西郷隆盛(読み)サイゴウタカモリ

デジタル大辞泉 「西郷隆盛」の意味・読み・例文・類語

さいごう‐たかもり〔サイガウ‐〕【西郷隆盛】

 
18281877()()61873101877西
361961381963169511976531978
14193945197022  

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精選版 日本国語大辞典 「西郷隆盛」の意味・読み・例文・類語

さいごう‐たかもり【西郷隆盛】

 

(一)()()使鹿西
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西郷隆盛」の意味・わかりやすい解説

西郷隆盛
さいごうたかもり
(1827―1877)


()10127()鹿()西()()()()()1844118()27()

 18541()()()()()()1858()西11()鹿西()()西()()

 18622()()()()()()()

 18641()()()西18662()1867()18671218684()()()()2000鹿退()

 18714()36711使1872()18735()退()西使8西使()()西9西西1015西()西使23西24退()()()西西使

 西退鹿1877西924鹿()



西西319261927西西619761980西西

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百科事典マイペディア 「西郷隆盛」の意味・わかりやすい解説

西郷隆盛【さいごうたかもり】

 
鹿()西鹿1858()1862()()186412西
西  

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改訂新版 世界大百科事典 「西郷隆盛」の意味・わかりやすい解説

西郷隆盛 (さいごうたかもり)
生没年:1827-77(文政10-明治10)


鹿18441585鹿西622641退1673

 18714使7273使6鹿退77西924

西西西西1891西

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朝日日本歴史人物事典 「西郷隆盛」の解説

西郷隆盛

 
10.9.24(1877)
10.12.7(1828.1.23)
鹿(鹿)西,,,,,,1(1854),,,,,7鹿11鹿,西,2(1862)1,, 1(1864),,1(1865),,21,311014,,,413,退2,,3,,(5),鹿2(1869)2,,沿,, 3,鹿使,西,416,,使,西,,,57,西,,66西,,8西使,,使10,西,,,,,23,,使,西,25,退, 鹿退西,鹿76,,鹿,,西鹿,,,,,,10西,,924,鹿(西)<著作>西西3<参考文献>西  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西郷隆盛」の意味・わかりやすい解説

西郷隆盛
さいごうたかもり

 
[]10(1827).12.7. 鹿
[]1877.9.24. 鹿
 () 3 (1867) 1294 (71)  1877西  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西郷隆盛」の解説

西郷隆盛 さいごう-たかもり

1828*-1877 江戸後期-明治時代の武士,政治家。
文政10年12月7日生まれ。西郷吉兵衛の長男。薩摩(さつま)鹿児島藩士。藩主島津斉彬(なりあきら)にみいだされるが,斉彬の没後,尊攘派(そんじょうは)対策で島津久光の怒りにふれて流罪,のちゆるされて藩政の主導権をにぎり,慶応2年坂本竜馬(りょうま)の仲介で倒幕の薩長同盟をむすぶ。4年戊辰(ぼしん)戦争を指導,江戸城の無血開城を実現。新政府の陸軍元帥兼参議となるが,征韓論などで大久保利通らと対立し,下野して帰郷。西南戦争をおこし,敗れて明治10年9月24日城山で自刃(じじん)した。51歳。前名は隆永。幼名は小吉,吉之介。通称は吉兵衛,吉之助。号は止水,南洲。変名に大島三右衛門,菊池源吾。
【格言など】天は人もわれも同一に愛す,故に我を愛する心をもって人を愛せよ

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「西郷隆盛」の解説

西郷隆盛
さいごうたかもり


1827.12.777.9.24

鹿()64()166(2)()71(4)使73677西鹿

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旺文社日本史事典 三訂版 「西郷隆盛」の解説

西郷隆盛
さいごうたかもり

 
182777

 () 1873鹿 '77西  

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防府市歴史用語集 「西郷隆盛」の解説

西郷隆盛

薩摩藩出身の志士。第一次長州征伐[だいいちじちょうしゅうせいばつ]では参謀として長州藩への対応にあたっています。薩長同盟[さっちょうどうめい]を成立させ、戊辰戦争[ぼしんせんそう]では各地の戦いで指揮をとりました。明治政府で要職につきましたが意見の対立から職をやめ、鹿児島に戻りましたが、1877年(明治10年)の西南戦争[せいなんせんそう]で政府軍に敗れて自刃しました。

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デジタル大辞泉プラス 「西郷隆盛」の解説

西郷隆盛〔海音寺潮五郎〕

海音寺潮五郎がライフワークとした“大長編史伝”。1976年~1980年刊行(未完)。1964年、1969年~1977年刊行の同名作品、1985年刊行の「史伝西郷隆盛」とは別物。

西郷隆盛〔池波正太郎〕

池波正太郎の伝記小説。1967年刊行。

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世界大百科事典(旧版)内の西郷隆盛の言及

【江戸開城】より


36315()()西使西1314

【勝海舟】より

…66年(慶応2)幕府の第2次征長戦が難航したため軍艦奉行に復職,安芸の宮島に出張して長州藩との停戦交渉に成功したが,政策決定の主体を雄藩代表らの合議体に移そうとする構想が最後の将軍となる徳川慶喜と対立,江戸に戻って軍艦奉行の日常業務にたずさわるうちに京都の政局は68年鳥羽・伏見の戦まで進む。幕府でなくなった徳川の新体制のもとで海舟は海軍奉行並から陸軍総裁,さらに軍事取扱となって東征軍にたちむかい,江戸総攻撃予定日の前夜,西郷隆盛と会見し,薩摩藩や長州藩が存続するかぎり徳川も藩として生き残る権利があるとの主張を認めさせ,無血開城への道を開いた(江戸開城)。同年,徳川家に従って駿府に移住,69年(明治2)安芳と改名。…

【私学校】より

…鹿児島に設立された鹿児島士族中心の学校。西郷隆盛がいわゆる征韓論で下野した後,1874年6月,旧厩跡に設立された。本校は旧近衛兵の銃隊学校と砲兵出身者による砲隊学校よりなる。…

【人名】より

…滝沢馬琴の公式の名は源興邦(おきくに)であるが,彼は本名のほか34の名をもっていたことで知られる。西郷隆盛についていえば,氏姓は平朝臣(たいらのあそん),家名は西郷,幼名は小吉,諱は隆盛,通称は吉之助,雅号は南洲である。現在,戸籍に登録できる名は一つであるが,さまざまな別号や異名をもつ人が少なくない。…

【西南戦争】より

…1877年(明治10)に起こった西郷隆盛を中心とする鹿児島県士族の反政府暴動で,明治初年の士族反乱の最大で最後のもの。
[背景と発端]
 明治6年10月の政変(1873,征韓論分裂)で,近衛都督兼参議を辞した西郷隆盛が郷里鹿児島に帰るや,桐野利秋や篠原国幹らも相ついで辞職・帰県し,私学校などを中心に,鹿児島士族は一大勢力をなした。…

【長州征伐】より


4西西

※「西郷隆盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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