デジタル大辞泉
「紫式部日記」の意味・読み・例文・類語
むらさきしきぶにっき【紫式部日記】
平安中期の日記。2巻。紫式部作。寛弘5年︵1008︶秋から同7年正月までの宮仕えの見聞・感想・批評などを仮名で記したもの。日記文と消息文とからなる。
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むらさきしきぶにっき【紫式部日記】
(一)平安時代の仮名(かな)日記。二巻。紫式部著。宮仕え中の寛弘五年︵一〇〇八︶秋から同七年正月までの見聞感想録。道長政権最盛期の宮廷生活を、土御門殿における敦成(あつひら)親王御誕生を軸に精細に描写した日記部分と、他の女房の批評や自己の生い立ち、性格、心境などを回想、述懐した消息的部分からなる。作者の性格・人生観をよくうかがうことができる。むらさきのにき。
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紫式部日記
むらさきしきぶにっき
平安中期の仮名日記。一条(いちじょう)天皇中宮彰子(しょうし)︵藤原道長娘︶のもとに出仕した紫式部が1008年︵寛弘5︶秋から10年︵寛弘7︶正月に至る足掛け3年の見聞や感想を記したもの。日次(ひなみ)の記ではなく回想録で、10年秋ごろに成ったとみられる。過半は08年後半の記事で占められ、09、10年の記事は正月の盛儀の描写があるだけで、この間に、だれかにあてた消息文を思わせる記述と、年時不明の断片的記述が入り込むという奇妙な構成をもつところから、これがそのまま日記の原形を伝えるものか、消息文的部分は他から紛れ込んだものかなどをめぐって論議が交わされ、いまだに明解を得ない。執筆目的もはっきりつかみにくい。
現日記は秋色深まる土御門(つちみかど)邸︵彰子の里邸︶の景趣から筆をおこし、中宮出産を控えた邸内の緊張、待望の皇子誕生︵敦成(あつひら)親王、1008年9月11日︶、打ち続く産養(うぶやしない)の盛儀、一条天皇の行幸、五十日(いか)の祝宴と追い進め、中宮・若宮の内裏還啓(だいりかんけい)とともに舞台を宮中に移してその動静を伝え、周囲の華やぎになじまぬ式部自身の苦渋な内面をこれに対置する。消息文的部分では、同僚女房や清少納言(せいしょうなごん)・和泉(いずみ)式部など才女の批評、大斎院(だいさいいん)︵村上皇女選子(せんし)内親王︶方と中宮方の気風の比較、自己の生きざまへの反省や出離の思いなど自在に筆を運び、掉尾(とうび)の10年正月の記述では、敦良(あつなが)親王誕生︵09年11月︶に伴う宮中の盛儀に主家のいや増す栄華を印象づけて結んでいる。透徹した観察力と人間把握によって第一級の記録文学であるとともに、﹃源氏物語﹄作者の素顔と精神構造を開示するものとしても貴重である。
﹇伊藤 博﹈
﹃萩谷朴校注﹃紫式部日記全注釈﹄上下︵1971、73・角川書店︶﹄▽﹃秋山虔他編著﹃増補国語国文学研究史大成5 平安日記﹄︵1978・三省堂︶﹄▽﹃中野幸一他校注・訳﹃完訳日本の古典24 和泉式部日記・紫式部日記・更級日記﹄︵1984・小学館︶﹄
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紫式部日記 (むらさきしきぶにっき)
紫式部の日記。作者が仕えた一条天皇の中宮彰子︵上東門院︶の宮廷の日常と,その間の作者の感懐を記したもの。記事は1008年︵寛弘5︶7月ころから10年1月15日の敦良︵あつなが︶親王誕生50日の祝賀に及ぶが,断続的で,年次によりまた事件による粗密の差がいちじるしい。日次︵ひなみ︶の記録に成ったものではなく,各行事や儀礼に際しての覚書などを材料として,10年7月ころ,比較的短期間にまとめられたらしい。後半には寛弘6年か7年か不明の個所や,道長との贈答歌といわれる部分など謎も多い。また現存本には見えないもので︽源氏物語︾の注釈書︽幻中類林︵げんちゆうるいりん︶︾に︽紫式部日記︾の歌として引くものがあり,現存本は,原本がかなり変型あるいは縮小したものかと疑われる。宮廷儀礼・風俗に関する精細な記述のほか,消息文と呼ばれる部分には,同僚の女房に対する忌憚︵きたん︶ない批判が見え,一方,沈痛清澄の世界観照もうかがえて,その文学的価値も高い。
