蘇我氏(読み)そがうじ

改訂新版 世界大百科事典 「蘇我氏」の意味・わかりやすい解説

蘇我氏 (そがうじ)


宿宿宿橿5

 5667沿7西鹿645163


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蘇我氏」の意味・わかりやすい解説

蘇我氏
そがうじ

 
宿326246鹿鹿26434鹿  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蘇我氏」の意味・わかりやすい解説

蘇我氏
そがうじ


()()()()()()宿()()()()()宿宿橿()()()()()5

 5()()()()()()6()沿()7()()()()西()()()()()

 7()()()鹿()64563()()()()672



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百科事典マイペディア 「蘇我氏」の意味・わかりやすい解説

蘇我氏【そがうじ】

古代の有力豪族。武内宿禰(たけうちのすくね)の子石川宿禰の子孫と称し,大和国高市(たけち)郡の蘇我を本拠としたという。大和朝廷の財政・外交を掌握,仏教など大陸文化の移入に努めた。6世紀前半から稲目(いなめ)・馬子(うまこ)・蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)と大臣(おおおみ)になり,皇室を圧倒。大化改新で主流は滅亡し,傍系が石川朝臣として存続。→蘇我石川麻呂蘇我馬子蘇我蝦夷物部氏
→関連項目飛鳥時代乙巳の変冠位十二階磯長谷司馬達等上宮聖徳太子伝補闕記舒明天皇推古天皇

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「蘇我氏」の解説

蘇我氏
そがうじ


宿()宿316()()()2()()鹿()645()684(13)()()

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旺文社日本史事典 三訂版 「蘇我氏」の解説

蘇我氏
そがうじ

古代の中央豪族
氏の名は大和国高市郡蘇我を本拠としたことに由来する。姓 (かばね) は臣 (おみ) 。三蔵を管理し大和政権の財政に関与,渡来人を支配した。積極的に仏教を採用し,排仏派の物部 (もののべ) 氏を滅ぼした。稲目・馬子・蝦夷 (えみし) の3代は大臣 (おおおみ) として国政に参与したが,645年大化の改新で中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ) らに滅ぼされた。改新後右大臣となった蘇我倉山田石川麻呂はその一族であったが,のち讒 (ざん) によって滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内の蘇我氏の言及

【飛鳥時代】より

…この間,孝徳朝に難波宮,天智朝に近江大津宮へ短期間都が移った以外,推古朝の豊浦宮・小墾田宮(おはりだのみや),舒明朝の飛鳥岡本宮・田中宮,皇極朝の飛鳥板蓋(いたぶき)宮,斉明朝の飛鳥川原宮・後飛鳥岡本宮,天武朝の飛鳥浄御原(きよみはら)宮と宮室は集中的に飛鳥の地に営まれ,つぎの持統・文武朝の藤原京も新益京(しんやくのみやこ)とよばれるように,飛鳥中心の倭京(わきよう)を拡張したものであった。
[時期区分]
 645年(大化1)の蘇我氏滅亡,大化改新までを前期,以後を後期とする。ただし後期を壬申の乱以前と,天武朝以後にさらに区分し,またもし前期に6世紀中ごろの宣化・欽明朝までを含めるならば,やはり前期も推古朝以前と以後に区分するのが適当であろう。…

【大臣】より


6宿6鹿645(1)

【小墾田宮】より


調殿7S(110)()

【推古天皇】より


593(1)4()調使

※「蘇我氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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