移民とオーストラリアに関するlaislanopiraのブックマーク (4)
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皆さんは“ワーキングホリデー”(Working Holiday:通称﹁ワーホリ﹂)という制度をご存知であろうか。フツウの仕事をしているサラリーマンには縁遠い言葉ではないか。 ワーホリとは主として先進国どうしが二国間協定を締結して、たがいに相手国の若者(一般に18歳以上30歳まで)に対して数年間(通常は1年間、延長して2年間)の就労可能なビザを発行する制度である。 両国間の相互理解・親善交流促進を目的としている。協定相手国の若者が自国に長期滞在する場合に、資金不足をカバーするために滞在期間中の就労を許可するという趣旨である。 オーストラリアは移民政策においては高度人材・専門職人材を選別して移住許可している(本編10回、11回ご参照)。他方オーストラリアで恒常的に不足している労働力(未熟練労働者・単純労働者)を供給しているのがワーホリ制度である。 その規模は毎年20万人くらいで推移しているよう
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アジアの東の端に赤道を挟み北と南に位置する日本とオーストラリアは、一般的にとても違う国と認識されている。実際、歴史、民族、文化、自然、そして国土の広さはもちろん人口規模も二国は大きく異なり、ある意味好対照の国ということが言える。したがって、日本とオーストラリアは似た者同士だ、と言うと、奇異に思う人が多いだろう。しかしながら、両国の国際舞台、とくにアジア地域における言動を注視してみると、その相似性が鮮明に浮かび上がって来る。 日本とオーストラリアは、その過程は大きく異なりつつも、共に時代が新しい世紀-20世紀-に入る頃に近代国家として成立している。その意味で両国は世界の歴史の流れ中で同世代に属する国家であり、それぞれが国家としてのアイデンティティを形成していった時期が重なることから、必然的にどこか似た“性格”を持ち合わせているのである。近年、日豪は“アジアにおける最良の友”とか“特別な戦略的
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オーストラリアで1850年代から始まった中国人移民排斥運動は、白豪主義として知られる白人至上主義的潮流を生み出し、1901年のオーストラリア連邦成立以降1970年代まで国家として非白人を排除する人種主義政策を続けることになった。 十九世紀半ばのオーストラリアで起きた中国人移民排斥の原因を、白人社会と中国人との文化的差異に求める見方は適切ではない。まずは当時のオーストラリアの社会構造がはらんでいた矛盾と急激に表面化した経済的要因があり、彼らが直面した問題を説明しうる理由として﹁中国人の脅威﹂を見出すようになったのである。 オーストラリアの植民地化オーストラリアの歴史は古くて新しい。先住民アボリジナル︵アボリジニ︶の祖先はおそらく四万年前にはオーストラリア南部に到達していたと考えられ、以後、西暦1700年代まで外部の侵入もなく独自のアボリジナル社会を形成していた。 1770年ジェイムズ・クック
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押し寄せる中国人移民に最適な対策とは アメリカやオーストラリアは、もともとイギリス系移民を中心とした人々がその中核を成す国です。 特にアメリカは、ピューリタニズムを根幹としながらもプラグマティズムでうまいこと骨抜きにした理想主義を掲げ、白人のための活気ある平等社会を構築していました。 そこに19世紀半ばごろから、一攫千金を夢見て大量の中国人移民がやってきました。 なんだこいつらは。 戸惑う白人たち。 ところが、 アメリカとオーストラリアの中国人移民対策はそれぞれ異なり、しかも全く異なる結果を出すことになりました。 1. なぜ中国人移民が大量流入したか 安価な労働力としての中国人 イギリスは1834年に奴隷制を廃止しましたが、プランテーション農園など大量のマンパワーを必要とする産業に経済依存しており、奴隷に代わる安価な労働力を求めていました。 注目されたのが、アヘン戦争に敗れた清国の中国人ク
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