちた挿絵の版画を残した。著に詩集「無垢の歌」「経験の歌」など。(一七五七‐一八二七 )
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ブレーク William Blake 生没年:1757-1827
目次 画家,版画家としてのブレーク
イ ギ リ ス の 前 ロ マ ン 派 の 詩 人 , 画 家 。 科 学 尊 重 の 18 世 紀 の ︿ 散 文 と 理 性 の 時 代 ﹀ に あ っ て , 人 間 の 自 由 を し ば る 因 襲 的 モ ラ ル に 反 対 し , こ と ば よ り シ ン ボ ル を , 理 性 よ り は 活 力 ︵ エ ナ ジ ー ︶ を 重 視 , 想 像 力 に よ っ て ユ ニ ー ク な 神 話 的 ビ ジ ョ ン の 世 界 を つ く っ た 神 秘 詩 人 。 ロ ン ド ン の 洋 品 商 の 次 男 に 生 ま れ , 子 ど も の こ ろ か ら 異 常 な 幻 視 力 を 示 し , ペ カ ム ・ ラ イ で 木 に 天 使 が 鈴 な り に な っ て い る と い っ て 父 に 叱 ら れ た こ と も あ っ た 。 正 規 の 学 校 教 育 は 受 け な か っ た が , 10 歳 の と き パ ー ズ 画 塾 に 入 り バ ザ イ ア J a m e s B a s i r e ︵ 1 7 3 0 - 1 8 0 2 ︶ か ら 彫 刻 銅 版 画 を 習 っ た 。 1 7 8 2 年 , 園 芸 家 の 娘 キ ャ サ リ ン ・ バ ウ チ ャ ー と 結 婚 , W . ヘ ー リ ー の 庇 護 を 受 け つ つ 彫 版 で 家 計 を 支 え , あ と は 創 作 に 熱 中 し た 。 彼 の 強 い 幻 想 は , 同 時 代 の 芸 術 家 や 大 衆 の 理 解 を こ え る こ と も あ り , 憤 り と 熱 狂 の す え 偏 執 病 に 陥 っ た こ と も あ っ た 。 処 女 詩 集 ︽ 小 品 詩 集 ︾ ︵ 1 7 8 3 ︶ の あ と に 出 し た ︽ 無 心 の う た ︾ ︵ 1 7 8 9 ︶ と , そ れ に ︽ 経 験 の う た ︾ を 加 え て 合 本 と し た ︽ 無 心 と 経 験 の う た ︾ ︵ 1 7 9 4 ︶ は , ブ レ ー ク の 特 質 を 表 す 傑 作 で あ る 。 副 題 に あ る ︿ 人 間 精 神 の 二 つ の 対 立 状 態 ﹀ が , 小 羊 の よ う な 柔 和 な 動 物 と キ リ ス ト と が 一 体 化 し た 清 ら か で 無 心 の 子 ど も 世 界 と , そ の 世 界 の 夢 と 希 望 を く だ く 非 情 な 大 人 の 経 験 世 界 と の 対 比 で う ま く 説 明 さ れ て い る 。 少 年 の 愛 の 花 咲 く 野 原 を 茨 ︵ い ば ら ︶ の 墓 地 に 変 え た 僧 侶 の 詩 ︿ 愛 の 花 園 ﹀ は そ の 一 例 で あ る 。 こ の 対 立 は , こ の 段 階 で は 調 和 さ れ ず に , ︿ 黙 示 録 的 な 風 刺 作 品 ﹀ の ︽ 天 国 と 地 獄 の 結 婚 ︾ ︵ 1 7 9 0 - 9 3 ︶ へ 続 く 。 善 と 悪 , 精 神 と 肉 体 , 活 力 と 理 性 , 愛 憎 は も と も と 人 間 の 本 性 で あ り , こ の 対 立 衝 突 を 経 て , 人 間 は よ り 高 次 な 調 和 の 状 態 に 達 す る と 考 え た 。 こ の 着 想 に は 相 反 す る 性 質 の 物 質 の 結 合 か ら 金 属 変 成 が 生 じ る と い う パ ラ ケ ル ス ス や , 魂 の 再 生 を 実 現 す る の に 対 立 の 弁 証 法 を 用 い た J . ベ ー メ の 影 響 も あ る 。 