行幸(読み)ミユキ

デジタル大辞泉 「行幸」の意味・読み・例文・類語

み‐ゆき【行幸/幸】

 
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ぎょう‐こう〔ギヤウカウ〕【行幸】

[名](スル)《「ぎょうごう」とも》天皇が外出すること。行く先が2か所以上にわたるときには巡幸という。みゆき。→行啓ぎょうけい

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精選版 日本国語大辞典 「行幸」の意味・読み・例文・類語

ぎょう‐こうギャウカウ【行幸】

 

(一)  
(二) (  ) (  ) 
(一)[]︿(718)
(二)(1331)
(三)[]
(三) ()


(1)祿
(2)

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改訂新版 世界大百科事典 「行幸」の意味・わかりやすい解説

行幸 (ぎょうこう)


︿簿1868172鹿西6鹿7715922︿1946547175

 輿輿1871191318721954190721調5314

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「行幸」の意味・わかりやすい解説

行幸(ぎょうこう)
ぎょうこう


()簿()()()()()()()()()79413()()()()()()()()()()1868172鹿西6鹿775194621547175()

 ()1907402110調20


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百科事典マイペディア 「行幸」の意味・わかりやすい解説

行幸【ぎょうこう】

天皇が内裏から他所に移動すること。幸(みゆき)とも。天子の行く所万民が幸を受ける意という。皇后・皇太子は御啓(ぎょけい),平安時代以降太上(だいじょう)天皇(上皇)は御幸(ごこう)という。古代には令などの規定により警備,列次の組み方,宮城門の開閉,留守官,行宮(あんぐう)の検察,沿道寺社への奉幣などが決められていた。江戸時代には幕府の規制が厳しかったが,1868年の大阪親征行幸以降全国を巡幸し,中央集権的近代国家への転換の推進が図られた。1946年のいわゆる昭和の巡幸は,戦災慰問と産業復興を目的とした。
→関連項目安曇江河陽宮主殿寮鳥養牧頓宮由義宮

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「行幸」の意味・わかりやすい解説

行幸
ぎょうこう

天皇の外出をいう。行先が2ヵ所以上にわたっているときは「巡幸」,帰りは「還幸」といわれ,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子の場合は「行啓」という言葉が用いられた。明治になってから,太政官布告によって法律上の用例となったが,第2次世界大戦後その使用が廃止された。

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世界大百科事典(旧版)内の行幸の言及

【行宮】より

…似た語句に〈行在所(あんざいしよ)〉がある。養老令の儀制令に,行幸中の天皇のことを〈車駕(きよが)〉といい,車駕の所に赴くことを,行在所にもうでるといえ,と規定している。また《続日本紀》神亀3年(726)10月10日条に,〈行在所に供奉せる者〉と,〈行宮の側近の百姓〉のごとく,行在所と行宮の両語句を使い分けている。…

【天皇】より

…つねに母の建礼門院徳子といっしょに各地を遊幸しているところからみると,その基底には,旅の母と子という主題がこめられているらしい。神話上はもちろん,近代に入っても,明治天皇の行幸形態のなかにもその要素が濃厚に残存しているといえる。その場合,天皇は,行幸の際の休止所で,丁重にもてなされて,去った後,とどまった空間が聖地と化して保存される傾向があった。…

【鹵簿】より

…儀仗警衛の隊伍を整えた行幸の列。明治以後は皇后以下皇族の行列にも用いた。…

※「行幸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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