田端日記
芥川龍之介
︹八月︺二十七日
朝床︵とこ︶の中でぐずついていたら、六時になった。何か夢を見たと思って考え出そうとしたが思いつかない。
起きて顔を洗って、にぎり飯を食って、書斎の机に向ったが、一向︵いっこう︶ものを書く気にもならない。そこで読みかけの本をよんだ。何だかへんな議論が綿々︵めんめん︶と書いてある。面倒臭くなったから、それもやめにして腹んばいになって、小説を読んだ。土左衛門︵どざえもん︶になりかかった男の心もちを、多少空想的に誇張して、面白く書いてある。こいつは話せると思ったら、こないだから頭に持っている小説が、急に早く書きたくなった。
バルザックか、誰かが小説の構想をする事を﹁魔法の巻煙草を吸う﹂と形容した事がある。僕はそれから魔法の巻煙草とほんものの巻煙草とを、ちゃんぽんに吸った。そうしたらじきに午︵ひる︶になった。
午飯︵ひるめし︶を食ったら、更に気が重くなった。こう云う時に誰か来ればいいと思うが、生憎︵あいにく︶誰も来ない。そうかと云ってこっちから出向くのも厄介︵やっかい︶である。そこで仕方がないから、籐︵とう︶の枕をして、また小説を読んだ。そうして読みながら、いつか午睡︵ごすい︶をしてしまった。
眼がさめると、階下︵した︶に大野︵おおの︶さんが来ている。起きて顔を洗って、大野さんの所へ行って、骨相学︵こっそうがく︶の話を少しした。骨相学の起源は動物学の起源と関係があると云うような事を聞いている中︵うち︶にアリストテレスがどうとかと云うむずかしい話になったから、話の方は御免︵ごめん︶を蒙︵こうむ︶って、一つ僕の顔を見て貰う事にした。すると僕は、直覚力も推理力も甚︵はなはだ︶円満に発達していると云うのだから大したものである。もっともこれは、あとで﹁動物性も大分︵だいぶ︶あります。﹂とか何か云われたので、結局帳消しになってしまったらしい。
大野さんが帰ったあとで湯にはいって、飯を食って、それから十時頃まで、調べ物をした。
二十八日
涼しいから、こう云う日に出なければ出る日はないと思って、八時頃うちを飛び出した。動坂︵どうざか︶から電車に乗って、上野︵うえの︶で乗換えて、序︵ついで︶に琳琅閣︵りんろうかく︶へよって、古本をひやかして、やっと本郷︵ほんごう︶の久米︵くめ︶の所へ行った。すると南町︵みなみちょう︶へ行って、留守︵るす︶だと云うから本郷通りの古本屋を根気︵こんき︶よく一軒一軒まわって歩いて、横文字の本を二三冊買って、それから南町へ行くつもりで三丁目から電車に乗った。
ところが電車に乗っている間︵あいだ︶に、また気が変ったから今度は須田町︵すだちょう︶で乗換えて、丸善︵まるぜん︶へ行った。行って見ると狆︵ちん︶を引張った妙な異人の女が、ジェコブの小説はないかと云って、探している。その女の顔をどこかで見たようだと思ったら、四五日前︵まえ︶に鎌倉で泳いでいるのを見かけたのである。あんな崔嵬︵さいかい︶たる段鼻は日本人にもめったにない。それでも小僧さんは、レディ・オヴ・ザ・バアジならございますとか何とか、丁寧︵ていねい︶に挨拶していた。大方︵おおかた︶この段鼻も涼しいので東京へ出て来たのだろう。
丸善に一時間ばかりいて、久しぶりで日吉町︵ひよしちょう︶へ行ったら、清︵きよし︶がたった一人︵ひとり︶で、留守番をしていた。入学試験はどうしたいと尋︵き︶いて見たら、﹁ええ、まあ。﹂と云いながら、坊主頭︵ぼうずあたま︶を撫でて、にやにやしている。それから暇つぶしに清を相手にして、五目︵ごもく︶ならべをしたら、五番の中四番ともまかされた。
その中︵うち︶に皆帰って来たから、一しょに飯を食って、世間話をしていると、八重子︵やえこ︶が買いたての夏帯を、いいでしょうと云って見せに来た。面倒臭いから、﹁うんいいよ、いいよ。﹂と云っていると、わざわざしめていた帯をしめかえて、﹁ああしめにくい。﹂と顔をしかめている。﹁しめにくければ、買わなければいいのに。﹂と云ったら、すぐに﹁大きなお世話だわ。﹂とへこまされた。
日暮方に、南町へ電話をかけて置いて、帰ろうとしたら、清が﹁今夜皆︵みんな︶で金春館︵こんぱるかん︶へ行こうって云うんですがね。一しょに行︵い︶きませんか。﹂と云った。八重子も是非︵ぜひ︶一しょに行けと云う、これは僕が新橋の芸者なるものを見た事がないから、その序︵ついで︶に見せてやろうと云う厚意なのだそうである。僕は八重子に、﹁お前と一しょに行くと、御夫婦だと思われるからいやだよ。﹂と云って外へ出た。そうしたら、うしろで﹁いやあだ。﹂と云う声と、猪口︵ちょく︶の糸底︵いとぞこ︶ほどの唇︵くちびる︶を、反︵そ︶らせて見せるらしいけはいがした。
