府中(読み)フチュウ

デジタル大辞泉 「府中」の意味・読み・例文・類語

ふちゅう【府中】[東京都の市]

 
宿()()()25.52010
[]2  

 

 
()()()()()1620044.32010
[]2  

 

 
宿駿  
 

 
()()
[]  
 

 
1()()
2   

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精選版 日本国語大辞典 「府中」の意味・読み・例文・類語

ふ‐ちゅう【府中】

 

(一)[1]   
(一) 
(一)[](940)
(二) 
(三) 
(一)[]︿ ︿(1689)
(四) 
(二)[2]
(一)[  ] 宿宿
(二)[  ] 
(三)[  ] 西
 

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日本歴史地名大系 「府中」の解説

府中
ふちゆう


()()()()()西()()()()()()

()鹿調使()()使()()()寿()()寿()()()()()

()()()

府中
ふちゆう

符中ふちゆうとも記す。七尾南湾の南岸部に位置し、現本府中もとふちゆう町・上府中町を含む市街地の中心部に比定される。地名は中世国衙の所在地であったことによる。一六世紀前半まで能登国守護畠山氏の守護所が置かれた。

文明一〇年(一四七八)八月二八日の高座宮神主友永置文(須須神社文書)によると、前年九月方上かたかみ(現珠洲市)の守護請代官五井兵庫頭が保内の同宮神田を押領したため、一〇月二八日に友永が符中に赴いている。友永は守護代遊佐統秀に押妨停止を訴え、翌一〇年一月神田を還付する旨の守護の命令が下されるまで守護所の法廷を舞台に訴訟が展開された。畠山義統は同年暮頃までには能登に下国し、府中の守護館に居住していた。同一一年七月義統はかねて雅友の関係にあった招月庵正広に能登への来遊を促す書状を送っており、翌八月正広は府中に下向し、同一三年頃まで滞在した。次いで同一四年一〇月正広は再度下向し、滞留は同一七年にまで及んでいた。


府中
ふちゆう


()()

()()殿()()()

府中
ふちゆう

中世から史料にみえる地名で、現三芳村府中に比定される。茨城県常澄つねずみ六地蔵ろくじぞう寺蔵聖教のうち瑜祇経数息観の寛正六年(一四六五)奥書に「於安房国府中宝珠院伝之末弟宥舜之」、同じく伝受口決抄の文明五年(一四七三)奥書に「房州府中於宝珠院権大僧都法印御本下給写之畢」などとみえる。宝珠ほうじゆ院は府中にある金剛山神護寺と号する真言宗寺院で、その建立地には安房国府の国衙機構が置かれたと推定されているが、近年の発掘調査では関連の遺構は確認されていない。府中の地名は一般に中世の国府所在地を示すとされ、律令制下の国府も当地に所在したとはいえない。観応三年(一三五二)三月二日の足利尊氏袖判下文写(遠山文書)に安房国古国府なか村とみえ、古国府が律令制下の安房国府の所在地をさすのか、中村が現三芳村中に比定しうるか、検討を要するものの、国府の移転があったことがうかがえる。


府中
ふちゆう

大宰府郭内の呼称。「宇佐大鏡」に筑前国内にある八幡宇佐宮領として、「府中宇佐町」と「御笠東郷府中余部村」がみえ、筑前国の府中は御笠東みかさとう郷内に所在し、府中内に宇佐うさ町と余部あまるべ村が存在したことがわかる。応安六年(一三七三)九月二一日の今川了俊奉書(太宰府天満宮文書/南北朝遺文(九州編)五)に「府中退出之段」とあり、何らかの理由でこれ以前に府中から追放されていた天満宮安楽寺修理少別当大鳥居信哲が、無実を訴え出たことが認められて大宰府の屋敷を還補されている。文安六年(一四四九)九月一八日の大鳥居信尭・信顕連署注進状(同文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)では、大鳥居氏の所領などが書上げられたなかに「一、府中坊地同屋敷以下事」とあり、年月日未詳後欠の某起請文(同文書/大宰府・太宰府天満宮史料一五)では大鳥居氏とみられる坊の領として「居屋敷并府中四拾半ケ所」などと記される。

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百科事典マイペディア 「府中」の意味・わかりやすい解説

府中【ふちゅう】

 
()宿()()︿()︿()215731575()()()160145000沿西()216()431822822650016251888418342004宿()2525宿30179772()1391869
 

