井戸泰(読み)いどゆたか

改訂新版 世界大百科事典 「井戸泰」の意味・わかりやすい解説

井戸泰 (いどゆたか)
生没年:1881-1919(明治14-大正8)


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20世紀日本人名事典 「井戸泰」の解説

井戸 泰
イド ユタカ

 

  





14(1881)98



8(1919)53



西()



41



()8



5



1457


 

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「井戸泰」の意味・わかりやすい解説

井戸泰
いどやすし
(1881―1919)


19084119165()1918


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井戸泰」の意味・わかりやすい解説

井戸泰
いどやすし

[生]1881.9.8. 岡山
[没]1919.5.3. 福岡
内科医。 1908年京都帝国大学福岡医科大学 (九州帝国大学医学部の前身) 卒業後,同大学勤務。 1912年頃,稲田龍吉とともに黄疸出血性レプトスピラを発見。また 16年に七日熱レプトスピラを和邇秀恒らと発見,同年助教授。 18年東京帝国大学医学部助教授,同年アメリカに留学。帰国後,九州帝国大学医学部教授。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井戸泰」の解説

井戸泰 いど-ゆたか

1881-1919 明治-大正時代の内科学者。
明治14年9月8日生まれ。母校京都帝大福岡医科大学(九州帝大医学部の前身)の内科教室につとめる。大正4年師の稲田竜吉とともにワイル病の病原体を発見し,5年学士院恩賜賞。九州帝大,東京帝大の助教授をへて,7年九州帝大教授。大正8年5月4日死去。39歳。岡山県出身。名は「やすし」ともよむ。

井戸泰 いど-やすし

いど-ゆたか

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367日誕生日大事典 「井戸泰」の解説

井戸 泰 (いど やすし)

生年月日:1881年9月8日
明治時代;大正時代の医学者
1919年没

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世界大百科事典(旧版)内の井戸泰の言及

【稲田竜吉】より


()1915()

※「井戸泰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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