村山知義(読み)ムラヤマトモヨシ

デジタル大辞泉 「村山知義」の意味・読み・例文・類語

むらやま‐ともよし【村山知義】

 
19011977  

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精選版 日本国語大辞典 「村山知義」の意味・読み・例文・類語

むらやま‐ともよし【村山知義】

 

(一)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「村山知義」の意味・わかりやすい解説

村山知義 (むらやまともよし)
生没年:1901-77(明治34-昭和52)


退192224G.25262811929193434︿40591952195719621970-74
 1923MAVO24MAVO︿

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百科事典マイペディア 「村山知義」の意味・わかりやすい解説

村山知義【むらやまともよし】

 
退19221924︿MAVO2
 

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20世紀日本人名事典 「村山知義」の解説

村山 知義
ムラヤマ トモヨシ

大正・昭和期の劇作家,演出家,画家,小説家



生年
明治34(1901)年1月18日

没年
昭和52(1977)年3月22日

出生地
東京市神田区末広町(現・東京都千代田区)

別名
画号=TOM

学歴〔年〕
東京帝国大学哲学科中退

主な受賞名〔年〕
文学界賞(第3回)〔昭和11年〕「芝居の環」,テアトロ演劇賞(第1回・昭48年度)「生涯400本演出達成」,芸能功労者表彰(第2回)〔昭和51年〕

経歴
大正10年渡欧。12年帰国して美術団体MAVO(マヴォ)を、また心座、前衛座、左翼劇場、新協劇団などの劇団を創設し、美術・演劇両面の運動に活躍。この間3回検挙された経験を持つ。戯曲「暴力日記」(昭4年)「東洋車輌工場」「志村夏江」(6年)「石狩川」(14年)を発表。また映画にも進出し、昭和11年「恋愛の責任」(監督・脚本)、12年「新撰組」(原作・脚本)、13年「初恋」(脚色・演出)の3本を手がけた。20年朝鮮・中国に亡命。帰国後の21年第2次新協劇団を再編成、34年東京芸術座を創設、戯曲「死んだ海」「国定忠治」「終末の刻」など発表。35年訪中新劇団団長、40年日本演出家協会会長などもつとめた。劇作家、小説家としても活躍し、著書は、「日本プロレタリア演劇論」「現代演出論」「演劇的自叙伝」「村山知義戯曲集」(上下)のほか、小説「白夜」(昭9年)「忍びの者」(5部作・37〜46年)、童話集ロビンフッド」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「村山知義」の意味・わかりやすい解説

村山知義
むらやまともよし
(1901―1977)

演出家、劇作家、小説家、画家。明治34年1月18日東京に生まれる。1921年(大正10)第一高等学校を卒業して東京帝国大学哲学科に入学するが、翌年中退してベルリンに留学。同地で画家に転じて、コラージュによる『あるユダヤ人の少女像』『美しき少女に捧(ささ)ぐ』などを制作。23年の帰国後ただちに「意識的構成主義」を主張し、柳瀬正夢(やなせまさむ)らと「マヴォ」を結成、前衛美術家として活躍した。24年築地(つきじ)小劇場のカイザー作『朝から夜中まで』の舞台装置で注目され、演劇界に入る。26年、マルクス主義的な劇団前衛座の結成に参画し、31年(昭和6)には非合法下の共産党に入党。この期のプロレタリア演劇の代表的戯曲『暴力団記』(1929)、『志村夏江』(1932)を発表。32年に検挙され、翌年保釈出獄。34年に転向小説『白夜』などを発表。また新劇団の大同団結を提唱して、新協劇団の創設に参画、その指導者として活躍したが、40年8月再検挙された。第二次世界大戦後は46年(昭和21)に新協劇団を再建、59年に薄田研二(すすきだけんじ)の劇団中芸と統一して東京芸術座を結成、主宰した。ほかに『忍びの者』(五部作)などの小説、『夜明け前』の脚色、新協劇団が契約したPCL映画へのシナリオ・演出など、活躍は多方面にわたった。昭和52年3月22日没。

[祖父江昭二]

『『村山知義戯曲集』全二巻(1971・新日本出版社)』『村山知義著『演劇的自叙伝』全四巻(1970~77・東邦出版社)』『『現代日本文学大系58』(1972・筑摩書房)』『『村山知義の美術の仕事』(1985・未来社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村山知義」の意味・わかりやすい解説