ま た 正 統 的 な 教 会 主 義 に 反 対 し た E . ス ウ ェ ー デ ン ボ リ の 倫 理 観 を こ え よ う と す る ブ レ ー ク の 意 図 は , 痛 烈 な ︿ 地 獄 の 格 言 ﹀ や , 理 性 に 対 す る 活 力 の 優 位 論 に よ く 表 れ て い る 。 後 年 の 予 言 書 で あ る , ︽ ア ル ビ オ ン の 娘 の 幻 想 ︾ ︵ 1 7 9 3 ︶ , ︽ ア メ リ カ ︾ ︵ 1 7 9 3 ︶ , ︽ ヨ ー ロ ッ パ ︾ ︵ 1 7 9 4 ︶ , ︽ ユ リ ゼ ン の 書 ︾ ︵ 1 7 9 4 ︶ , ︽ ロ ス の 書 ︾ ︵ 1 7 9 5 ︶ で , 人 間 本 来 の 神 聖 さ と 自 由 を 抑 圧 す る 因 襲 的 な 世 界 観 へ の 反 発 と 解 放 へ の 自 由 を う た い , ︽ 四 分 身 ︾ で は , こ れ ら の 小 予 言 書 を 総 合 し た 壮 大 な 神 話 創 造 を 目 ざ し た 。 暴 君 で 理 性 の 神 ユ リ ゼ ン が 戦 争 道 具 を 捨 て て ︿ 鋤 と 農 具 ﹀ を 取 り 戻 す 条 は , 活 力 と 理 性 な ど の 対 立 矛 盾 の 調 和 を 暗 示 し , こ の 作 品 の 新 し い 詩 的 宇 宙 観 を の ぞ か せ て い る 。 1 8 2 7 年 無 名 の ま ま 公 共 墓 地 に 埋 葬 さ れ た 。 日 本 へ の 影 響 は 大 和 田 建 樹 の 訳 を 皮 切 り に , 創 作 面 で は ︿ 病 め る 薔 薇 ︵ ば ら ︶ ﹀ ︵ ︽ 経 験 の う た ︾ 所 収 ︶ が 三 木 露 風 の 同 名 の 詩 や 佐 藤 春 夫 の ︽ 病 め る 薔 薇 ︵ そ う び ︶ ︾ ︵ の ち の ︽ 田 園 の 憂 鬱 ︾ ︶ の 基 本 モ テ ィ ー フ に 生 き て い る 。 思 想 宗 教 面 で は , 和 辻 哲 郎 , 柳 宗 悦 , 山 宮 允 の 著 作 に 感 化 の あ と が み ら れ る 。
執 筆 者 ‥ 松 浦 暢
画 家 , 版 画 家 と し て の ブ レ ー ク
1 7 7 9 年 , ブ レ ー ク は 彫 刻 銅 版 画 を 学 ん だ J . バ ザ イ ア の 工 房 を 出 , 王 立 ア カ デ ミ ー に 入 学 す る 。 し か し , 当 時 の 新 古 典 主 義 的 歴 史 画 を も っ ぱ ら と す る 主 流 か ら 離 れ , 油 彩 を 嫌 い , す で に 習 得 し て い た 職 人 的 複 製 版 画 の 技 法 を 基 盤 に , 創 作 版 画 家 と し て の 道 を 目 ざ す 。 ス ト ザ ー ド T h o m a s S t o t h a r d ︵ 1 7 7 5 - 1 8 3 4 ︶ , J . フ ラ ッ ク ス マ ン ら か ら 学 ん だ , 輪 郭 線 を 主 と し た 素 描 を 生 か し て レ リ ー フ ・ エ ッ チ ン グ ︵ 腐 食 し た 部 分 に イ ン キ を 詰 め な い で 残 っ た 凸 部 分 に イ ン キ を つ け て 刷 る 凸 版 の 版 画 ︶ の 技 法 を 開 発 し , 中 世 写 本 の 効 果 を 再 現 す る よ う な 活 字 と 挿 絵 の 融 合 を 試 み る 。 ま た ゴ シ ッ ク 期 の 聖 堂 や 装 飾 , 彫 刻 の 模 写 を 通 じ て 得 た 中 世 美 術 と ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ の 芸 術 へ の 傾 倒 , そ し て J . H . フ ュ ッ ス リ と の 交 友 は 彼 の 造 形 的 源 泉 と な る と と も に , 強 烈 な 幻 想 性 の 糧 で も あ っ た 。 