水︹扉の言葉︺
種田山頭火
禅門――洞家には﹃永平半杓の水﹄という遺訓がある。それは道元禅師が、使い残しの半杓の水を桶にかえして、水の尊いこと、物を粗末にしてはならないことを戒められたのである。そういう話は現代にもある、建長寺の龍淵和尚︵?︶は、手水をそのまま捨ててこ︵ママ︶まった侍者を叱りつけられたということである。使った水を捨てるにしても、それをなおざりに捨てないで、そこらあたりの草木にかけてやる、――水を使えるだけ使う、いいかえれば、水を活かせるだけ活かすというのが禅門の心づかいである。
物に不自由してから初めてその物の尊さを知る、ということは情ないけれど、凡夫としては詮方もない事実である。海上生活をしたことのある人は水を粗末にしないようになる。水のうまさ、ありがたさはなかなか解り難いものである。
へうへうとして水を味ふ
こんな時代は身心共に過ぎてしまった。その時代にはまだ水を観念的に取扱うていたから、そして水を味うよりも自分に溺れていたから。
腹いつぱい水を飲んで来てから寝る
放浪のさびしいあきらめである。それは水のような流転であった。
岩かげまさしく水が湧いてゐる
そこにはまさしく水が湧いいた、その水のうまさありがたさは何物にも代えがたいものであった。私は水の如く湧き、水の如く流れ、水の如く詠いたい。
︵﹁三八九﹂第三集 昭和六年三月三十日発行︶
底本‥﹁山頭火随筆集﹂講談社文芸文庫、講談社
2002︵平成14︶年7月10日第1刷発行
2007︵平成19︶年2月5日第9刷発行
初出‥﹁﹁三八九﹂第三集﹂
1931︵昭和6︶年3月30日発行
入力‥門田裕志
校正‥仙酔ゑびす
2008年5月19日作成
青空文庫作成ファイル‥
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