(読み)シ(英語表記)poetry 英語

デジタル大辞泉 「詩」の意味・読み・例文・類語

し【詩】

 
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精選版 日本国語大辞典 「詩」の意味・読み・例文・類語

し【詩】

 

(一)[1]   
(一) ()()
(一)[](8)
(二)(100114)
(三)[]
(二) 
(一)[]西(1882︿)
(三) 
(一)[]()()(1916︿)
(二)[2] 
(一)[](808)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「詩」の意味・わかりやすい解説



poetry 英語
poem 英語
poésie フランス語
poème フランス語
Gedicht ドイツ語

はじめに


dichten


詩とはなにか

19

 ()調使

 使()TS()

 使調調調調調


詩の種類

lyricepicdramatic poetry退TSlove lyricelegy()odesatireidyll, pastoral()()


詩の形態

a fixed form of verseblank versefree versepoème en prose調調使使

 20使使


西欧の詩


()poiēsis()()()2Thalētas7()()()()lyre

 調()

 

 191219

 ()

 調TS

 ()()

 退退18退

 19退()

 2019TS()1970


日本の詩

新体詩から象徴詩へ

「近代(現代)詩」というときの狭義の「日本の詩」の始まりは、1882年(明治15)刊行の『新体詩抄』(外山正一(とやままさかず)・矢田部良吉(やたべりょうきち)・井上哲次郎共著)とされている。それまで一般に「詩」とよばれていた漢詩や、伝統的な短歌、俳句とは違う西洋の「ポエトリー」(「西詩」)の影響による新詩の誕生であった。この「新体の詩」は万事新しさを好尚する当時の風潮に迎えられて根づくことになるが、できばえは素人(しろうと)の域を出ず、むろん文語の定型詩ながら、翻訳臭、武骨な軍歌調、俗謡風のものが多かった。

 しかし、やがて同じ翻訳ものでも『於母影(おもかげ)』(森鴎外(おうがい)ら新声社同人たちの訳詩集)の出現や、翻訳の賛美歌などの影響もあって、新体詩の文学的価値が広く認知されるようになるのは、島崎藤村(とうそん)の『若菜集』(1897)あたりからである。2年遅れの土井晩翠(つちいばんすい)『天地有情(うじょう)』などとともに、新体詩は、時代の浪漫(ろうまん)主義(同時期の『文学界』や『明星』などの運動とともに)の風潮をもっとも代表するジャンルのようにみなされてくる。20世紀に入ると、これまた上田敏(びん)の名訳詩集『海潮音』(1905)の大きな影響や、西洋の象徴主義の直接の刺激もあって、『有明(ありあけ)集』の蒲原有明(かんばらありあけ)、『白羊宮(はくようきゅう)』の薄田泣菫(すすきだきゅうきん)らの詩は、詠嘆的な浪漫主義に新たに奥行のある象徴味が加わり、新体詩は大きな到達点をみせ、この象徴主義の詩風は北原白秋(はくしゅう)や三木露風(ろふう)らによって深められ、もはや新体詩とはよべない「近代詩」の風格を備えてくる。時代もまた明治の終わりになって、かつての『明星』出身の詩人たち(木下杢太郎(もくたろう)、北原白秋、高村光太郎ら)や若い芸術家たちの「パンの会」の芸術運動がよく示すように、個性的な感覚美を謳歌(おうか)する風潮が高まっていた。

[原 子朗]

口語詩の実現

一方では小説の自然主義運動の影響や詩人たち自身による詠嘆的な新体詩の限界の自覚もあって、より現実に即した感情の重視ということから言文一致詩(口語詩)が唱導され(口語自由詩運動)、これが一般の趨勢(すうせい)となって、大正期に入ると、従来の口語定形の詩は急速に退行していく。デモクラシーの思想や大正リベラリズムの風潮も、側面からこれを助長した。民衆詩派(白鳥省吾(しろとりせいご)、百田宗治(ももたそうじ)、富田砕花(さいか)、福田正夫ら)の詩も当然平明な口語で日常茶飯事を詩にして、かえって芸術派の詩人たちの反感を買うほどであった。また人道主義、理想主義の詩人と目される千家元麿(せんげもとまろ)、尾崎喜八、福士幸次郎、室生犀星(むろうさいせい)、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らの活動も目だち、影響力をもった。しかし「日常用うるところの語」すなわち口語詩への念願は、実は『新体詩抄』の当初から掲げられていたもので、詩人内面の要求と時代の風潮とに促されて、ようやくそれが実現したとみることもできよう。