1 7 9 4 年 の ︽ 無 心 と 経 験 の う た ︾ に お い て 彩 色 版 画 の 連 作 形 式 が 確 立 し , 比 喩 に 富 む ラ ン ベ ス 予 言 書 群 ︵ ︽ ア メ リ カ ︾ ︽ ヨ ー ロ ッ パ ︾ ︽ ユ リ ゼ ン の 書 ︾ な ど ︶ で は , し だ い に ペ ー ジ に 占 め る 挿 絵 の 割 合 が 増 大 し て ゆ く 。 95 年 の 動 的 な 構 図 を 駆 使 し た ︽ ア ダ ム を 創 造 す る 神 ︾ ︽ 癩 の 家 ︾ な ど の 一 連 の 一 種 の モ ノ タ イ プ に 至 っ て は , 哲 学 的 に 解 釈 し た 神 話 や 聖 書 を 独 自 の イ メ ー ジ に よ っ て 表 現 し て い る 。 ま た 1 8 0 0 年 前 後 の 聖 書 を 主 題 と し た 一 連 の テ ン ペ ラ 画 で は , 闇 と 光 の 強 烈 な コ ン ト ラ ス ト を 用 い , 重 厚 な 画 像 を 生 み 出 す 一 方 , 水 彩 画 で は 淡 彩 の 効 果 と 大 胆 な フ ォ ル ム で 詩 情 に 富 む 挿 画 を 実 現 す る 。 言 語 と 絵 画 の 総 合 を 求 め た 彼 の 芸 術 は , 10 年 代 の の び や か な 白 線 を 多 様 に 用 い た 彩 色 版 画 連 作 ︽ ミ ル ト ン ︾ ︽ エ ル サ レ ム ︾ , 晩 年 の 大 作 で あ る 水 彩 画 ︽ ダ ン テ ︾ に お い て 調 和 と 完 成 の 域 に 達 す る 。 晩 年 彼 の 周 囲 に 集 ま っ た 若 い 画 家 た ち , と く に S . パ ー マ ー と E . カ ル バ ー ト ら に 深 い 影 響 を 与 え る が , そ の 内 面 的 芸 術 の 真 価 は 一 世 代 の ち の ラ フ ァ エ ル 前 派 の 人 々 に 発 見 さ れ 評 価 さ れ る こ と に な る 。
執 筆 者 ‥ 小 池 寿 子
ブレーク Edward Blake 生没年:1833-1912
カ ナ ダ の 政 治 家 。 1 8 8 0 - 8 7 年 自 由 党 党 首 。 ト ロ ン ト 大 学 卒 業 後 , 弁 護 士 を 経 て 1 8 6 7 年 カ ナ ダ 自 治 領 初 の 総 選 挙 で 下 院 に 選 出 さ れ , 政 界 に 入 る 。 同 時 に オ ン タ リ オ 州 議 会 議 員 に 選 出 さ れ , 71 年 オ ン タ リ オ 州 首 相 に 就 任 す る が , 二 重 代 表 制 の 廃 止 に と も な い 州 首 相 を 辞 任 し , 73 年 A . マ ッ ケ ン ジ ー 自 由 党 内 閣 の 成 立 と と も に 無 任 所 大 臣 と し て 入 閣 。 一 時 自 由 党 を 離 れ , カ ナ ダ ・ ナ シ ョ ナ リ ズ ム を 唱 道 す る ︿ カ ナ ダ 第 一 ﹀ 運 動 に 身 を 投 ず る が , そ の こ ろ オ ー ロ ラ で 行 っ た ︿ 独 立 国 カ ナ ダ ﹀ を 訴 え る 演 説 は 有 名 で あ る 。 75 年 に 再 び 自 由 党 に 復 帰 し 法 務 大 臣 と な り , カ ナ ダ 最 高 裁 判 所 の 樹 立 に 尽 力 し た 。 自 由 党 党 首 と し て は あ ま り 活 躍 を み せ ず , 91 年 に カ ナ ダ 政 界 を 辞 し , 晩 年 は ア イ ル ラ ン ド に 移 り 自 治 実 現 運 動 に 携 わ っ た 。
