一
この少しょ年うねんは、名なを知しられなかった。私わたしは仮かりにケーと名なづけておきます。
ケーがこの世せか界いを旅りょ行こうしたことがありました。ある日ひ、彼かれは不ふ思し議ぎな町まちにきました。この町まちは﹁眠ねむい町まち﹂という名ながついておりました。見みると、なんとなく活かっ気きがない。また音おとひとつ聞きこえてこない寂し然んとした町まちであります。また建たて物ものといっては、いずれも古ふるびていて、壊こわれたところも修しゅ繕うぜんするではなく、烟けむりひとつ上あがっているのが見みえません。それは工こう場ばなどがひとつもないからでありました。
町まちはだらだらとして、平へい地ちの上うえに横よこたわっているばかりであります。しかるに、どうしてこの町まちを﹁眠ねむい町まち﹂というかといいますと、だれでもこの町まちを通とおったものは、不ふ思し議ぎなことには、しぜんと体からだが疲つかれてきて眠ねむくなるからでありました。それで日ひに幾いく人にんとなくこの町まちを通とおる旅たび人びとが、みなこの町まちにきかかると、急きゅうに体からだに疲つかれを覚おぼえて眠ねむくなりますので、町まちはずれの木こかげの下したや、もしくは町まちの中なかにある石いしの上うえに腰こしを下おろして、しばらく休やすもうといたしまするうちに、まるで深ふかい深ふかい穴あなの中なかにでも引ひき込こまれるように眠ねむくなって、つい知しらず知しらず眠ねむってしまいます。
ようやく目めがさめた時じぶ分んには、もういつしか日ひが暮くれかかっているので、驚おどろいて起たち上あがって道みちを急いそぐのでありました。この話はなしがだれからだれに伝つたわるとなく広ひろがって、旅たびする人ひと々びとはこの町まちを通とおることをおそれました。そして、わざわざこの町まちを通とおることを避さけて、ほかのほうを遠とおまわりをしてゆくものもありました。
ケーは、人ひと々びとのおそれるこの﹁眠ねむい町まち﹂が見みたかったのです。人ひとの恐おそろしがる町まちへいってみたいものだ。己おればかりはけっして眠ねむくなったとて、我がま慢んをして眠ねむりはしないと心こころに決きめて、好こう奇きし心んの誘さそうままに、その﹁眠ねむい町まち﹂の方ほうを指さして歩あるいてきました。
二
なるほどこの町まちにきてみると、それは人ひと々びとのいったように気き味みの悪わるい町まちでありました。音おとひとつ聞きこえるではなく、寂し然んとして昼ひる間まも夜よるのようでありました。また烟けむりひとつ上あがっているではなく、なにひとつ見みるようなものはありません。どの家いえも戸とを閉しめきっています。まるで町まち全ぜん体たいが、ちょうど死しんだもののように静しずかでありました。
ケーは壊こわれかかった黄きい色ろな土つちのへいについて歩あるいたり、破やぶれた戸とのすきまから中なかのようすをのぞいたりしました。けれど、家いえの中なかには人ひとが住すんでいるのか、それともだれも住すんでいないのかわからないほど静しずかでありました。たまたまやせた犬いぬが、どこからきたものか、ひょろひょろとした歩あゆみつきで町まちの中なかをうろついているのを見みました。ケーは、この犬いぬはきっと旅たび人びとが連つれてきた犬いぬであろう、それがこの町まちの中なかで主しゅ人じんを見みう失しなって、こうしてうろついているのであろうと思おもいました。ケーはこうして、この町まちの中なかを探たん検けんしていますうちに、いつともなしに体からだが疲つかれてきました。
﹁ははあ、なんだか疲つかれて、眠ねむくなってきたぞ。ここで眠ねむっちゃならない。我がま慢んをしていなくちゃならない。﹂
と、ケーは独ひとり言ことをして、自じぶ分んで気きを励はげましました。