外濠線︵そとぼりせん︶へ乗って、さっき買った本をいい加減にあけて見ていたら、その中に春信︵はるのぶ︶論が出て来て、ワットオと比較した所が面白かったから、いい気になって読んでいると、うっかりしている間︵あいだ︶に、飯田橋︵いいだばし︶の乗換えを乗越して新見附︵しんみつけ︶まで行ってしまった。車掌にそう云うのも業腹︵ごうはら︶だから、下りて、万世橋行︵まんせいばしゆき︶へ乗って、七時すぎにやっと満足に南町へ行った。
南町で晩飯の御馳走︵ごちそう︶になって、久米︵くめ︶と謎々︵なぞなぞ︶論をやっていたら、たちまち九時になった。帰りに矢来︵やらい︶から江戸川の終点へ出ると、明︵あ︶き地にアセチリン瓦斯︵ガス︶をともして、催眠術の本を売っている男がある。そいつが中々風発︵たくれいふうはつ︶しているから、面白がって前の方へ出て聞いていると、あなたを一つかけて上げましょうと云われたので、々︵そうそう︶退却した。こっちの興味に感ちがいをする人間ほど、人︵ひと︶迷惑なものはない。
家へ帰ったら、留守︵るす︶に来た手紙の中に成瀬︵なるせ︶のがまじっている。紐育︵ニュウヨオク︶は暑いから、加奈陀︵カナダ︶へ行︵ゆ︶くと書いてある。それを読んでいると久しぶりで成瀬と一しょにあげ足のとりっくらでもしたくなった。
二十九日
朝から午︵ひる︶少し前まで、仕事をしたら、へとへとになったから、飯を食って、水風呂︵みずぶろ︶へはいって、漫然︵まんぜん︶と四角な字ばかり並んだ古本をあけて読んでいると、赤木桁平︵あかぎこうへい︶が、帷子︵かたびら︶の上に縞絽︵しまろ︶の羽織か何かひっかけてやって来た。
赤木は昔から李太白︵りたいはく︶が贔屓︵ひいき︶で、将進酒︵しょうしんしゅ︶にはウェルトシュメルツがあると云うような事を云う男だから、僕の読んでいる本に李太白の名がないと、大︵おおい︶に僕を軽蔑した。そこで僕も黙っていると負けた事にされるから暑いのを我慢して、少し議論をした。どうせ暇つぶしにやる議論だから勝っても負けても、どちらでも差支︵さしつか︶えない。その中︵うち︶に赤木は、﹁一体支那人は本へ朱︵しゅ︶で圏点︵けんてん︶をつけるのが皆うまい。日本人にやとてもああ円くは出来ないから、不思議だ。﹂と、つまらない事を感心し出した。朱でまるを描︵か︶くくらいなら、己︵おれ︶だって出来ると思ったが、うっかりそんな事を云うと、すぐ﹁じゃ、やって見ろ。﹂ぐらいな事になり兼ねないから、﹁成程︵なるほど︶そうかね。﹂とまず敬して遠ざけて置いた。
日の暮れ方に、二人︵ふたり︶で湯にはいって、それから、自笑軒︵じしょうけん︶へ飯を食いに行った。僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に大倉喜八郎︵おおくらきはちろう︶と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う、大へんな小唄である。文句︵もんく︶も話した時は覚えていたが、もうすっかり忘れてしまった。赤木は、これも二三杯の酒で赤くなって、へええ、聞けば聞くほど愚劣だねと、大︵おおい︶にその作者を罵倒していた。
かえりに、女中が妙な行燈︵あんどう︶に火を入れて、門︵かど︶まで送って来たら、その行燈に白い蛾︵が︶が何匹もとんで来た。それが甚︵はなはだ︶、うつくしかった。
外へ出たら、このまま家へかえるのが惜しいような気がしたから、二人︵ふたり︶で電車へ乗って、桜木町︵さくらぎちょう︶の赤木の家へ行った。見ると石の門があって、中に大きな松の木があって、赤木には少し勿体︵もったい︶ないような家だから、おい家賃はいくらすると訊︵き︶いて見たが、なに存外安いよとか何とか、大に金のありそうな事を云ってすましている。それから、籐椅子︵とういす︶に尻を据えて、勝手な気焔︵きえん︶をあげていると、奥さんが三︵み︶つ指︵ゆび︶で挨拶に出て来られたのには、少からず恐縮した。