執 筆 者 ‥ 大 原 祐 子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
ブレーク Blake, William
[ 没 ] 1 8 2 7 . 8 . 1 2 . ロ ン ド ン
イ ギ リ ス の 詩 人 , 画 家 , 神 秘 思 想 家 。 14 歳 で 彫 版 師 J . バ ザ イ ア に 弟 子 入 り し , 1 7 7 9 年 王 立 ア カ デ ミ ー の 画 学 校 に 入 学 。 83 年 最 初 の 詩 集 を 出 版 , 89 年 に は 銅 版 画 に 着 色 し た ﹁ 彩 色 印 刷 ﹂ の 手 製 本 ﹃ 無 垢 の 歌 ﹄ S o n g s o f I n n o c e n c e を 出 版 。 以 後 ほ と ん ど す べ て の 作 品 を こ の 方 法 で 少 部 数 制 作 し た 。 ﹃ 天 国 と 地 獄 の 結 婚 ﹄ T h e M a r r i a g e o f H e a v e n a n d H e l l ( 1 7 9 3 ) , ﹃ 無 垢 の 歌 ﹄ の 姉 妹 編 ﹃ 経 験 の 歌 ﹄ S o n g s o f E x p e r i e n c e ( 94 ) な ど が あ り , 特 に ﹃ ア ル ビ オ ン の 娘 た ち の 幻 想 ﹄ V i s i o n s o f t h e D a u g h t e r s o f A l b i o n ( 93 ) 以 下 , ﹃ ミ ル ト ン ﹄ M i l t o n ( 1 8 0 4 ~ 08 ) , ﹃ エ ル サ レ ム ﹄ J e r u s a l e m ( 04 ~ 20 ) に い た る , ﹁ 予 言 書 ﹂ と 呼 ば れ る 壮 大 な 叙 事 詩 群 で は , 幻 視 と 神 秘 思 想 に よ る 独 自 な 神 話 世 界 を 現 出 し た 。 晩 年 に は 詩 作 を 離 れ , ミ ル ト ン や ダ ン テ な ど の 挿 絵 を 制 作 し た 。 生 前 は ほ と ん ど 理 解 さ れ ず , 彫 版 を 生 業 と し て 貧 窮 の う ち に 過 し た が , よ う や く 20 世 紀 に い た っ て そ の 巨 大 な 全 体 像 が 明 ら か に さ れ た 。
ブ レ ー ク
B l a k e , E d w a r d
[ 生 ] 1 8 3 3 . 1 0 . 1 3 . ア ッ パ ー カ ナ ダ , ア デ レ イ ド
[ 没 ] 1 9 1 2 . 3 . 1 . ト ロ ン ト
カ ナ ダ の 政 治 家 。 オ ン タ リ オ 州 首 相 ( 在 任 1 8 7 1 ~ 72 ) 。 1 8 5 6 年 法 曹 界 に 入 り , 67 年 コ ン フ ェ デ レ ー シ ョ ン 後 初 の 選 挙 で 自 由 党 か ら 連 邦 下 院 に 当 選 。 71 年 オ ン タ リ オ 州 首 相 に 就 任 。 法 律 に 詳 し く , A . マ ッ ケ ン ジ ー の 自 由 党 内 閣 に 法 相 と し て 入 閣 中 ( 75 ~ 77 ) に , カ ナ ダ 最 高 裁 判 所 の 創 設 や 総 督 の 権 限 の 縮 小 に 尽 力 し た 。 80 年 マ ッ ケ ン ジ ー を 継 い で 自 由 党 の 党 首 と な る が , 自 由 党 の ア メ リ カ と の 互 恵 政 策 に 反 対 し , 86 年 自 由 党 と カ ナ ダ 政 界 を 去 っ た 。 92 年 彼 は ア イ ル ラ ン ド の ナ シ ョ ナ リ ズ ム を 支 持 し て イ ギ リ ス 下 院 に 選 出 さ れ , 93 年 の ア イ ル ラ ン ド 自 治 法 案 作 成 を 助 け た が , カ ナ ダ 政 界 で 示 し た 影 響 力 は イ ギ リ ス で は 発 揮 さ れ な か っ た 。
