蘇我入鹿(読み)ソガノイルカ

デジタル大辞泉 「蘇我入鹿」の意味・読み・例文・類語

そが‐の‐いるか【蘇我入鹿】

 
?645()()()()()()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「蘇我入鹿」の意味・読み・例文・類語

そが‐の‐いるか【蘇我入鹿】

 

(一)()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「蘇我入鹿」の意味・わかりやすい解説

蘇我入鹿 (そがのいるか)
生没年:?-645(大化1)


鹿6421鹿64310鹿鹿鹿鹿11鹿鹿6456調鹿



鹿殿鹿鹿鹿鹿調鹿鹿鹿鹿退宿鹿鹿︿鹿鹿鹿鹿鹿


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蘇我入鹿」の意味・わかりやすい解説

蘇我入鹿
そがのいるか
(?―645)


()()()()鹿6421()鹿鹿()64310鹿鹿()()11鹿()()()()姿()()()645()鹿()645612()調鹿()()()()



鹿1977

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百科事典マイペディア 「蘇我入鹿」の意味・わかりやすい解説

蘇我入鹿【そがのいるか】

 
()()()()()645()
 

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朝日日本歴史人物事典 「蘇我入鹿」の解説

蘇我入鹿

 
1.6.12(645.7.10)

(642645),,,,,2(643),, ,(),4,(),,,鹿()<参考文献>鹿  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蘇我入鹿」の意味・わかりやすい解説

蘇我入鹿
そがのいるか

 
[]?
[]4(645).6.12. 
 () 鹿2 (643)  () 3橿 ()  ()  ()  ()  () 鹿殿  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「蘇我入鹿」の解説

蘇我入鹿
そがのいるか


?645.6.12

7()()642()643鹿644鹿()()鹿()645()調()殿

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旺文社日本史事典 三訂版 「蘇我入鹿」の解説

蘇我入鹿
そがのいるか

 
645
7
 ()  ()  ()  ()  ()  ()  ()  () 645 ()  () 殿 ()   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蘇我入鹿」の解説

蘇我入鹿 そがの-いるか

?-645 飛鳥(あすか)時代の豪族。
蘇我蝦夷(えみし)の子。父とともに国政をほしいままにし,皇極天皇2年蘇我系の古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子の即位の妨げとなる山背大兄(やましろのおおえの)王(聖徳太子の子)らをほろぼす。皇極天皇4年6月12日蘇我氏打倒をめざす中大兄(なかのおおえの)皇子(天智(てんじ)天皇)と中臣(なかとみの)(藤原)鎌足(かまたり)らに暗殺された。通称は林臣(はやしのおみ),鞍作(くらつくり)。

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世界大百科事典(旧版)内の蘇我入鹿の言及

【飛鳥板蓋宮】より

…日本古代の皇極朝および斉明朝の宮。蘇我入鹿誅滅事件の舞台となったことで有名。642年(皇極1)9月に造営が開始され,翌年4月に,皇極女帝は東宮南庭の権宮(かりみや)から飛鳥板蓋宮に移った。…

【乙巳の変】より

…干支が乙巳にあたる645年(大化1),中大兄皇子(後の天智天皇),中臣鎌子(後の藤原鎌足)らが蘇我大臣家を滅ぼして新政権を樹立した政変。皇極女帝のもとで,皇位継承や政治方針に関し大臣の蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子と対立していた女帝の長子中大兄らは,唐の興隆により国際関係が緊張して高句麗や百済には政変が起き,643年冬には皇位継承の有力候補だった山背(やましろ)大兄皇子(王)一家が入鹿に滅ぼされると,蘇我一族の倉山田石川麻呂(くらのやまだのいしかわのまろ)らを同志として大臣家打倒を決意し,645年6月12日,皇居の正殿で石川麻呂が〈三韓の表文(ひようぶん)〉と称する外交文書を読みあげている最中に,中大兄が率先して入鹿を斬り,雇っていた暗殺者たちがこれを殺し,翌日には蝦夷も護衛兵らに逃亡されて自殺した。…

【妹背山婦女庭訓】より

…角書に〈十三鐘絹懸柳〉とある。近松門左衛門の《大職冠》など藤原鎌足の蘇我入鹿誅戮に取材した先行作を踏まえ,大和に伝わる十三鐘や衣掛け柳,苧環(おだまき)伝説を加えて脚色したもの。道行は,豊後系の浄瑠璃にも改作されている。…

【入鹿】より

…上演記録の初出は1581年(天正9)(《家忠日記》)。藤原鎌足による蘇我入鹿退治の物語で,舞曲《大織冠(たいしよかん)》とともに奈良春日神社,興福寺の縁起譚(えんぎたん)をなす。本曲では鎌足の出生地を常陸国鹿島とし,名の由来を幼時に狐の与えた鎌にちなむとし,その鎌で入鹿の首を打ち落としたとする。…

【大化改新】より

…7世紀半ばの国政改革。狭義では,大化年間(645‐650)に試みられた中央集権的諸改革を指すが,広義では,その目標がほぼ達成される大宝律令の制定施行(701)までの約半世紀を含める。
[原因]
 原因を条件と契機とに分ければ,7世紀半ばころには日本でもなんらかの国政改革が試みられるのが必然であった条件として,6世紀末から7世紀前半にかけての中国大陸に隋・唐という中央集権的大統一国家が出現し,周辺諸国,とくに朝鮮半島の国々を圧迫しはじめたという国際環境が挙げられる。…

【藤原鎌足】より


645(1)()鹿()()

※「蘇我入鹿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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