 この口語表現のメリットを最大限に発揮し、近代詩に大きな転機をもたらした代表的な詩人は、題名からして口語を用いた『月に吠(ほ)える』(1917)の萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)であろう。文語詩のとらええなかった複雑な屈折する自我の内面性が、一見非音楽的な口語表現によって可能となったが、朔太郎は外形に頼らぬ口語独自の音楽性を重視し、微妙なイメージによる口語詩の可能性を追求した(これは、今日、現代詩の問題点でもある)。大正期の詩は小説と同様、ある意味で豊かな時期で、多くの個性的な詩人たちの活躍があった。大手拓次(おおてたくじ)、西条八十(さいじょうやそ)、日夏耿之介(ひなつこうのすけ)、竹内勝太郎ほか、それにまったく詩壇外で独往の芸術的、かつ全人間的な詩を書いた宮沢賢治の現代に及ぶ大きな影響力を考えればよい。影響力といえば、堀口大学の訳詩集『月下の一群』(1925)があった。次の昭和期の詩や小説にまで、これほど直接的な影響と強い刺激を与えた訳詩集はあるまい。一方では、詩の革命的な意識に基づく未来派運動(平戸廉吉(ひらとれんきち))や、『赤と黒』(萩原恭次郎(きょうじろう)、岡本潤(じゅん)、小野十三郎(とおざぶろう)ら)、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』なども、かつてない詩の傾向として影響力をもった。

[原 子朗]

モダニズム派・プロレタリア詩の活躍

昭和期に入ると、「新詩精神(レスプリ・ヌーボー)」を掲げる『詩と詩論』(春山行夫(ゆきお)を中心に安西冬衛(ふゆえ)、北川冬彦、近藤東(あずま)、西脇(にしわき)順三郎、吉田一穂(いっすい)、村野四郎ら多数)の斬新(ざんしん)な活動をはじめ、プロレタリア詩(中野重治(しげはる)や小熊(おぐま)秀雄ほか)もかつてないにぎわいをみせた。明治末期の児玉花外(かがい)以来の社会主義詩の傾向が、戦争突入前の暗い時代を背景にあだ花のように咲き誇った感があった。やがて太平洋戦争に突入すると、かつてのプロレタリア詩人たちも、『詩と詩論』から分岐した叙情派(三好達治(みよしたつじ)、丸山薫(かおる)らのいわゆる『四季』派)も、現実派(北川らの『詩・現実』の詩人たち)も、モダニズム派(春山、西脇、北園克衛(かつえ)ら『詩法』『新領土』『VOU(バウ)』の詩人たち)も、また『歴程』による個性豊かな詩人たち(草野心平、逸見猶吉(へんみゆうきち)、中原中也(ちゅうや)ら)も、多かれ少なかれ戦争協力の詩を書き、あるいは沈黙、あるいはあいまいな立場をとるなど、すべて詩の遺産の無力をあらわにした。反戦詩人の唯一の代表のように目される金子光晴(みつはる)さえ、完璧(かんぺき)にその立場を貫き通したとはいえなかった。

[原 子朗]

第二次世界大戦後の詩

()()()()2

 196035()()1970()

 2020301980150011015000()1999

 

中国の詩

中国の詩は、古典詩(旧詩)と現代詩(新詩)とに大別される。前者は日本で漢詩とよんでいるもので、基本的には定型詩である。後者は1917年の文学革命運動以後、新文学のジャンルの一つとして生まれたもので、西欧の詩の影響を受け、伝統的な古典詩への批判から出発した自由詩である。古典詩は総体的には古語(文言)で書かれ、現代詩は口語(白話)で書かれる。

