上田貞次郎(読み)ウエダテイジロウ

デジタル大辞泉 「上田貞次郎」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐ていじろう〔うへだテイジラウ〕【上田貞次郎】

 
18791940  

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精選版 日本国語大辞典 「上田貞次郎」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐ていじろう【上田貞次郎】

 

(一)
 

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20世紀日本人名事典 「上田貞次郎」の解説

上田 貞次郎
ウエダ テイジロウ

 

  





12(1879)53



15(1940)58



()



()貿35



8



3842238911128123811調(7 )(3)


 

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改訂新版 世界大百科事典 「上田貞次郎」の意味・わかりやすい解説

上田貞次郎 (うえだていじろう)
生没年:1879-1940(明治12-昭和15)


190205361937191319261923192226-28︿1ILO191971975-77

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上田貞次郎」の意味・わかりやすい解説

上田貞次郎
うえだていじろう

[生]1879.5.3. 東京
[没]1940.5.8. 東京
経済学者。 1902年東京高等商業学校 (現一橋大学) 専攻部卒業。 05年同校教授。 05~09年イギリス,ドイツに留学,36~40年同大学長をつとめ,経営学,経済学の研究,教育面や大学経営面で貢献。日本の経営学の創始者ともみなされ,産業革命を中心とする資本主義の歴史的分析,人口論の面でも開拓者的業績を残した。 19年法学博士,37年帝国学士院会員。この間 19年第1回国際労働会議政府顧問,27年国際経済会議政府代表などをつとめ,国際的にも活躍した。主著は『株式会社経済論』 (1913) ,『英国産業革命史論』 (23) ,『産業革命史研究』 (24) などがあるが,雑誌『企業と社会』 (26~28) を主宰して新自由主義の論陣を張ったこともあり,実務界や社会一般に与えた影響も大きい。著作は『上田貞次郎全集』 (7巻,75) に収録,ほかに『上田貞次郎日記,大正8年~昭和 15年』 (3巻,63) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田貞次郎」の意味・わかりやすい解説

上田貞次郎
うえだていじろう
(1879―1940)

日本における経営経済学の創始者。明治12年5月12日東京に生まれる。東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業、イギリス、ドイツに留学し、帰国後、母校の教授となる。のち同校が東京商科大学になるとともに同大学教授となり、1937年(昭和12)から学長にも就任したが、在任中の40年5月8日に病没した。彼は、ヨーロッパ留学中から古典派経済学などの経済理論や経営学を学び、東京高等商業学校では「商工経営」の講座をつくり、日本の経営学の創設に努めた。『株式会社経済論』(1913)をはじめ『商工経営』(1930)や『経営経済学総論』(1937)などで日本の経営学研究を基礎づけただけでなく、『英国産業革命史論』(1923)にみられる歴史研究、『社会改造と企業』(1922)での社会政策論の研究、『日本人口政策』(1937)における社会科学的な人口論の研究など、その研究領域はきわめて多方面にわたった。

[藤田勝次郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田貞次郎」の解説

上田貞次郎 うえだ-ていじろう

1879-1940 明治-昭和時代前期の経済学者。
明治12年3月19日生まれ。大正9年母校東京商大(現一橋大)の教授,昭和11年学長。日本の経営学研究を確立し,イギリス経済学の影響をうけた理論的・実証的研究をおこなった。昭和15年5月8日死去。62歳。東京出身。著作に「株式会社経済論」など。

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百科事典マイペディア 「上田貞次郎」の意味・わかりやすい解説

上田貞次郎【うえだていじろう】

経営学者。東京出身。1902年東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業後,同校,のち東京商科大学に奉職,1936年学長。英国経済学に立脚しつつ日本の現実をふまえた着実な学風を確立した。日本で最初に経営学の体系を築き,《経営経済学総論》《株式会社経済論》のほか,産業革命史,人口問題の研究などの著書がある。

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367日誕生日大事典 「上田貞次郎」の解説

上田 貞次郎 (うえだ ていじろう)

生年月日:1879年5月3日
大正時代;昭和時代の経済学者。法学博士;東京商科大学長
1940年没

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世界大百科事典(旧版)内の上田貞次郎の言及

【経営学】より

…70年代における共同決定制の導入を契機に労働組合側から提起されたこれまでの経営経済学を資本中心の展開とした批判,それに対する労働志向個別経済学の提起は,新規範主義と区別されるものの,経済体制そのものへの変革さえ企図して企業のあるべき姿を求めて展開されたものである。 ドイツ経営学の日本への導入は,この分野の科学性を問う状況を反映して1910年代にはすでに商事経営論,私経済学として上田貞次郎,渡辺鉄蔵によって紹介された。《商事経営論》(1922)は後者によるその成果であり,その後大正末期から昭和初頭にかけて増地庸治郎,佐々木吉郎,平井泰太郎,馬場敬治,池内信行らによって日本における経営学,経営経済学の研究が進められた。…

※「上田貞次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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