デジタル大辞泉
「孝」の意味・読み・例文・類語
きょう︹ケウ︺︻▽孝︼
﹁―の心いみじくあはれなれど﹂︿浜松・三﹀
2 親の追善供養。また、親の喪に服すること。
﹁三年の―送る﹂︿宇津保・俊蔭﹀
こう〔カウ〕【孝】
親を大切にすること。孝行すること。「両親に孝を尽くす」
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きょうケウ【孝】
(一)〘 名詞 〙 ( ﹁きょう﹂は﹁孝﹂の呉音 )
(二)① 親によく仕えること。孝行。孝養。こう。
(一)[初出の実例]﹁わが親のおはすらんありさまを︿略﹀聞かんと、明暮なげき仏を念じ給けうの心いみじくあはれなれど﹂(出典‥浜松中納言物語︵11C中︶三)
(三)② 親の追善供養をすること。また、死者の霊をとむらい喪に服すること。孝養。
(一)[初出の実例]﹁父かくれて三年、母かくれて五年になりぬといふ。俊蔭歎き思へども、かひもなくて、三年のけうを送る﹂(出典‥宇津保物語︵970‐999頃︶俊蔭)
こうカウ︻孝︼
(一)〘 名詞 〙 ( 形動 ) 父母を大切にし、言いつけをよく守ること。子としての道を尽くすこと。また、そのさま。孝行。きょう。
(一)[初出の実例]﹁老いたる親の為にするかうこそはいと興あれと思ふことは﹂(出典‥落窪物語︵10C後︶三)
(二)[その他の文献]︹爾雅‐釈訓︺
孝の補助注記
日本では漢音カウ、呉音ケウの両形が用いられてきた。
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孝 (こう)
xiào
旧中国社会におけるもっとも基本的な道徳。︽説文解字︾の説明によれば,︿孝﹀の意味は︿善︵よ︶く父母に事︵つか︶える﹀こと,その文字構造は老の省略体と子の組合せから成り,子が老人を助けささえることを表す会意文字。つまり,子の父母に対する敬愛を基礎として成立する道徳であるが,それをやや拡大しては祖先崇拝,とくに祖先の祭祀をふくみ,さらにいっそう拡大しては老人尊重の思想にまで発展する。礼のなかでも喪服︵そうふく︶の問題がとくにやかましくいわれ,郷党の指導者が︿父老﹀の名で呼ばれ,天子が天下に孝の徳を教えるべく有徳の老人を︿三老・五更﹀に選んで養老の礼を行い,夷狄の老人賤視の習俗が非文明とみなされたことなど,すべて広義の︿孝﹀によって説明がつく。中国社会のさまざまの局面に浸透した︿孝﹀をとくに強調したのは儒家であって,︽孝経︾は五経につぐ重要な地位を与えられた。︽孝経︾においては,天子から庶人にいたるまでの各階層それぞれの︿孝﹀のありかたが説かれるとともに,︿孝﹀は天地人の三才をつらぬく宇宙的原理にまで高められている。
︿孝﹀は︿忠﹀とあわせて︿忠孝﹀と呼ばれることが多いが,本来︿忠﹀に対して︿孝﹀はより本源的であり,︿忠﹀は︿孝﹀から派生するものと考えられた。︿孝を以て君に事えれば則ち忠﹀とか,︿忠臣を求むるには必ず孝子の門においてす﹀とかいわれたのはそのためである。︿忠﹀が機能する君臣の関係は後天的で人為的な結びつき,すなわち︿義合﹀であるのに対し,︿孝﹀が機能する父子の関係はいかんともしがたい先天的で自然な結びつき,すなわち︿天合﹀と考えられ,したがって,臣下は君主を三たびいさめて従われないときにはそのもとを去るが,子は父を三たび諫めて従われなくとも︿号泣してこれに随う﹀べきだとされた。︿孝﹀は道徳的な実践のすべてに優先し,︿不孝﹀は最大の罪とみなされた。聖天子の舜の父がもし殺人罪を犯した場合には,舜は天子の位を捨て,父を背に負って海浜にのがれて父とともに生活を楽しむであろうと︽孟子︾はいう。また,子たるものは父の盗みの罪を隠すべきだと︽論語︾は主張する。このように︿孝﹀をすべてに優先させ,︿不孝﹀を最大の罪とみなす精神は,歴代の刑法,すなわち︿律﹀のなかにも盛り込まれた。
︿孝﹀の徳が浸透する中国社会において,外来の文明,とりわけ宗教はさまざまの摩擦を引き起こした。沙門の剃髪は父母からうけた肉体の損傷であり,その出家主義は父母に対する孝養の放棄であり,その独身主義は祖先の祭祀の断絶であると仏教は攻撃された。また清朝においてカトリックの布教をめぐって起こった︿典礼問題﹀も,中国人の祖先崇拝が争点の一つであった。
→排仏論
執筆者‥吉川 忠夫
日本における孝
日本では,中国の影響のもとに国家がつくられ,制度が整えられたために,律令国家のもとで孝が道徳の基本とされたのは当然であった。律令制下の大学では︽論語︾とともに︽孝経︾が必修とされ,政府は事あるごとに孝子の表彰を行った。管内の孝子を顕彰することは国司の任務の一つで,孝子は課役を免ぜられ,布帛︵ふはく︶などを下賜された。こうした中国の制度に倣う教化のほかに,日本人に孝を教えたのは仏教であった。仏教は孝の教えを大幅にとり入れることを通じて,中国社会に受容されることを可能にしていたから,日本に伝えられた仏教も,因果の理と合わせて先祖や親の重んずべきことを説き,孝を強調した。しかし,中国と日本とでは家族のあり方に大きな違いがあったので,日本では孝を親に対する子の義務としてよりも,親子のあいだの愛情のあらわれとして理解することが多かった。中世に入って,父系を中心とする家の制度が明確な姿をあらわすようになると,孝が重視されはじめ,説話集や軍記物語には数々の孝行の話が収められた。しかし,そこでもなお孝行は恩愛と並べて愛情の発露とされることが多く,道徳的な色彩は薄かった。