[前野直彬・佐藤 保]

特色

中国詩の源頭とされる『詩経(しきょう)』は、もともと上古の宮廷の楽歌や各地の民謡であったが、経書(けいしょ)の一つとなり、儒家(じゅか)的な文学理論がそれを基礎に構築された。すなわち、詩は本来、純粋な心の声であるから、太平の世には楽しい歌がつくられ、乱世には悲しい歌が生まれるというように、その時々の社会情勢を正確に反映するので、権力者や政治家はこれによって民情を判断することができるし、詩人もまた政治や社会への批評の意味を込めて作品を書かなければならない。さらにまた、詩は作者の人格の正確な反映であるから、優れた詩は当然倫理的にも高いものであり、それを読むことで読者の人格も高められるし、作者自身も人格を高める努力を怠ってはならない、とされた。この考え方は儒教の権威とともに民国初年の文学革命に至るまで詩人たちに受け継がれ、詩壇の風潮が技巧主義・修辞主義に傾きすぎると、いつもこの主張が頭をもたげて補正の役割を果たした。

 古典詩には対句(ついく)などの修辞的技法が要求されるほか、古典あるいは先人の作品に関する知識など、相当の教養を必要とするので、詩人は一部の知識階級に限られた。古典詩を鑑賞するのにも当然同じ教養が必要である。この点からみれば、古典詩は少数のエリートの間で育てられてきたということができる。

 現代詩が指向した重要な点の一つは、詩を少数のエリートの手から全国民に解放することであり、もう一つは、中国民族の自覚を促し、中国の近代化を推進するための一手段としての詩という点にあった。

[前野直彬・佐藤 保]

詩形

古典詩の詩形は、古詩(こし)(古体詩)と近体詩(きんたいし)(今体詩)の区別があり、時代的にいえば、唐を境にしてそれ以前に成立した詩形を古詩、唐代に完成された絶句(ぜっく)・律詩(りっし)・排律(はいりつ)をまとめて近体詩とよび、近体詩のほうが厳格な規則をもっている。

 古詩と近体詩のもっとも根本的な違いは韻律の規則にあって、脚韻の踏み方、平仄(ひょうそく)の配列法、さらには用字・対句など修辞的技巧の点に両者の大きな相違がみられる。

[前野直彬・佐藤 保]

歴史
詩経と楚辞

1000600

 ()

 ()()使()()

 ()

 
漢代の楽府と五言詩

漢の民間には楚辞体と異なる歌謡が流行していた。史書の伝えるところによれば、前漢の武帝(ぶてい)(在位前141~前87)のときに宮中に音楽署の楽府(がくふ)を設けて、これら各地の民謡を採集整理させ、また演奏させたという。楽器の伴奏をつけてうたわれたこれらの歌は、同じ曲に多くの歌詞がつくられると同時に、一つの曲に多数の変曲が生まれ、さらにまた当時開かれたばかりのシルク・ロードを通じて西域(せいいき)の音楽も輸入されて、前漢の中期から後期にかけて最盛期を迎えた。それを「楽府(がふ)」もしくは「楽府詩」とよぶのは、武帝のときの音楽署の名に由来する。

 楽府の詩形はそれぞれの曲によってさまざまに異なり、ときには長短句を交えた雑言詩の形をとるが、そのなかから一句五言の形式をもつものが育ち、後漢(ごかん)のころには一般に定着し、やがて楚辞体にかわる新しい詩形として詩人たちに好まれるようになった。

[前野直彬・佐藤 保]

