鈴木梅太郎(読み)スズキウメタロウ

デジタル大辞泉 「鈴木梅太郎」の意味・読み・例文・類語

すずき‐うめたろう〔‐うめタラウ〕【鈴木梅太郎】

 
18741943421909()()B1  

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精選版 日本国語大辞典 「鈴木梅太郎」の意味・読み・例文・類語

すずき‐うめたろう【鈴木梅太郎】

 

(一)1
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木梅太郎」の意味・わかりやすい解説

鈴木梅太郎
すずきうめたろう
(1874―1943)


()()188821188918901896()()1900331901E1906190719341917619371941

 ()()1910121319112C1912使1924194318()麿()19401︿194451943



1967

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20世紀日本人名事典 「鈴木梅太郎」の解説

鈴木 梅太郎
スズキ ウメタロウ

 

  





747(1874)



18(1943)920



()



29



34



13,18



3334394043(B1)5使91118


 

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化学辞典 第2版 「鈴木梅太郎」の解説

鈴木梅太郎
スズキ ウメタロウ
Suzuki, Umetaro

日本の農芸化学者.静岡県榛原郡の農家に生まれる.東京農林学校,東京帝国大学農科大学でJ. Liebig(リービッヒ)の弟子O. Loebなどに農芸化学を学び,1898年卒業,大学院に進学する.1900年農学博士号を取得.その後,母校の助教授に就任し,1901~1906年ドイツ,ベルリン大学のE.H. Fischer(フィッシャー)のもとに留学した.帰国後,1907~1934年東京帝国大学教授を務め,盛岡高等農林学校教授,理化学研究所主任研究員などを兼任し,1924年日本農芸化学会設立にあたって初代会長となった.晩年1937~1943年満州国大陸科学院第二代院長を務めた.大学院生時代に植物質中のタンパク質生成,クワの萎(い)縮病の研究に取り組み,留学からの帰国後は, 脚気の病因研究から米ぬかに含まれる新栄養素アベリ酸(のちにオリザリンと改称,現在の名称はビタミン B1)の抽出(1910年)に成功し,ビタミン研究の先駆けとなった(1924年学士院賞).合成清酒の工業化にも携わった.

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改訂新版 世界大百科事典 「鈴木梅太郎」の意味・わかりやすい解説

鈴木梅太郎 (すずきうめたろう)
生没年:1874-1943(明治7-昭和18)

農芸化学者。静岡県に生まれる。1896年東京帝国大学農科大学卒業後,大学院に入って植物生理学を専攻。1900年同大学助教授,翌年文部省留学生としてヨーロッパに渡り,スイス,ドイツに遊学,とくにベルリンのE.フィッシャーについてタンパク質の研究にあたった。06年帰国し盛岡高等農林学校教授,翌年母校教授(1907-34)。10年米ぬかから抗脚気の有効成分ビタミンB1の抽出に成功,オリザニンと命名した。17年理化学研究所設立とともに同研究委員となり,栄養化学および合成酒(いわゆる〈理研酒〉),サリチル酸,乳酸などの研究・製造に従事した。24年〈副栄養素の研究〉により帝国学士院賞,43年文化勲章を受けた。なお1932年ドイツ自然科学アカデミー会員,37年満州国大陸科学院院長。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「鈴木梅太郎」の意味・わかりやすい解説

鈴木梅太郎【すずきうめたろう】

 
18961901190619071910B119171943
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木梅太郎」の意味・わかりやすい解説

鈴木梅太郎
すずきうめたろう

 
[]1874.4.7. 
[]1943.9.20. 
 (1896)  (B1 ) ABCDL (190733)  (3741)  192443  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鈴木梅太郎」の解説

鈴木梅太郎
すずきうめたろう


1874.4.71943.9.20

調1910(43)(B1)24(13)

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木梅太郎」の解説

鈴木梅太郎 すずき-うめたろう

1874-1943 明治-昭和時代前期の農芸化学者,栄養化学者。
明治7年4月7日生まれ。ドイツでエミール=フィッシャーに師事。帰国後東京帝大教授,理化学研究所員となる。明治43年米ぬかからオリザニン(ビタミンB1)をとりだし,ビタミン学研究の先駆者となった。昭和18年文化勲章。昭和18年9月20日死去。70歳。静岡県出身。帝国大学卒。著作に「植物生理化学」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鈴木梅太郎」の解説

鈴木梅太郎
すずきうめたろう

 
18741943

1910B'43  

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367日誕生日大事典 「鈴木梅太郎」の解説

鈴木 梅太郎 (すずき うめたろう)

生年月日:1874年4月7日
明治時代-昭和時代の農芸化学者
1943年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鈴木梅太郎の言及

【合成清酒】より

…また四季を通じて製造可能である経済上の利点も兼ねている。
[沿革]
 1918年富山県下で米騒動が起こり,これが全国に広がって,人口と食糧の問題がやかましく叫ばれた時代を背景として,鈴木梅太郎は米を使用しないで科学的に酒をつくる新規な着想のもとに,21年それの基本となる製造法を発明した(清酒代用飲料製造法)。この酒の製造・指導および普及は,理化学研究所が中心になっておこなわれたので〈理研酒〉とよばれ,また合成的に酒がつくられるから〈合成酒〉ともよばれた。…

【ビタミン】より

… 同じころ,イギリスのF.G.ホプキンズもラットの飼育実験で,純粋な糖質,脂肪,タンパク質および塩類からなる飼料だけではその成長に不十分であり,全乳を添加すると完全になることを見いだし,全乳中に微量の〈副栄養素〉が含まれると発表した(1906)。 こうしたなかで,はじめて詳しい化学実験をしたのは鈴木梅太郎であった。1910年,彼は米ぬかから有効成分の単離に成功し,12年これにイネの学名Oryza sativaにちなんでオリザニンOrizaninと名づけた。…

【フィッシャー】より


1 

※「鈴木梅太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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