高地性集落(読み)こうちせいしゅうらく

精選版 日本国語大辞典 「高地性集落」の意味・読み・例文・類語

こうちせい‐しゅうらくカウチセイシフラク【高地性集落】

  1. 〘 名詞 〙 瀬戸内海沿岸・畿内とその周辺地域から関東地方にかけて、比高差数十メートル以上の山頂丘陵上に営まれた、軍事的性格の強い彌生時代集落

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高地性集落」の意味・わかりやすい解説

高地性集落
こうちせいしゅうらく


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高地性集落」の解説

高地性集落
こうちせいしゅうらく

稲作に不適な,眺望のよい高地にある弥生時代の集落跡。畑作集落説,祭祀遺跡説,見張り台や狼煙(のろし)台または逃城(にげじろ)的役割をはたした防御・軍事的機能をもつ集落説などがある。数軒から20軒をこえる竪穴住居跡で構成され,基本的には平地の集落とかわらないが,環濠(かんごう)や焼土のつまった土坑をもつ例や,武器としての石鏃の出土などもあり,西日本の弥生社会の歴史的理解ともからんで軍事的機能が有力視されている。各地に分布するが,典型的な例は兵庫県会下山(えげのやま)遺跡,香川県紫雲出山(しうでやま)遺跡など瀬戸内海・大阪湾沿岸部に数多くみられ,弥生中・後期に何回か営まれた。この現象を軍事的緊張関係の反映とみて,この時期の西日本の政治的状況から説明する意見が強い。そのなかには「魏志倭人伝」などにみえる倭国の大乱の記事に対応する状況が含まれていたであろうと考えられている。

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百科事典マイペディア 「高地性集落」の意味・わかりやすい解説

高地性集落【こうちせいしゅうらく】

弥生時代中期〜後期,西日本に多い集落の一つ。海や平野を眺望できる山頂や丘陵の尾根上につくられ,火を焚いた跡や,石鏃が多量に出土する。弥生時代の緊張した社会状況のなかから出現した,戦闘に備えた防砦・烽台の機能をもった遺跡と考えられる。代表的な遺跡に,香川県紫雲出山(しうでやま)遺跡,兵庫県会下山(えげのやま)遺跡,佐賀県湊中野遺跡などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高地性集落」の意味・わかりやすい解説

高地性集落
こうちせいしゅうらく

弥生時代の集落形態の一つで,比高の高い台地や山頂に防衛的あるいは畑作農耕を営む目的で形成されたもの。特に中期後半頃から大阪湾に面した高地や瀬戸内海沿岸の地では,高台に空濠や土塁をめぐらし,その内側に住居を構えた例がある。遺跡からは日常の雑器をはじめ石鏃や鉄鏃などの武器が少数出土する場合もある。遺跡の立地や構造からして,一時的に低地から離れて生活した短期間の集落と考えられる。集落間の戦乱に際してつくられたものとされる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「高地性集落」の解説

高地性集落
こうちせいしゅうらく

弥生時代中期〜後期,海抜200〜300mの山頂や丘陵上に設けられた集落
大阪湾沿岸から瀬戸内海沿岸に多く分布し,武器としての石器が大量に出土することなどから,集団間の軍事的緊張に備えた防御的集落と考えられる。弥生時代後期になると西日本一帯に拡大し,比較的低い眺望のよい丘陵上に設けられるようになった。

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防府市歴史用語集 「高地性集落」の解説

高地性集落

 弥生時代のながめのよい高台に作られた集落です。役割についてはいろいろな説がありますが、見張り台やのろし台、逃げ城といった役割が考えられます。

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世界大百科事典(旧版)内の高地性集落の言及

【弥生文化】より


200300m︿︿V

※「高地性集落」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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