魏・晋・南北朝の詩

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唐の詩

短命の隋(ずい)代を経て、中国の古典詩は唐代に入って花開いた。唐一代を初・盛・中・晩の四つの時期に分ける「四唐説」は、後の明(みん)代になって定着したものであるが、王勃(おうぼつ)・楊炯(ようけい)・盧照鄰(ろしょうりん)・駱賓王(らくひんのう)の「初唐四傑」や陳子昂(ちんすごう)の活躍した初唐期、李白(りはく)や杜甫(とほ)をはじめとして王維(おうい)・孟浩然(もうこうねん)など才能豊かな人々によって彩られる盛唐期、韓愈(かんゆ)と白居易(はくきょい)を代表とする中唐期、そして爛熟(らんじゅく)から滅亡へと向かった杜牧(とぼく)・温庭筠(おんていいん)・李商隠(りしょういん)の時期の晩唐と、それぞれの時期を特徴づける数多くの詩人たちが活躍した。「詩の時代」とよばれるにふさわしい状況は、政治の安定と文化の進展に伴う人々の生活の広がりと深化、外来文化との接触などによってもたらされたが、科挙(かきょ)の試験に詩賦が課せられるようになったことも、詩の隆盛の要因の一つとなった。もっとも、安史の乱を境として唐の社会は大きく転換するが、詩の状況も同じく、白居易・元稹(げんしん)らの「新楽府運動」は行き詰まった詩の改革運動であり、韓愈・柳宗元(りゅうそうげん)らの「古文運動」とともに、古典主義の立場から文学の新たな出口を模索するものであった。彼らが切り開いた詩文の新しい世界は、晩唐・五代を経て宋(そう)代で初めて実を結んだ。

[前野直彬・佐藤 保]

宋の詩

()()

 ()

 ()()()()()西()()()西

 
金・元・明・清の詩



 ()()()()()()()()()()()

 ()()()調調()()()沿

 
現代詩

()()1917()()()西()()

 

西1969 1719727197419753819765198019941999200012 1969111974197531 19821984 1992199319937199619982001 2001161519571963 1958 121962196319 19622419641968197511 1985198519861997 195719641997

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改訂新版 世界大百科事典 「詩」の意味・わかりやすい解説

詩 (し)


︿西poetrypoésie便︿使poempoème

西

 西1819

 ︿︿

 西使metaphormétaphore

 ︿
 

便

 ︿︿


西

 8700765

 1

 西1012

 8︿︿1213121315

 1416C.J.16H.

 1718J.C.F.R.W.19P.B.

 19

 20︿1W.B.T.S.12


6︿︿︿1︿2︿姿︿

 441︿︿調退20

 ︿使︿調︿︿︿︿

 ︿︿︿︿400︿︿︿︿︿︿西

 調︿調︿︿退2︿

 ︿︿︿︿︿︿︿︿

 1112

 20︿︿︿

 ︿︿︿︿︿︿︿︿︿︿

 ︿︿︿︿


西1882︿18741876188218811869調21869調調︿調︿1889189318971899調301906190519051925

 19071909使191419171923︿1918

 麿西1西192319251928西西︿193145西1019341935稿19481949︿︿


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百科事典マイペディア 「詩」の意味・わかりやすい解説

詩【し】

 
poempoetry︿︿P.poiein西︿︿J.
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「詩」の意味・わかりやすい解説



poetry

 
使 () 姿  

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旺文社世界史事典 三訂版 「詩」の解説


漢詩
中国最古の詩集は,周代の四言詩を主とした『詩経』と,南方楚 (そ) の風土から生まれた『楚辞』である。漢代には五言詩が流行し,六朝 (りくちよう) 時代には七言詩が盛んとなり,これらは唐代に完成した。唐以後,平仄 (ひようそく) や押韻 (おういん) などの規則のきびしい律詩(1編8句)や絶句(1編4句)などが生まれ,これらは近(今)体詩と呼ばれる。これらと異なる古来の形式のものを古体詩(古詩・楽府 (がふ) など)という。また,『詩経』をさすこともある。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【詩学】より

…〈詩〉あるいは〈詩〉の創作にかかわる研究・分析・論考をさす言葉。ただしここでいうところの〈詩〉とは,狭い意味でのいわゆるばかりではなく(このような比較的狭い範囲のものを扱う場合には,〈詩法〉〈詩論〉の用語もしばしば用いられる),文学一般,さらにロシア・フォルマリズムの登場以後の現代においては,まったく違う視座から,芸術全般,文化全般をも含むものとなっている。…

【中国】より


()()

【文学】より


︿︿

※「詩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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