けれど、それは、ちょうど麻ます酔いや薬くをかがされたときのように、体からだがだんだんしびれてきました。そして、もうすこしでもこうしていることができなくなったほど、眠ねむくなってきましたので、ケーはついに我がま慢んがしきれなくなって、そこのへいの辺へんに倒たおれたまま、前ぜん後ごも忘わすれて高たかいいびきをかいて寝ね入いってしまいました。
三
よく眠ねむったと思おもいますと、だれか自じぶ分んを揺ゆり起おこしているようでありましたから、ケーは驚おどろいて目めをみはって起おき上あがりますと、いつのまにやら日ひはまったく暮くれていて、四あた辺りには青あおい月つきの光ひかりが冷ひややかに彩いろどっていました。
﹁もう何なん時じごろだろう、これはしまったことをしてしまった。いくら眠ねむくても、我がま慢んをして眠ねむるのではなかったが。﹂
と、ケーは大おおいに後こう悔かいしました。けれども、もはやしかたがありません。
彼かれは、そこに落おちていた自じぶ分んの帽ぼう子しを拾ひろい上あげて、それをかぶりました。
そして四あた辺りを見みまわしますと、すぐ自じぶ分んのそばに一ひと人りのじいさんが、大おおきな袋ふくろをかついで立たっていました。
ケーは、このじいさんを見みると、だれか自じぶ分んを揺ゆり起おこしたように思おもったが、このじいさんであったかと考かんがえましたから、彼かれは臆おくする色いろなく、そのじいさんの方ほうに歩あるいて近ちかづきました。月つきの光ひかりで、よくそのじいさんの姿すがたを見みま守もると、破やぶれた洋よう服ふくを着きて、古ふるくなったぼろぐつをはいていました。もうだいぶの年としとみえて、白しろいひげが伸のびていました。
﹁あなたはだれですか。﹂
と、少しょ年うねんは声こえに力ちからを入いれて問といました。
するとじいさんは、とぼとぼとした歩あるきつきをして、ケーの方ほうに寄よってきて、
﹁私わしだ、おまえを起おこしたのは! 私わしはおまえに頼たのみがある。じつは私わしがこの眠ねむい町まちを建たてたのだ。私わしはこの町まちの主ぬしである。けれど、おまえも見みるように、私わしはもうだいぶ年としを取とっている。それで、おまえに頼たのみがあるのだが、ひとつ私わしの頼たのみを聞きいてくれぬか。﹂
と、そのじいさんは、この少しょ年うねんに話はなしかけました。
ケーは、こういってじいさんから頼たのまれれば、男だん子しとして聞きいてやらぬわけにはゆきません。
﹁僕ぼくの力ちからでできることなら、なんでもしてあげよう。﹂
ケーは、このじいさんに誓ちかいました。じいさんは、この少しょ年うねんの言こと葉ばを聞きいて、ひじょうに喜よろこびました。
﹁やっと私わしは安あん心しんした。そんならおまえに話はなすとしよう。私わしは、この世せか界いに昔むかしから住すんでいた人にん間げんである。けれど、どこからか新あたらしい人にん間げんがやってきて、私わしの領りょ土うどをみんな奪うばってしまった。そして私わしの持もっていた土と地ちの上うえに鉄てつ道どうを敷しいたり汽きせ船んを走はしらせたり、電でん信しんをかけたりしている。こうしてゆくと、いつかこの地ちき球ゅうの上うえは、一本ぽんの木きも一つの花はなも見みられなくなってしまうだろう。私わしは昔むかしから美うつくしいこの山やまや、森しん林りんや、花はなの咲さく野のは原らを愛あいする。いまの人にん間げんはすこしの休やす息みもなく、疲つかれということも感かんじなかったら、またたくまにこの地ちき球ゅうの上うえは砂さば漠くとなってしまうのだ。私わしは疲ひろ労うの砂さば漠くから、袋ふくろにその疲ひろ労うの砂すなを持もってきた。私わしは背せな中かにその袋ふくろをしょっている。この砂すなをすこしばかり、どんなものの上うえにでも振ふりかけたなら、そのものは、すぐに腐くされ、さび、もしくは疲つかれてしまう。で、おまえにこの袋ふくろの中なかの砂すなを分わけてやるから、これからこの世せか界いを歩あるくところは、どこにでもすこしずつ、この砂すなをまいていってくれい。﹂
と、じいさんは、ケーに頼たのんだのでありました。