村山知義
むらやまともよし

[生]1901.1.18. 東京
[没]1977.3.22. 東京
劇作家,演出家,小説家。 1921年東京大学に入学,同年ドイツに留学して 23年帰国。 24年舞台装置家として注目されたのを契機に演劇に進み,25年河原崎長十郎,池谷信三郎,舟橋聖一らと心座を結成,『勇ましき主婦』 (1926) ほか多くの戯曲を書いた。その後共産主義に近づき,佐々木孝丸らと前衛座を経て前衛劇場,東京左翼劇場を結成,『暴力団記』 (29) ,『東洋車両工場』 (30) などで好評を得た。 32年獄中転向,出獄後の小説『白夜』 (34) は転向文学流行の契機となった。 37年新協劇団を創設したが,40年弾圧によって解散,再投獄。出獄後朝鮮に渡り,45年帰国。新協劇団を再建,『死んだ海』 (52) などを発表。 59年中央芸術劇場と合同して,東京芸術座を結成,その演出家となった。ほかに『国定忠治』 (57) ,『忍びの者』 (62) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村山知義」の解説

村山知義 むらやま-ともよし

1901-1977 大正-昭和時代の劇作家,演出家。
明治34年1月18日生まれ。ドイツ遊学をへて,大正12年前衛美術団体マヴォを結成。のちプロレタリア演劇運動にはいる。昭和9年新劇の大同団結をうったえ,新協劇団創立の中心となった。戦後は東京芸術座を主宰。妻村山籌子(かずこ)の童話につけた童画も知られる。昭和52年3月22日死去。76歳。東京出身。東京帝大中退。作品に戯曲「暴力団記」,小説「忍びの者」など。
【格言など】父親の意識が不純だと,忽(たちま)ち子供に結果が現われてくる(「ロビンフッド」)

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367日誕生日大事典 「村山知義」の解説

村山 知義 (むらやま ともよし)

生年月日:1901年1月18日
大正時代;昭和時代の劇作家;演出家
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の村山知義の言及

【井上演劇道場】より

…明治末期以来,新派俳優中で最も進歩的行動をとってきた井上正夫が,1936年4月,村山知義を協力者として創設した劇団。芸術的な大衆演劇の創造を目標にしたのを,新派と新劇のあいだを行く〈中間演劇〉と評された。…

【絵本】より

… ついで大正中期に模範家庭文庫を出した冨山房で,楠山正雄の《画(え)とお話の本》3冊(1925‐26)を出したが,その画家たちは,大正中期に輩出した絵雑誌のプールに負っている。1914年に《子供之友》,21年に《コドモノクニ》,23年に《コドモアサヒ》が出て,岡本帰一,清水良雄,武井武雄,川上四郎,初山滋,村山知義,本田庄太郎たちがそれらによって活躍した。武井武雄は,彼と彼の影響に立つ画家たちの様式性の強い画風を立てて,24年に童画と呼ぶに至り,27年に日本童画家協会を設立,対立的に新ニッポン童画会もできたが,両会とも写実をもたない安易な類型に陥ったにすぎなかった。…

【鎌倉アカデミア】より


509

【構成主義】より

…西欧の構成主義は,その後パリの〈抽象,創造〉グループを経て,第2次大戦後のコンクリート・アート,キネティック・アート,オップ・アートにつながっている。日本には村山知義が23年にドイツから帰国して構成主義を伝え,31年開設の〈建築工芸研究所〉(東京銀座)では川喜田煉七郎(1902‐75)らが構成主義の造形教育を始めたとされる。しかし,前者はダダの傾向が強く,後者ではカンディンスキーの造形教育が中心となっており,ロシアの構成主義とはやや異なるものであった。…

【忍びの者】より

…この第1作のヒットを受け,その後の石川五右衛門を描く形で,同じ山本薩夫監督の第2作《続・忍びの者》(1963),森一生監督の第3作《新・忍びの者》(1963)がつくられた。以上3作品は,《赤旗》に連載された村山知義の小説が原作で,実証的リアリズムはこの原作に基づいている。だが,田中徳三監督による第4作《忍びの者・霧隠才蔵》(1964)以降は,虚構の人物が主人公になった。…

【新協劇団】より


1934(190576)(190673)240819

【新劇】より

…まず,1921年3月,労働運動家平沢計七の〈労働劇団〉が結成され,それに続く一群のプロレタリア演劇活動の高まりがあった。続いて28年4月には〈東京左翼劇場〉が村山知義らの政治性の強いアピール劇で第1回公演を持ち,34年2月まで活動を続けた。また築地小劇場解散後,土方与志らは〈新築地劇団〉を結成し,1929年5月,金子洋文の戯曲などで第1回公演を持ち,40年の強制解散時まで活動を続けた。…

【ダダ】より


 1923︿Mavo(1924)︿︿︿︿︿ ︿

※「村山知義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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