青砥藤綱(読み)アオトフジツナ

デジタル大辞泉 「青砥藤綱」の意味・読み・例文・類語

あおと‐ふじつな〔あをとふぢつな〕【青砥藤綱】

 
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精選版 日本国語大辞典 「青砥藤綱」の意味・読み・例文・類語

あおと‐ふじつな【青砥藤綱】

 

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改訂新版 世界大百科事典 「青砥藤綱」の意味・わかりやすい解説

青砥藤綱 (あおとふじつな)


28姿


105017081811-121852573184637稿36223稿︿1773

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青砥藤綱」の意味・わかりやすい解説

青砥藤綱
あおとふじつな

生没年不詳。鎌倉中期の武士。藤満の子。妾腹(しょうふく)の子で所領もなく、11歳で出家、儒仏兼学の師につき、学問に励み、10年後に還俗(げんぞく)して三郎藤綱と名のる。左衛門尉(さえもんのじょう)。執権北条時頼(ときより)の時代に評定衆(ひょうじょうしゅう)として活躍したことが『弘長記(こうちょうき)』に記されているが、『吾妻鏡(あづまかがみ)』『関東評定衆伝』には藤綱の名はみえない。数十か所の所領を知行し富んでいたが、自らは質素に暮らし、貧者に施したという。訴訟に際しても権力に屈せず公正な裁判を行った。夜中、鎌倉の滑川(なめりかわ)に落とした銭10文を、50文の松明(たいまつ)を買って探させた話(『太平記』)は有名である。河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)作の歌舞伎(かぶき)狂言『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』(通称『弁天小僧』)にも登場している。

[田辺久子]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青砥藤綱」の解説

青砥藤綱 あおと-ふじつな

 
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青砥藤綱」の意味・わかりやすい解説

青砥藤綱
あおとふじつな

 
 ()  () 1050  

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朝日日本歴史人物事典 「青砥藤綱」の解説

青砥藤綱

 

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