府中【ふちゅう】

中世におこった名称で,国衙(こくが)を中心に都市化した国府の所在地の呼称。のちに城下町となり繁栄した駿河(するが)府中すなわち駿府(すんぷ)(静岡市),甲斐(かい)府中(甲府市)が特に有名で,他に武蔵(むさし)府中(東京都府中市),備後(びんご)府中(広島県府中市),安芸(あき)府中(広島県府中町),越前府中(福井県越前市武生)などに地名として残る。→国衙・国府

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改訂新版 世界大百科事典 「府中」の意味・わかりやすい解説

府中[市] (ふちゅう)


1954255506201021宿1889宿JR1916宿JR233335260601西2


宿宿宿宿宿31宿500161738174051920


府中[市] (ふちゅう)


20044425632010

64262000宿JR432


1954436891995西綿宿綿JR2西


府中 (ふちゅう)

越前国(福井県)の城下町。北陸街道の宿駅でもあり伝馬25匹。古代国府の所在地で催馬楽(さいばら)に〈武生(たけふ)の国府〉と見え,中世以来府中といい,1869年(明治2)古謡にちなんで武生と改称。1575年(天正3)府中三人衆の一人前田利家が居城。1601年(慶長6)結城秀康が3万6000石で付家老本多富正を配して以来,本多氏の城下町として発展した。南端の亀屋町から北府(きたご)町へ北陸街道が北上し,街道に沿って町屋を置き,東方に侍屋敷が広がり,その中央に御茶屋と呼ばれた本多氏の居館があり,西方には寺を配した。中央の大黒町では4と8の日に市が立った。町奉行,町手代,町代で町を支配し,役所を掛屋役所といった。酒,さらし布,鳥の子のほか,打刃物(越前鎌)が代表的産業で,1797年(寛政9)鍛冶77軒,鞴(ふいご)株139具,1862年(文久2)には201具に増え,1859年(安政6)には年産80万7000丁,売上げ2万両に及んだ。町数,戸口は,慶長ころ500戸,1625年(寛永2)18町,884軒,19世紀初め48町,2849軒,7696人。
執筆者:


府中 (ふちゅう)

対馬国下県(しもあがた)郡与良(よら)郷に属した地名(現,長崎県対馬市の旧厳原(いづはら)町)。地名は677年(天武6)対馬国府が置かれたことに由来し,国府,府内とも記される。律令制下では国衙,国分寺が置かれ,対馬の政治,経済の中心であったが,平安時代から室町時代にかけては権力者が必ずしも本拠を置かず衰えた。宗氏も1408-86年(応永15-文明18)は本拠を上県(かみあがた)郡三根(みね)郷(現,対馬市の旧峰町)佐賀(さか)に置き,15世紀後半の戸数は申叔舟の《海東諸国紀》によれば府中100戸,佐賀500戸である。宗氏が府中を本拠としてからは戦国大名の城下町として発展,文禄・慶長の役には清水山城が築かれた。近世には対馬藩の藩庁所在地で,1659年(万治2)の大火後,新規に町割りがされ,家臣団の城下町集住の強制に伴い武家屋敷も整備され,近世城下町の形態を整えた。近世対馬の政治,経済,文化の中心として,また朝鮮通信使など外交の舞台として機能し,その遺跡,遺物も多い。1869年(明治2)厳原と改称。
執筆者:


府中[町] (ふちゅう)


西504422010西8061JR2


府中 (ふちゅう)

政治を行う表向きの所を意味し,律令制下における国府の所在地をいう。歴史的には,君主の宮廷事務を行う宮中に対し,国政事務を行う所として問題とされる。
宮中
執筆者:

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旺文社日本史事典 三訂版 「府中」の解説

府中
ふちゅう

律令時代の国府の所在地
中世以後も土豪・豪族が居住して地方の中心地となり,近世の城下町などに発展した所が多い。東京・千葉・岐阜・三重・京都・徳島などに地名が残っている。なかでも武田氏の甲府(甲斐国・山梨県),大友氏の府内(豊後国・大分県),今川氏の駿府(駿河国・静岡県)は有名。

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事典・日本の観光資源 「府中」の解説

府中

(静岡県静岡市葵区)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

普及版 字通 「府中」の読み・字形・画数・意味

【府中】ふちゆう

役所。

字通「府」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の府中の言及

【宮中】より

…語句の意は宮城内のことで,宮廷とか〈畏(かしこ)き辺(あた)り〉とかと同じ意味に使われる。しかし,歴史的には府中(国家の政治)に対する語として問題とされる。すなわち,近代的な立憲君主制の原則としては,宮中(君主の宮廷事務)と府中(国政)とは分離し,国政についての責任機関が確立していなければならない。…

※「府中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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