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「関門トンネル (国道2号)」の版間の差分

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関門海峡を貫いて本州と九州を結ぶトンネルは、[[1942年]]([[昭和]]17年)に[[関門トンネル (山陽本線)|関門鉄道トンネル]]が先に開通していた<ref name="浅井2001">{{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |ref=harv|page=240}}</ref>。

関門海峡を貫いて本州と九州を結ぶトンネルは、[[1942年]]([[昭和]]17年)に[[関門トンネル (山陽本線)|関門鉄道トンネル]]が先に開通していた<ref name="浅井2001">{{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |ref=harv|page=240}}</ref>。



[[1938年]](昭和13年)9月22日、内務省は、関門国道トンネル工事を[[1939年]](昭和14年)度から4ヶ年計画で着工することを決定した。1939年5月12日、起工式。道路のトンネルは、関門海峡の最狭部である[[早鞆瀬戸]]の下に建設されることになり、鉄道より遅れた[[1937年]](昭和12年)に試掘導坑の掘削を開始し<ref name="浅井2001"/>1939年に完了。同年、本坑掘削に着工し[[1944年]](昭和19年)12月に貫通したが、トンネルの掘削に適さない地質であったことや、[[第二次世界大戦]]の勃発で資材不足に陥り、相次ぐ戦災で[[1945年]](昭和20年)6月ないしは7月に工事を中断するなど、工事は困難を極めた<ref name="浅井2001"/>。

[[1938年]](昭和13年)9月22日、[[内務省 (日本)|内務省]]は、関門国道トンネル工事を[[1939年]](昭和14年)度から4ヶ年計画で着工することを決定した。1939年5月12日、起工式。道路のトンネルは、関門海峡の最狭部である[[早鞆瀬戸]]の下に建設されることになり、鉄道より遅れた[[1937年]](昭和12年)に試掘導坑の掘削を開始し<ref name="浅井2001"/>1939年に完了。同年、本坑掘削に着工し[[1944年]](昭和19年)12月に貫通したが、トンネルの掘削に適さない地質であったことや、[[第二次世界大戦]]の勃発で資材不足に陥り、相次ぐ戦災で[[1945年]](昭和20年)6月ないしは7月に工事を中断するなど、工事は困難を極めた<ref name="浅井2001"/>。



その後、[[1952年]](昭和27年)に[[道路整備特別措置法]]による有料道路としての工事を再開し、着工から21年の歳月をかけて[[1958年]](昭和33年)3月9日に開通した<ref name="浅井2001"/>。総工費は当時の金額で約57億円である。海底道路トンネルの誕生は、本州から九州まで徒歩でも渡れるという話題性から全国から観光客が集まり、散歩を楽しんだといわれる<ref name="浅井2001"/>。

その後、[[1952年]](昭和27年)に[[道路整備特別措置法]]による有料道路としての工事を再開し、着工から21年の歳月をかけて[[1958年]](昭和33年)3月9日に開通した<ref name="浅井2001"/>。総工費は当時の金額で約57億円である。海底道路トンネルの誕生は、本州から九州まで徒歩でも渡れるという話題性から全国から観光客が集まり、散歩を楽しんだといわれる<ref name="浅井2001"/>。


2022年11月16日 (水) 17:46時点における版

関門トンネル
門司側車道出入口
概要
位置 関門海峡
座標 北緯33度57分48.6秒 東経130度57分33.6秒 / 北緯33.963500度 東経130.959333度 / 33.963500; 130.959333
現況 供用中
所属路線名 国道2号
起点 山口県下関市椋野町
終点 福岡県北九州市門司区
運用
開通 1958年3月9日
所有 国土交通省
管理 西日本高速道路九州支社
通行対象 自動車危険物積載車両通行禁止)・歩行者
通行料金 記事内解説
技術情報
全長 3,461 m(車道)
道路車線数 片側1車線
設計速度 60 km/h(規制速度 : 40 km/h)
最低部 -56 m(車道)-58 m(歩道)
テンプレートを表示
関門トンネル 下関側車道出入口

2


西3[1]

195833[1]2620257930

56 m58 m


194217[2]

19381392219391441939512193712[2]19391944191219452067[2]

1952272119583339[2]57[2]

施設概要


780 m32312

PAPA200618228PANEXCO西


IC2258ICIC572300 m2372

NEXCO西ETCNEXCO西西21[3]

退










2



3,461 m780 m



20061841

ETCETC
160

210

260

420

110

125cc20

50cc


24 
区間 平成17(2005)年度 平成22(2010)年度 平成27(2015)年度
下関料金所 - 門司料金所 34,017 データなし(※) 28,397

(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)

(※)平成22年度はリフレッシュ工事のため、調査されなかった。

人道

人道出入口。左は門司側、右は下関側 人道出入口。左は門司側、右は下関側
人道出入口。左は門司側、右は下関側
人道の県境部。中央部が窪んだ坂になっている
下関側の人道出入口施設。中央にポスト状の料金箱が見える

50 cc4 m780 m15222[4]

[1][4]使[5]

622



[ 1]

[6][7][6]

[8]




9

261

780 m

622[6]






20


1939141,008 m

4使[8][9]

接続道路

施設名 接続路線名 大阪から
(km)
備考 所在地
国道2号 広島山口方面
下関料金所 県道258号武久椋野線 山口県
下関市
下関側人道出入口
関門プラザ(旧下関PA
国道9号 車道部とは接続せず
門司側人道出入口 県道261号門司東本町線 車道部とは接続せず 福岡県
北九州市
門司区
門司PA 2006年2月28日廃止
門司料金所
国道2号(国道3号接続) 福岡小倉北方面

リフレッシュ工事

人道リフレッシュ工事対応の代行バス(2009年10月)
人道リフレッシュ工事対応の二輪車向けトラック(2009年10月)

197910



1979

1988 - 1989

1998 - 1999

2008 - 2010
2008101512132009911218ICICIC2009125cc便[10]

201091 - 1217 [11]

20141015 - 1213 [12]




 -  

 - 西 10


195839110

注釈

  1. ^ 関門橋へ迂回できない50 cc超125 cc以下の二輪車。

出典



(一)^ abc 2005, p. 87.

(二)^ abcde20011110240ISBN 4-534-03315-X 

(三)^ ETC 西. 西. (2019729). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530879/ 2022429 

(四)^ ab︿201427-28ISBN 978-4-06-288282-8 

(五)^ Day7526:01 - YouTube

(六)^ abc 2005, p. 88.

(七)^  - Navi

(八)^ ab (2008). . () 46 (9): 65-70. doi:10.3151/coj1975.46.9_65. https://doi.org/10.3151/coj1975.46.9_65. 

(九)^   西2019272022223

(十)^ .  西 (2009717). 201058

(11)^  - 52 -.  西 (2010716). 2010916

(12)^  2610151213 西 2014825


 !︿KAWADE200521ISBN 4-309-49566-4 









 - 宿





西

  - PDF

60

 -