ブ レ ー ク
B l a k e , R o b e r t
[ 生 ] 1 5 9 9 . 9 . サ マ セ ッ ト , ブ リ ッ ジ ウ ォ ー タ ー
[ 没 ] 1 6 5 7 . 8 . 1 0 . デ ボ ン , プ リ マ ス 港 沖
イ ギ リ ス の 海 軍 軍 人 。 1 6 4 0 年 長 期 議 会 議 員 に 選 出 さ れ , 清 教 徒 革 命 勃 発 後 は 議 会 軍 の 将 と し て 西 部 地 方 を 歴 戦 。 49 年 共 和 国 政 府 の 海 軍 司 令 官 に 任 命 さ れ , ル ー パ ー ト 王 子 の 国 王 軍 海 軍 と 抗 戦 し , ス ペ イ ン 沖 で 撃 破 。 第 1 次 イ ギ リ ス = オ ラ ン ダ 戦 争 ( 1 6 5 2 ~ 54 ) で 武 勲 を あ げ , 戦 傷 を 負 っ て 一 時 戦 列 を 離 れ た が , 54 年 再 度 司 令 官 と な り , 56 年 対 ス ペ イ ン 戦 争 が 勃 発 す る と 地 中 海 に 出 動 , サ ン タ ク ル ス 湾 で 敵 艦 隊 を 撃 破 し た が , 帰 国 の 直 前 艦 上 で 病 死 。
ブレーク Bleek, Wilhelm Heinrich Immanuel
[生]1827.3.8. ベルリン [没]1875.8.17. ケープタウン ドイツの言語学者。バンツー語比較言語学の開拓者として知られ,「バンツー語学の父」といわれる。 1851年博士号取得。主著『アフリカ・オーストラリア・ポリネシア語学便覧』 Handbook of African,Australian and Polynesian Philology (3巻,1858~63) ,『南アフリカ諸語比較文法』A Comparative Grammar of South-African Languages (2巻,62~69) など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ブレーク
英 国 の 詩 人 , 画 家 。 彫 版 師 と し て 生 計 を 立 て な が ら 詩 を 書 く 。 抒 情 詩 集 ︽ 無 心 の う た ︾ ︵ 1 7 8 9 年 ︶ と ︽ 経 験 の う た ︾ ︵ 1 7 9 4 年 ︶ に よ っ て , 人 間 や 世 界 に お け る 対 立 す る 2 面 を 歌 い , ま た 散 文 の ︽ 天 国 と 地 獄 の 結 婚 ︾ ︵ 1 7 9 0 年 ︶ で は 因 習 を 攻 撃 し つ つ , 二 元 的 世 界 の よ り 高 次 の 合 一 を 求 め た 。 以 後 ︽ ミ ル ト ン ︾ ︵ 1 8 0 4 年 ― 1 8 0 8 年 ︶ , ︽ エ ル サ レ ム ︾ ︵ 1 8 0 4 年 ― 1 8 2 0 年 ︶ な ど ︿ 予 言 書 ﹀ と 総 称 さ れ る 諸 作 に よ っ て 独 自 の 神 話 世 界 を 構 築 し た 。 作 品 は 銅 版 画 に 彩 色 す る 独 特 の 画 法 に よ っ て , 本 文 ・ さ し 絵 と も 自 身 で 印 刷 し た 。 ほ か に も ︽ ヨ ブ 記 ︾ ︽ 神 曲 ︾ の さ し 絵 を 残 し , そ の 幻 想 的 で 装 飾 性 に 富 む 画 風 は ラ フ ァ エ ル 前 派 や ア ー ル ・ ヌ ー ボ ー に 影 響 を 与 え た 。
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ブレーク ぶれーく Robert Blake (1599―1657)