執筆者‥今井 源衛
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紫式部日記【むらさきしきぶにっき】
紫式部の日記。2巻。1008年︵寛弘5年︶7月から1010年1月の記録で,藤原道長の土御門殿に里下りした中宮彰子︵上東門院︶の出産を中心に,はなやかな後宮生活の様子や和泉式部,赤染衛門,清少納言などへの批評や感想が精細に描かれている。︽紫式部日記絵巻︾は鎌倉時代にこれを絵巻化したもので,精細な筆致と温雅な色彩による優作として有名。
→関連項目日記文学
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紫式部日記
むらさきしきぶにっき
平安時代中期の日記文学。紫式部著。2巻。紫式部の宮仕え記録で,寛弘5 (1008) 年秋から翌年正月3日までと,某年某月11日の仏会,寛弘7年正月の記事から成り,その間に親しい人にあてた手紙の体裁をとって,女房生活を批評した消息文と呼ばれる部分が挿入されている。中宮彰子の出産を間近に控えた藤原道長邸の描写に始り,後一条天皇の誕生とそれに続く諸行事の記述を主とする。行事および女房生活の記録として貴重であるとともに,﹃源氏物語﹄の作者が自己の内面を描いたものとして,自照文学の代表的な作品に数えられる。
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紫式部日記
むらさきしきぶにっき
平安時代の日記文学。紫式部作。1008年(寛弘5)の敦成(あつひら)親王誕生記録,09年と10年の正月行事記録,および書簡体による他者への批評と内面告白,三つの断簡からなる。「源氏物語」の作者の精神構造を知るうえで,また藤原道長などの人物像や行事・服飾の記録として貴重。「日本古典文学全集」「新潮日本古典集成」所収。注釈に「紫式部日記全注釈」がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
紫式部日記
むらさきしきぶにっき
平安中期,紫式部の日記文学
2巻。1008〜10年の中宮彰子 (しようし) への宮仕え中の日記。文章は優雅な仮名文で,作者の性格・交友(和泉式部・清少納言)・人生観など鋭い見方が随所にみられる。『源氏物語』理解のために有効である。また当時の風俗・儀式を知る好史料。
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『紫式部日記』
紫式部作。鋭敏な観察眼、大胆な批評精神に裏付けられた宮廷生活日記。寛弘五(一〇〇八)年秋から七年正月までの三年間にわたる宮廷の諸行事の記述に、中宮や(藤原)道長や同僚女房などの人物スケッチをちりばめ、自らの感慨を併せて記す。
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世界大百科事典(旧版)内の紫式部日記の言及
【紫式部】より
…平安中期の物語作者,歌人。《[源氏物語]》《[紫式部日記]》《[紫式部集]》の作者。生没年不詳。…
【紫式部日記絵巻】より
…《紫式部日記》のほぼ全文をこまかく絵画化し,詞書を添えた絵巻で,鎌倉初期,13世紀前半ころの制作と考えられる。当初は大規模な構成であったと推察されるが,現在はおよそ日記の順に,蜂須賀家本,藤田美術館本,旧森川家本(現,五島美術館ほか),日野原家本と,4巻が分かれて(合計24図)遺る。…
※「紫式部日記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」