近世に入って,家の制度が確立し,儒教が教学の中心に据えられると,孝は道徳の根本として取り上げられるようになった。母への孝行に徹した中江藤樹は,孝を基本とする独特の教えを説いたが,孝の強調の中で,浅井了意の︽大倭二十四孝︵やまとにじゆうしこう︶︾をはじめ,孝を中心とする数々の教訓本があらわれた。幕府や諸藩は孝子の表彰を盛んに行い,教化につとめたが,他方で主君に対する忠が強調されるようになると,忠は孝に優先すると説かれることになった。明治時代に国民道徳の根本を示すものとして発布された教育勅語は,忠を第一としながら,究極においては忠と孝が一致すると説いている。第2次大戦後,家制度の解体の中で,孝を道徳の基本とする主張は大きく後退した。
執筆者‥大隅 和雄
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孝
こう
子の親に対する道徳。孝行。親を敬愛することを基本とするが、中国においては、その社会を支える根本的規範として独特の内容をもつものであった。19世紀以前の中国では、祖先崇拝の観念のもとに、血族が同居連帯し家計をともにする家父長制家族が社会の構成単位をなし、この家族の構成員たちは、親に絶対服従すること、祖先の祭祀(さいし)に奉仕することを孝として義務づけられた。この孝が、家族を超えた社会国家の規範より優先すると考えられたことも旧中国の特質である。孔子(こうし)︵孔丘︶が、親を敬し、親の心を安んじ、礼に従って奉養祭祀すべきことを説き、社会的犯罪については﹁父は子の為(ため)に隠し、子は父の為に隠す﹂︵﹃論語﹄子路篇(しろへん)︶と述べた孝は、やがて﹃孝経(こうきょう)﹄において、道徳の根源、宇宙の原理として形而上(けいじじょう)化され、絶対服従と父子相隠は法律にも明文化された。仏典を漢訳した仏教徒は、原典にその語のない孝を多数付加挿入して中国社会への適応を図り、キリスト教徒は、布教の最大の障害として孝道の存在をあげた。
わが国の﹁家﹂には、古く、共同体の指揮者としての﹁おや﹂﹁おやかた﹂とその一員としての﹁こ﹂﹁やつこ﹂という関係のごとく、非血縁者をも含む構造があり、そこでの規範は忠(まこと)であった。和訓のない﹁こう﹂として受け入れられた孝は、この忠の観念に吸収されやすく、一般に人や物事をたいせつにすることまでも孝とよぶ用例がみえる。
﹇廣常人世﹈
﹃﹁支那の孝道 殊に法律上より観たる支那の孝道﹂︵﹃桑原隲蔵全集 第3巻﹄所収・1968・岩波書店︶﹄▽﹃尾藤正英編﹃中国文化叢書10 日本文化と中国﹄︵1968・大修館書店︶﹄▽﹃林秀一著﹃孝経﹄︵1979・明徳出版社・中国古典新書︶﹄
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
孝
こう
父母を敬い,よく仕えること。儒教では弟 (弟の兄に対する道徳) と並んで,基本的徳目として重視された。これは古代中国では家族共同体が社会の基盤をなしていたことの反映である。日本の伝統社会の基盤は村落共同体であるが,それは著しく感情融合的な共同体であり,また家の共同体と密接にからみ合っていたので,孝を主要徳とする考え方は抵抗なく受入れられた。しかし中江藤樹などの特別な場合を除けば,日本では孝が最上位の徳目の位置を占めることはなく,常に忠と並称されその下位に立つものとされた。江戸幕末以後それは忠孝一本という形で定式化され,天皇への忠孝が国民の義務とされた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の孝の言及
【孝経】より
…《論語》とならんで五経につぐ地位があたえられた。孔子と曾子の対話の形式にかりて,天子から庶人にいたるまでの各階層それぞれの〈孝〉のありかたが説かれ,また〈孝〉の徳が〈天の経,地の義,民の行〉と天地人の三才をつらぬく原理として形而上化されている。〈孝〉は儒教倫理の中心であり,かつ《孝経》は短編でしかも《詩経》の引用を多くふくんでいて暗誦にたやすかったから,知識人家庭では《論語》とともに《孝経》を幼童の教育に用いた。…
【忠】より
…忠という文字は,まごころ,まことを意味し,まごころをもって相手を思いやることをさしていたが,儒教が成立した時代の中国で,君臣の関係を説く際に忠が強調されたために,臣が君に仕える道を忠といい,親子の間の孝と並べて人間関係の基本とされるようになった。中国の文化を受容して形をととのえた日本の古代社会では,当然,忠の道徳が教えられ,臣は忠をもって君に仕え,君は国を憂えて世を治めるべきものと説かれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」