イギリスの海軍軍人。1640年長期議会の議員に選ばれ、ピューリタン革命の勃発(ぼっぱつ)とともに議会軍に投じ、イングランド西部で戦った。49年海軍に転じ、翌年ルーパート親王の国王派艦隊を地中海まで追撃、撃破した。51年国務委員。52年からのイギリス・オランダ戦争(第一次)ではイギリス艦隊を率いて、トロンプやデ・ロイテル指揮のオランダ艦隊とたびたび戦い、敗北を喫することもあったが、おおむね優勢を保った。その後は海軍行政などに携わり、56年スペインとの開戦に伴い、翌年サンタ・クルスでスペインの西インド艦隊を破ったが、帰航中に艦内で病没した。
[松村 赳]
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ブレーク
生 年 ‥ 1 8 2 6 . 4 . 2 7
幕 末 に 来 日 し た ア メ リ カ 人 鉱 山 地 質 学 者 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ 。 シ ェ フ ィ ー ル ド 工 業 学 校 を 卒 業 。 幕 府 の 箱 館 奉 行 が ハ リ ス に 要 請 し た 結 果 , 文 久 2 ( 1 8 6 2 ) 年 パ ン ペ リ ー と 共 に 来 日 し , 大 島 高 任 や 武 田 成 章 ら を 随 行 し て 蝦 夷 鉱 山 の 地 質 調 査 を し た 。 ま た 箱 館 運 上 所 に 設 け ら れ た 坑 師 学 校 で , 短 期 間 で は あ っ た が 大 島 や 武 田 ら に 鉱 山 技 術 を 教 え た 。 日 本 人 の ア メ リ カ 留 学 を 計 画 し た が , 幕 末 期 の 混 乱 の た め 実 現 し な か っ た 。 文 久 3 年 に 帰 国 , ア メ リ カ で 地 質 や 鉱 山 の 調 査 に 従 事 し た 。 <参考文献> 倉 沢 剛 ﹃ 幕 末 教 育 史 の 研 究 ﹄ 1 巻
( 三 好 信 浩 )
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版 朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ブレーク Blake, William Philipps
1826-1910 アメリカの地質学者。 1826年4月27日生まれ。文久2年(1862)幕府の要請で,パンペリーとともに来日。蝦夷(えぞ)地(北海道)の地質,鉱山を調査,箱館運上所に坑師学校をひらいて鉱山学をおしえた。翌年帰国。1910年5月22日死去。84歳。ニューヨーク出身。シェフィールド工業学校卒。
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世界大百科事典(旧版)内の ブレークの言及
【ジャズ】より
… こ の な か で 特 に 重 要 な の は , ブ ル ー ス に 使 わ れ る ブ ル ー ス 音 階 ( 長 調 の 3 度 と 7 度 の 音 , す な わ ち ミ と シ が 半 音 ち か く 下 が る 音 階 ) と コ ー ド 進 行 ( 主 音 → 下 属 音 → 主 音 → 属 音 → 主 音 ) で あ る 。 ま た ブ ル ー ス ・ ボ ー カ ル は , ふ つ う 各 段 4 小 節 の う ち 残 り の 1 小 節 半 を ︿ ブ レ ー ク b r e a k ﹀ と 呼 ぶ 余 白 と し て 残 し た が , 伴 奏 楽 器 は こ こ を 短 い カ デ ン ツ ァ で 飾 っ た 。 ブ レ ー ク は の ち , ジ ャ ズ の ソ ロ ・ イ ン プ ロ ビ ゼ ー シ ョ ン へ 発 展 す る 。 …
【イギリス美術】より
