日本大百科全書(ニッポニカ) 「北欧史」の意味・わかりやすい解説
北欧史
ほくおうし
北欧史の特色
先史および中世
先史時代
バイキングの時代
北欧三王国の確立
カルマル連合
近代
バルト海をめぐる抗争
絶対主義の干満
自由主義と民族ロマンチシズム
現代
工業化と中立小国への道
戦間期の北欧
第一次世界大戦直後、北欧三国では一様に労働運動が活発化し、保守派との対決の空気が強まったが、スウェーデンでは女性参政権を含む選挙権の拡大が合意され、ノルウェーでは8時間労働制などが確立、デンマークでも「復活祭危機」(1920)が経営者側の譲歩によって解決されるなど妥協が行われた。フィンランドでは、1917年にロシア十月革命に乗じて独立が宣言されたが、1918年1月には内戦が勃発(ぼっぱつ)、これに勝利を収めた保守勢力側はロシア領カレリア(東カレリア)にまで「解放」軍を送り込み、新興フィンランドの内外政に深い傷跡を残した。また、すでに1874年にデンマーク王国政府から自前の憲法発布の成果をかちとっていたアイスランドでは、1918年、自立化の方向を確認した協定をデンマークから獲得した。
1920年代には、新興国フィンランドを含めた北欧4か国では、多党制政治が円滑に機能し、いずれにおいても社会民主党が政権につくようになった。1929年に始まった大恐慌の結果は北欧諸国にも及んだが、各国の経済的立ち直りは早く、またいずれの国でも社会民主党が自由主義勢力の協力を得つつ政権を握り、経済界から譲歩を引き出して福祉政策の実行に着手した。
[百瀬 宏]
第二次世界大戦下の北欧
第二次世界大戦の暗雲が迫ると、北欧4か国は、国際連盟の規定する侵略者に対する制裁義務からの離脱を宣言し、また協同して中立同盟的な方向を模索したが、1939年にヨーロッパで大戦が始まると、フィンランドはソ連軍による侵入を被り(冬戦争)、デンマーク、ノルウェーはナチス・ドイツに占領されて、スウェーデンだけが、交戦列強の要求を巧みにさばきながら、またしばしば屈辱的外交を強いられながら中立を維持しとおした。
デンマークでは、ドイツ側の締め付けの強まりに対し市民の抵抗も行われるようになり、結局ドイツ側はデンマークをヨーロッパ「新秩序」の「モデル保護国」とする方針をかなぐり捨て、軍政を敷いた。デンマークのレジスタンスは、詩人・劇作家として知られる牧師カイ・ムンク(1898―1944)の犠牲によって一段と鼓舞された。ノルウェーでは、本土のレジスタンスとロンドンに亡命した王国政府が連合国と協力しつつドイツ軍と戦った。フィンランドは、1941年から4年間、冬戦争の失地回復を意図して独ソ戦に巻き込まれ、当時のソ連と戦って敗れた。またアイスランドは、アメリカが英仏を支援するための基地となった。
[百瀬 宏]