すると、向うの家の二階で、何だか楽器を弾︵ひ︶き出した。始︵はじめ︶はマンドリンかと思ったが、中ごろから、赤木があれは琴︵こと︶だと道破︵どうは︶した。僕は琴にしたくなかったから、いや二絃琴︵にげんきん︶だよと異︵い︶を樹︵た︶てた。しばらくは琴だ二絃琴だと云って、喧嘩していたが、その中︵うち︶に楽器の音︵ね︶がぴったりしなくなった。今になって考えて見ると、どうもあれはこっちの議論が、向うの人に聞えたのに相違ない。そう思うと、僕はいいが、赤木は向う同志と云う関係上、もっと恐縮して然るべき筈である。
帰りに池︵いけ︶の端︵はた︶から電車へ乗ったら、左の奥歯が少し痛み出した。舌をやってみると、ぐらぐら動くやつが一本ある。どうも赤木の雄弁に少し祟︵たた︶られたらしい。
三十日
朝起きたら、歯の痛みが昨夜︵ゆうべ︶よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分︵だいぶ︶腫︵は︶れている。いびつになった顔は、確︵たしか︶にあまり体裁︵ていさい︶の好︵い︶いものじゃない。そこで右の頬をふくらせたら、平均がとれるだろうと思って、そっちへ舌をやって見たが、やっぱり顔は左の方へゆがんでいる。少くとも今日︵きょう︶一日、こんな顔をしているのかと思ったら、甚︵はなはだ︶不平な気がして来た。
ところが飯を食って、本郷の歯医者へ行ったら、いきなり奥歯を一本ぬかれたのには驚いた。聞いて見ると、この歯医者の先生は、いまだかつて歯痛︵しつう︶の経験がないのだそうである。それでなければ、とてもこんなに顔のゆがんでいる僕をつかまえて辣腕︵らつわん︶をふるえる筈がない。
かえりに区役所前の古道具屋で、青磁︵せいじ︶の香炉︵こうろ︶を一つ見つけて、いくらだと云ったら、色眼鏡︵いろめがね︶をかけた亭主︵ていしゅ︶が開闢︵かいびゃく︶以来のふくれっ面︵つら︶をして、こちらは十円と云った。誰がそんなふくれっ面の香炉を買うものか。
それから広小路︵ひろこうじ︶で、煙草と桃とを買ってうちへ帰った。歯の痛みは、それでも前とほとんど変りがない。
午飯︵ひるめし︶の代りに、アイスクリイムと桃とを食って、二階へ床︵とこ︶をとらせて、横になった。どうも気分がよくないから、検温器を入れて見ると、熱が八度ばかりある。そこで枕を氷枕︵こおりまくら︶に換えて、上からもう一つ氷嚢︵ひょうのう︶をぶら下︵さ︶げさせた。
すると二時頃になって、藤岡蔵六︵ふじおかぞうろく︶が遊びに来た。到底︵とうてい︶起きる気がしないから、横になったまま、いろいろ話していると、彼が三分︵さんぶ︶ばかりのびた髭︵ひげ︶の先をつまみながら、僕は明日︵あす︶か明後日︵あさって︶御嶽︵みたけ︶へ論文を書きに行くよと云った。どうせ蔵六の事だから僕がよんだってわかるようなものは書くまいと思って、またカントかとか何とかひやかしたら、そんなものじゃないと答えた。それから、じゃデカルトだろう。君はデカルトが船の中で泥棒に遇︵あ︶った話を知っているかと、自分でも訳のわからない事をえらそうにしゃべったら、そんな事は知らないさと、あべこべに軽蔑された。大方︵おおかた︶僕が熱に浮かされているとでも思ったのだろう。このあとで僕の写真を見せたら、一体君の顔は三角定規︵さんかくじょうぎ︶を倒︵さかさ︶にしたような顔だのに、こう髪の毛を長くしちゃ、いよいよエステティッシュな趣を損うよ。と、入らざる忠告を聞かされた。
蔵六が帰った後︵あと︶で夕飯︵ゆうめし︶に粥︵かゆ︶を食ったが、更にうまくなかった。体中︵からだじゅう︶がいやにだるくって、本を読んでも欠伸︵あくび︶ばかり出る。その中︵うち︶にいつか、うとうと眠ってしまった。
眼がさめて見ると、知らない間︵あいだ︶に、蚊帳︵かや︶が釣ってあった。そうして、それにあけて置いた窓から月がさしていた。無論電燈もちゃんと消してある。僕は氷枕の位置を直しながら、蚊帳︵かや︶ごしに明るい空を見た。そうしたらこの三年ばかり逢った事のない人の事が頭に浮んだ。どこか遠い所へ行っておそらくは幸福にくらしている人の事である。
僕は起きて、戸をしめて電燈をつけて、眠くなるまで枕もとの本を読んだ。
︵大正六年︶
底本‥﹁芥川龍之介全集8﹂ちくま文庫、筑摩書房
1989︵平成元︶年8月29日第1刷発行
1998︵平成10︶年2月17日第3刷発行
底本の親本‥﹁筑摩全集類聚版芥川龍之介全集﹂
1971︵昭和46︶年3月~11月刊行
入力‥土屋隆
校正‥noriko saito
2007年7月23日作成
青空文庫作成ファイル‥
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