… ︿ コ モ ン ・ セ ン ス ﹀ と い う 言 葉 に 象 徴 さ れ る イ ギ リ ス 人 の 穏 健 な 良 識 感 覚 は , 大 陸 に お け る 未 来 主 義 や 表 現 主 義 の よ う な 前 衛 的 ・ 急 進 的 な 芸 術 運 動 を 生 む に は 適 さ な か っ た 。 そ の 反 面 で , イ ギ リ ス の 自 由 主 義 的 な 精 神 風 土 は , 美 術 に あ っ て は , フ ラ ン ス や イ タ リ ア に お け る よ う な 権 威 主 義 的 な ア カ デ ミ ズ ム や 強 固 な 伝 統 の 欠 如 と 相 ま っ て , W . ブ レ ー ク , タ ー ナ ー , 元 来 は ス イ ス 人 の J . H . フ ュ ッ ス リ な ど の 破 格 的 ・ 独 創 的 な 芸 術 家 を 生 む 要 因 と も な っ た 。 イ ギ リ ス 美 術 の 造 形 的 ・ 様 式 的 特 質 と し て は , 色 彩 よ り も 線 , と り わ け 曲 線 の も つ 表 現 的 , 装 飾 的 , あ る い は 象 徴 的 効 果 に 対 し て 敏 感 で あ る こ と が あ げ ら れ る 。 …
【イラストレーション】より
…活版本が誕生した15世紀から16世紀にかけて,イラストレーションは力強い発展を示したが,それにくらべると,次の17,18世紀は,やや中だるみの時期に見える。イラストレーションが再び活況を呈するのは,19世紀になってからで,その先駆となったのは[W.ブレーク]であった。その《無垢(むく)と経験の歌》(1794)の自由な曲線は,後に世紀末のアール・ヌーボーを刺激した。…
【絵本】より
…[イギリス] ぶっきらぼうな教科書だった板本のホーンブックhornbookが16世紀に始まり,17世紀から18世紀にわたって行商人の持ち歩く通俗本チャップブックchapbookがはびこるのであるが,イギリスでは子どもを心から愛したニューベリーJohn Newbery(1713‐67)が1744年に《小さなきれいなポケット本》を出してから,子どもの本の伝統がきずかれた。ビューイックThomas Bewick(1753‐1828)が木版で素朴な田園風景と動物とを生かし,W.ブレークがエッチングで内的な世界をひらき,ついにE.リアが石版で《ナンセンスの本》(1846)を著して,常識をこえたおかしさへ子どもを誘いこんだ。美術愛好家だったコールHenry Cole(1808‐82)が《家宝集》(1841‐47)を出して当代一流の画家に描かせたり,グリム最初の英訳(1823)に奇才[G.クルックシャンク]が生き生きした絵をつけたりして,やがて19世紀後半に,イギリスの本格的絵本が3人の天才挿絵画家の手で生まれる。…
【啓蒙思想】より
… 一 方 , と く に フ ラ ン ス で は , 無 神 論 , 唯 物 論 と い っ た よ り 徹 底 し て 宗 教 を 否 定 し , 無 用 と す る 立 場 も み ら れ る 。 こ れ ら 啓 蒙 の 宗 教 思 想 の , い さ さ か 性 急 に 人 間 生 活 に お い て 宗 教 的 な も の な い し は 内 面 的 精 神 的 な も の を 平 板 化 し あ る い は 切 り 捨 て る 側 面 に 対 し て は , い ち は や く 啓 蒙 思 想 の た だ 中 か ら , た と え ば イ ギ リ ス の ブ レ ー ク , ド イ ツ の ハ ー マ ン ら , の ち の ロ マ ン 主 義 に 通 じ る 批 判 が 出 現 し て い る こ と も 注 目 さ れ よ う 。
﹇ 認 識 論 ・ 知 識 論 ﹈
