デジタル大辞泉
「中納言」の意味・読み・例文・類語
ちゅう‐なごん【中納言】
納言とほぼ同じ。従三位相当。正と権(ごん)とがある。なかのものもうすつかさ。
なか‐の‐ものもうすつかさ〔‐ものまうすつかさ〕【中=納=言】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
すけ‐の‐ものもうすつかさ‥ものまうすつかさ【中納言】
(一)〘 名詞 〙 令外(りょうげ)の官。大納言につぐ。大臣と政事を議し、献替(けんたい)の任にあたる重職で、相当位は従三位。天武朝の納言が飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)で大・中・小に分かれ、大宝令で中納言は廃止。慶雲二年︵七〇五︶に復活した。ちゅうなごん。
(一)[初出の実例]﹁是の日中納言(スケノモノマウスツカサ)直大弐三輪の朝臣高市麻呂(たかいちまろ)、表を上りて敢(たた)に直言(まう)して﹂(出典‥日本書紀︵720︶持統六年二月︵北野本南北朝訓︶)
ちゅう‐なごん︻中納言︼
(一)〘 名詞 〙 太政官の次官。令外の官で、大納言に次ぐもの。正と権とがある。職掌は大納言とほぼ同じで、奏上、宣下のことをつかさどり、政務にあずかった。持統天皇のとき初めて設けられ、大宝令制で廃止されたが、慶雲二年︵七〇五︶には大納言二人を減員した代わりに三名を置いた。相当位ははじめ正四位上、のち従三位。すけのものもうすつかさ。なかのものもうすつかさ。︹続日本紀‐大宝元年︵701︶三月甲午︺
(一)[初出の実例]﹁兄の中納言行平のむすめの腹なり﹂(出典‥伊勢物語︵10C前︶七九)
なか‐の‐ものもうすつかさ‥ものまうすつかさ︻中納言︼
(一)〘 名詞 〙 太政官の官人で、大納言の下位。令外の官で慶雲二年︵七〇五︶大納言二人を減らして中納言三人を置いた。のち、八人と定まった。従三位相当官。ちゅうなごん。︹二十巻本和名抄︵934頃︶︺
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
中納言
ちゅうなごん
令外官(りょうげのかん)の一つ。和名では﹁なかのものもうすつかさ﹂と読み、唐名では黄門(こうもん)、門下侍郎(もんかじろう)にあてる。﹃日本書紀﹄によれば、692年︵持統天皇6︶に中納言三輪高市麻呂(みわのたけちまろ)の名がみえ、すでに浄御原(きよみはら)令制下に置かれていたことが知れるが、701年︵大宝1︶の大宝(たいほう)令施行当日この官を廃止した。705年︵慶雲2︶大納言2人を減じ、かわりに中納言粟田真人(あわたのまひと)、高向麻呂(たかむくのまろ)、阿倍宿奈麻呂(あべのすくなまろ)の3人を任じた。その職務は大納言に近く、政務の奏上、勅命の宣下に従事し、朝議にも参与した。また令外官のため相当位はなかったが、このとき正四位上とし、別に封200戸、資人(しじん)30人を支給され、761年︵天平宝字5︶には従三位(じゅさんみ)相当となった。
﹇渡辺直彦﹈
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
中納言 (ちゅうなごん)
令制の太政官の官職名。大臣,大納言に次ぐ身分で,大納言らとともに朝政に参与し,律令国家の政務運営に当たった。制度の初見は天武朝の官制のときで,大宝令ではいったん廃されたが,705年︵慶雲2︶令外の官として定員3名が置かれ,明治維新まで存続した。員数は時代によって増減があり,権官も随時置かれた。正四位上相当官とされ,食封200戸,資人30人が給されたが,761年︵天平宝字5︶従三位相当官とされた。
執筆者‥山本 信吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中納言
ちゅうなごん
律令制時代の令外官 (りょうげのかん) の一つで﹃大宝律令﹄制定後,増置された職事官。慶雲2 (705) 年大納言4人を2人とし,中納言3人をおいた。令制太政官の大納言の下に位置し,職掌は大納言と同じで,天下の政事にあずかったが,大臣不在のときその職務を代行することはできない。人数も次第に増し,一時は8人と定められたが一定しなかった。﹃大宝律令﹄以前にも設置されたことがあり,﹃日本書紀﹄持統天皇6年の条に初見する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中納言【ちゅうなごん】
令外官(りょうげのかん)の一つ。705年3名を置いたのが初め。天皇に近侍(きんじ)して奏上・宣下のことをつかさどった。大納言と異なり大臣不在の際,その代行はできなかった。→黄門(こうもん)
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
中納言
ちゅうなごん
律令制の太政官において,大納言につぐ地位の令外官(りょうげのかん)。天武朝の納言が飛鳥浄御原(きよみはら)令で大・中・小にわけられ,大宝令でいったん廃止されたが,705年(慶雲2)の勅により大納言の定員を4人から2人に減じるとともに,大納言と同様に政務の奏上,勅命の宣下,朝政への参議を職掌とする定員3人,正四位上相当の令外官として再置された。761年(天平宝字5)には従三位相当となる。平安時代以降には権官(ごんかん)がほぼ常置され,その人数はしだいに増加した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
中納言
ちゅうなごん
律令制下,令外官 (りようげのかん) の一つ
705年大納言の定員を2名減じ,中納言3名を置いて新設。職掌は大納言と同じく天皇の側近で,奏上・宣下や政務にあたった。のち定員は増加されて,鎌倉時代には8〜10名となった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の中納言の言及
【少納言】より
…この納言は天皇に近侍して,天皇の命令を臣下に宣し,臣下の意見を天皇に奏することを任とした。飛鳥浄御原令(689施行)の官制で納言は[大納言],[中納言],小納言に分けられた。しかし701年(大宝1)の大宝令の官制では中納言が廃止され,大納言には侍奉官,奏宣官の任とともに議政官としての権能が付与されたが,小納言改め少納言は侍奉官,奏宣官にとどめられた。…
※「中納言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」