四
少しょ年うねんは、じいさんから、不ふ思し議ぎな頼たのみを受うけて、袋ふくろを持もって、この地ちき球ゅうの上うえを歩あるきました。ある日ひ、彼かれはアルプス山さんの中なかを歩あるいていますと、いうにいわれぬいい景けし色きのところがありました。そこには幾いく百人にんの土どか方たや工こう夫ふが入はいっていて、昔むかしからの大たい木ぼくをきり倒たおし、みごとな石いしをダイナマイトで打うち砕くだいて、その後あとから鉄てつ道どうを敷しいておりました。そこで少しょ年うねんは、袋ふくろの中なかから砂すなを取とり出だして、せっかく敷しいたレールの上うえに振ふりかけました。すると、見みるまに白しろく光ひかっていた鋼こう鉄てつのレールは真まっ赤かにさびたように見みえたのでありました……。
またある繁はん華かな雑ざっ沓とうをきわめた都とか会いをケーが歩あるいていましたときに、むこうから走はしってきた自じど動うし車ゃが、危あやうく殺ころすばかりに一ひと人りのでっち小こぞ僧うをはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼かれは袋ふくろの砂すなをつかむが早はやいか、車しゃ輪りんに投なげかけました。すると見みるまに車くるまの運うん転てんは止とまってしまいました。で、群ぐん集しゅうは、この無ぶれ礼いな自じど動うし車ゃを難なんなく押おさえることができました。
またあるとき、ケーは土どぼ木くこ工う事じをしているそばを通とおりかかりますと、多おおくの人にん足そくが疲つかれて汗あせを流ながしていました。それを見みると気きの毒どくになりましたから、彼かれは、ごくすこしばかりの砂すなを監かん督とく人にんの体からだにまきかけました。と、監かん督とくは、たちまちの間あいだに眠ねむ気けをもよおし、
﹁さあ、みんなも、ちっと休やすむだ。﹂
といって、彼かれは、そこにある帽ぼう子しを頭あたまに当あてて日ひの光ひかりをさえぎりながら、ぐうぐうと寝ねこんでしまいました。
ケーは、汽きし車ゃに乗ったり、汽きせ船んに乗のったり、また鉄てつ工こう場じょうにいったりして、この砂すなをいたるところでまきましたから、とうとう砂すなはなくなってしまいました。
﹁この砂すながなくなったら、ふたたびこの眠ねむい町まちに帰かえってこい。すると、この国くにの皇おう子じにしてやる。﹂
と、じいさんのいった言こと葉ばを思おもい出だし、少しょ年うねんは、じいさんにあおうと思おもって、﹁眠ねむい町まち﹂に旅たび出でをしました。
幾いく日にちかの後のち﹁眠ねむい町まち﹂にきました。けれども、いつのまにか昔むかし見みたような灰はい色いろの建たて物ものは跡あと形かたもありませんでした。のみならず、そこには大おおきな建たて物ものが並ならんで、烟けむりが空そらにみなぎっているばかりでなく、鉄てつ工こう場じょうからは響ひびきが起おこってきて、電でん線せんはくもの巣すのように張はられ、電でん車しゃは市しち中ゅうを縦じゅ横うおうに走はしっていました。
この有あり様さまを見みると、あまりの驚おどろきに、少しょ年うねんは声こえをたてることもできず、驚おどろきの眼まなこをみはって、いっしょうけんめいにその光こう景けいを見みま守もっていました。
底本‥﹁定本小川未明童話全集 1﹂講談社
1976︵昭和51︶年11月10日第1刷発行
1982︵昭和57︶年9月10日第7刷発行
初出‥﹁日本少年﹂
1914︵大正3︶年5月
※表題は底本では、﹁眠ねむい町まち﹂となっています。
入力‥ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正‥ぷろぼの青空工作員チーム校正班
2011年11月2日作成
青空文庫作成ファイル‥
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