人 間 の 理 性 が 啓 示 や 宗 教 的 権 威 か ら 独 立 に も ち う る 力 の 一 面 を 身 を も っ て 示 し た ガ リ レ イ , ニ ュ ー ト ン の 名 に 象 徴 さ れ る 近 代 自 然 科 学 の 成 立 が , 理 性 の 自 律 を 説 く 啓 蒙 思 想 に と っ て は か り 知 れ な い う し ろ だ て と な っ た 。 …
【幻視】より
… こ の 伝 統 は や が て , あ る 日 突 然 神 の 啓 示 を 受 け て 宗 教 的 思 索 活 動 に 身 を 投 じ た ベ ー メ や 天 使 ・ 精 霊 と 対 話 で き た と 伝 え ら れ る ス ウ ェ ー デ ン ボ リ ら に 受 け 継 が れ た 。 一 方 , 芸 術 家 た ち も 創 作 上 の 霊 感 を 得 る た め に 幻 視 体 験 や 瞑 想 修 業 を 重 視 し , W . ブ レ ー ク は ︿ 幻 視 と は 洗 い 清 め ら れ た 感 覚 で 自 然 を 見 る こ と に ほ か な ら な い ﹀ と し て , 詩 作 や 絵 画 制 作 そ の も の を 幻 視 体 験 と 同 一 視 し た 。 東 洋 で も イ ス ラ ム 教 や 仏 教 な ど で ほ ぼ 同 様 の 歴 史 が 推 移 し た 。 …
【神秘主義】より
… し か し , 近 代 か ら 現 代 に お い て 最 も め ざ ま し い 現 象 は , 神 秘 主 義 が 芸 術 に 及 ぼ し た 大 き な 影 響 で あ ろ う 。 ま ず , イ ギ リ ス の 聖 霊 主 義 運 動 に 加 わ っ た W . ブ レ ー ク は , 霊 視 な い し は 瞑 想 に よ り 得 ら れ た 寓 意 図 を 描 い て ラ フ ァ エ ル 前 派 な ど の 心 霊 的 な 画 風 に 先 鞭 を つ け た 。 同 時 に ド イ ツ ・ ロ マ ン 派 の O . ル ン ゲ や C . G . カ ー ル ス は 大 宇 宙 と 個 人 と の 直 接 的 交 感 を テ ー マ と し て 壮 大 な ビ ジ ョ ン を 呈 示 し た 。 …
【銅版画】より
…凸版は例外的で,15世紀後半に金工家が作ったクリブレ版gravure au criblé(フランス語。英語ではdotted print)と1720年代のカーコールElisha Kirkall(1692‐1750),1788‐1820年ごろのW.ブレーク,および押印風に用いられた宗教図像などに限られる。 凹版は金属板面に図を刻み,そこにインキをつめる。…
【ハエ(蠅)】より
… 1 9 世 紀 の 詩 人 C . ク ロ ス の 作 品 の 中 で も っ と も 人 口 に 膾 炙 ︵ か い し や ︶ し て い る ︽ 燻 製 ニ シ ン ︾ と い う 詩 の 場 合 に も , そ の 底 で は お そ ら く こ う し た 俗 信 と か す か に つ な が っ て い る の で あ ろ う 。 ハ エ に 関 す る 文 学 と し て は 中 国 に , 宋 の 欧 陽 修 の ︽ 憎 蒼 蠅 賦 ︾ が あ り , イ ギ リ ス の W . ブ レ ー ク の ︽ 蠅 ︾ が あ る 。 た だ し そ れ ぞ れ の 詩 人 の ハ エ に 対 す る 態 度 は 正 反 対 で , 前 者 が ひ た す ら ハ エ を 憎 み , か ん し ゃ く を 起 こ し て い る の に 対 し , 後 者 は 自 分 を ハ エ に た と え , 親 近 感 を 寄 せ て 歌 っ て い る 。 …
【ロマン主義】より
…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…
※「ブレーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」